本当はそんなこと思ってないよ、実はなんてね。

今日は朝起きてまた寝たら夕方になっていた。最近ずっとそうだな。駄目だなって毎日思ってるのに変えられないから実はそんなに思ってないのかもしれない。

体調が悪いせいにして時間を溶かして、それさえも疲れて、ただ受け取るだけに集中したくて映画を見た。途中まで見て残りはまた今度でもいいやと思って見始めたけど、集中して最後まで一気に見ることができた。

字幕が詩みたいだった。翻訳者は詩人かもしれない。

後先考えずに衝動に任せてみたい、みたいなことを昨日言葉にした気がするけど、その理想の何倍も弾けた映画だった。

展開は予想できてしまったけど、それでも振り切った人間は面白かったから良かった。

今日は1日中暗くて、きっと雨でも降っていたんだろう。写真を撮りに外に出たかった気持ちは少し萎んで、後日に後回しされた。

画面だけが光る部屋で、布団に体を預けていた。だんだん寒くなってきて布団に包まった。映画を音楽に変えてまだ垂れ流している。

歌詞の文字は本当に詩で、ぼんやりしたままの濃さで脳を溶かした。なんだかもう随分外に出ていない気がしてきた。数日なのに、もっとずっと長いみたいだ。

注意喚起の表記が音楽を一時的に止める。ログインしないと見られないミュージックビデオもあるし、音楽舐めてるのかな。音楽というより表現者をどう思っているんだろう。たまたま出来たなんて簡単な物じゃなくて、それでしか生きられない人間の作品を知らないのかな。

いつだってそんな人間に救われるし、励まされる人のことなんて遠い空想と思ってるのかもしれない。君にとっての普通が全く通じない世界もあるんだって教えてあげたいね。それは自分にも言えることだけど。

映画の中みたいに自分の衝動が自我を持ったとき、本人さえ撃ち抜くくらい激しかったら良いな。そして乗っ取られてしまえば、憂いや哀しさは消え去るのだろうか。

暗い部屋で聞く音楽だってもっと剥き出しで感じられるかもしれない。死を意識するためにとか生を実感するためにとか、そんなことよりただ豊かさを知りたいだけなんだ。もっと深いところまで感じたいし、熱や苦しみを掬ってみたい。

最後くらいはそれを実現させてあげたいな。

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