何より悲しいのはそれをみんなが忘れていくことなんだ。

背中を掻いていたら左腕が攣った。こんなところ初めてだ。その痛みや違和感より初めてのことへの興奮が勝っていた。

それから朝方寝て、今日も昼ごろ起きた。食事をして、同じ番組を見ていた。腕は攣ったのなんて嘘みたいに何も感じなくなっていた。

主に何かを調べていた。明日のことと明後日のことと、その先のことを調べていた。明日は良い日にしたい。友人と会うんだけど、楽しんでもらいたい。だから迷いたくないし、迷わせたくない。道順や電車の時間やそのあとにいく場所のことなどを調べた。生活の線から外れて、並行世界を歩くような時間を過ごしたい。

別の友人に渡すものも考えていた。これはもう悩みだ。その種を植えて育つならいくらでも植えてやるのに、その種だけを見て決定しなければならないから難しいんだ。違和感ではない異物感があるものを渡したい。相手の感性に含まれてはいるけれど普段だったら選択しないものがいい。

昼過ぎ、野菜を焼いた。暑くて真夏みたいに汗をかいていた。ご飯を食べるつもりが、その前に生活を詰め込もうと書いたり調べたりしていたら夕方になった。夕陽が鉄塔を差している。

あとはラジオと音楽に浸っていた。数年前に繰り返し聞いていた曲が流れて、その時の空気を思い出した。急に聴くようになったその曲の詩は、その後起きた悲しいことの前触れみたいだったんだ。聞いていたら泣きたくなった。

思い返せばそのころがいちばん落ち込んでいた気がする。この先のことなんて分からないけれど、平和ならそのくらい許せるなんて思えない悲しいことだってあるんだと思った。

悲しいより寂しいのほうが実感できるけれど、悲しみは確かにあって、その鮮明さに目を向けられないから捉えられないし覚えていられないんだ。

真夏みたいな曲を歌っていたけれど、そんな青さを藍色は容赦なく塗り替えていく。綺麗なものではない、ただ深くて暗いだけの寂しさだ。もう誰もそんな気持ちにならなければいいのにと思う。そんなの無理だと分かってるのにまだ信じたくて願ってしまう。そんな気持ちで暮れていく部屋にいた。

今日も籠っていた。何かをしているわけじゃないから何も進んでいない。この部屋だけが置いていかれる。それが本当ならどれだけ楽だろう。違うことくらい気づいてる。

励ますように次の曲に変わり、やりかけた食事の支度を思い出した。

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