記憶を小説のように引き延ばし、そこで満たされ裏側を聞き逃し。
今日も早く起きた。まだ暑い部屋の中で扇風機の風を浴びて書いたり聴いたりしていた。
それから小説を読んだ。本を数分読むだけで落ち着くらしい。それは確かに感じていて、少しでも本を読むと充実感が桁違いに大きくなる。
知らなかった単語を少し調べて、きっと私生活で使えば気取っていると揶揄されるだろう言葉を覚えた。自分の中に馴染んで当たり前になればそんなことを考えずに無意識的に使えるかもしれない。
それから食事をして、ギターを弾いて、それでもまだ昼過ぎだ。やっぱり本を読むと時間が濃くなる気がする。小説の中で現実より早く時間を過ごすからだろうか。
昼過ぎに着替えて買い物へ行った。この間知った近道を反対から通った。本当に近道に思えた。
向こうから少年ふたりが自転車で走ってくる。音楽を大音量で鳴らしながら通り過ぎていく。ふたりを囲うようにダンスミュージックが流れていて、膜が張っているようだった。夏休みで気が大きくなって、近所なのに居丈高に走り去る様が憎たらしいような微笑ましいような気になった。そうやってふたりだけの空間を楽しめる友達がいるからできることだ。
それから何軒か店を回って野菜や果物やその他の必要なものを買って、古本屋へ寄った。大人が漫画を立ち読みしているばかりだった。
欲しい本がなくて店内を歩き回りながら、さっきの少年たちが聴いていた曲のことを思い出していた。自分はその曲を全く知らないし、誰が歌っているのかも分からなかった。
同じようにあの少年たちも、自分が死ぬほど好きなバンドや、自分が彼らと同年代のころ狂ったように聴いていた曲を知らないんだろう。今の子供達はあの時の子供達よりたくさんのことを知っているだろうけれど、あの時のように周りが見えなくなるほど傾倒できるものや存在があるのだろうか。
すぐに手に入る入り口は楽だけれど、すぐに飽きてしまう出口は寂しい。なかなか見つけられない入り口は大変だけれど、なかなか醒めない出口は嬉しい。自分はいつだって楽しくて豊かな方を選びたい。
こんなに子供にばかり思いを馳せたけれど、そういえば今日は子供が少ない。登校日なのだろうか。暑いから外に出るなと言われているのだろうか。自分が子供の頃はまだ、外でも遊びなよ、みたいなどっちつかずの言い方で促されていたような記憶がある。時代なんですぐに変わってしまうんだ。そもそも平日の昼間からふらふらしている方が異常なんだ、と思ったけれど今日は日曜日だった。
帰宅して、風呂に入る。洗濯物が溜まってきて、明日から天気が悪くなりそうだからいつもより早いけれど洗濯をすることにした。
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