捻くれていたけれど、あの子元気かなとかちゃんと思えるよ。
朝、カーテンの隙間から外を見たら、畑仕事に取り掛かるおじいさんがちょうど見えた。歳をとると早起きだって聞くけど、早く起きたから働き始めるのか、そのために早く起きているのかどうなんだろう。
自分はそれから寝た。
昼に起きて、天気予報は雨だった。また寝た。夕方になった。ここのところ天気予報ばかり見ているな。自転車に乗るからなるだけ雨は避けたいし仕方ないじゃないか。
途切れ途切れに雨が続くようだった。
暇という言葉で書き換えた時間を潰す。垂れ流された情報を見て、全てを信じてもいいような気にさせられる。映像があるから、多くの人がそう思っているから、そんな理由で簡単に飲み込まれそうになる。
信じるかとか賛同するかとかそんなことは抜きにして、少なからず動いた気持ちは確かだった。
狂っていると言えなくなる、と危惧して誰かが訴えている。法律や教育が変われば、それに違和感を持つと差別になるんだって言う。彼らの主張に賛同はできないけれど、その先の結果に対する不安は同じだった。
気づかないうちに自由は奪われる。奪われるのは一瞬だけど、奪い返すのは大変だから、それは手放していいのかよく吟味しなければならない。
自分にとって何が難しいのか分からないことも、それで死ぬほど悩んでいる人だっているんだろう。反対に、自分が感じる苦痛が他人には全く伝わらないことだってきっとある。
なんで分かってくれないんだって苛立って、もういいよって諦めていたら、無関心だとか言われて輪から弾き出されるんだろう。思い返せば幼いころからそれの連続だ。いちばん簡単で、傷つかないで済むからいつも諦めることを選んできたけれど、それは逃げだったんだな。今更気づいても見えないところにできた傷はもう治らないみたいだけど。
本質を変えないで表面だけ染めて、あたかも目標を達成したような顔をする。そしてみんな騙されて、誤魔化されていることも気づかない。気づいて声を上げても結局届かなくて、なんで分かってくれないんだって苛立って、最後はもういいよって諦めるんだ。いつからその循環は始まったんだろう。騙されていた方が楽だって気づいた人間の方が賢いのかな。
自分は相変わらず部屋で音楽に浸っていた。全てから逃げるように、新しい曲を知ってすぐに吹き飛ばせる感性が引っ張られていく。
ネコが可哀想って言ったあの子は元気かな、と言う言葉が凄く良くて、なぜか心が痒くなった。その感覚が少し分かったから、思い出したくもない人を思い出した。
夜になって、外が暗くなって、そういえばすぐ近くの道路の工事が始まることを思い出した。夜に作業をするから道が通れないと知らせる看板の前に記憶を運ぶ。もう始まっているはずだけど、どうなっているか分からないから外に出てみるのもいいなと思った。
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