今日はなんだか余計な事ばかり書き過ぎてしまうな。

昨夜は映画を見なかった。いつも見てるのに、今日は見ないからどうしたのって聞いてくれるのは過去の自分だけだ。だっていつも見ていないから。

文章を3行くらい書いて、そろそろ会話を出したいのに、内面の自分以外誰も出てきていないから括弧が付かない。格好がつかない。

長く寝ていたせいで夜は眠れなくて、カーテンの向こうから朝日が見えた。淡いぼんやりとした光ではなく、ここに太陽があるという鮮明な熱だった。なんとなく見たくなって、体を起こしてカーテンを捲った。想像通りの光景と、想像より暑くない驚きがあった。

そのころには眠れそうだったから、倒れ込んだ後寝た。今日は昼には起きて、食事をして、本を読んで、あとは時間を溶かしていた。

曖昧な返事に気持ちは失せていく。会いたい人とは予定が合わないで、乗り気ではない人との予定はどんどん先走っていく。知らない人の気持ちなんでどうだっていいんだ。それに一喜一憂してしまうことが悔しい。気持ちの純度が落ちることは分かっているのに、目に入った文字を読んでしまって落ち込む。測れない量を比べたって仕方ないのに。

昼過ぎに着替えて外に出た。

半袖シャツを着たら、やっぱり暑かった。袖の布は偉大だ。あれは影になるから必要だ。熱気より尖った熱が肌に刺さる。それに、わずかに当たったズボンの硬い生地や、鞄の紐が気になる。袖の布があるだけで、間接的な接触になるから、感触が柔らかくて済むんだ。

だからというわけでもないけれど、自転車を思い切り漕いだ。照り返した日差しがとにかく眩しい。上も下も光が強かった。

必要なものを買って帰る。帰り道の上り坂、いつもはゆったりと帰るけれど今日は立ち漕ぎで思い切り漕いだ。足からペダルへ力が押し込まれていく感覚が気持ち良かった。定まらない地面を走っているみたいだった。

帰宅してゴミを捨てて、近所の店まで歩いた。湖まで行きたくなったけれど、今日は早く帰ることにした。

再度帰宅して、騒々しかった店内を思い出した。休日だからか、家族が集まっているのか、図々しい態度の客ばかりだった。そう思ったけれど自分もその中のひとりだったら嫌だな。

好きな曲を聴いていたら、行きたかったライブの時間になっていた。別にそこまでではなかったんだ。会うための口実みたいなことだったんだけど、引き摺るほどでもない未練がほんの少し渦巻いている。

だからまだ好きな曲を聴いている。何もないから毎日日記を書いてる。今日もちゃんと書いたし、書かなくてもどうしたのとか聞かれたくもない日記を書いている。こうして意味がぐるぐると回っていく。言葉だけの意味が回って、嫌なことを忘れさせてくれる。

結局いつも同じ言葉に破かれて、同じ詩に救われるんだ。

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