自分は他人なんて嘘だよ、知らなかったなんて言って逃げるのは。

今日は早起きだった。食事を済ませて、着替えて外に出た。

信号待ちの向こう側、小学生がいた。スーツを来た両親と一緒にいる。両耳の音楽を超えて、泣き声が聞こえてきた。その子の声だった。信号が青になって、母親に手を引かれて学校へ向かっていた。

まだ低学年くらいの子だった。自分もそのくらいの時のことを思い出した。とにかく毎日窮屈で、でもそれが全てだから世界の全部が狭かった。嫌な友達がいる学校になんて行きたくなかった。毎日同じ人と同じ場所で遊ぶ放課後が嫌だった。

毎日お腹が痛かったけど、大人の顔色を伺ってばかりの子供だった気がする。嫌な子供だ。昔の自分がいれば、あんなに泣いて気持ちを訴えられるのは羨ましがるだろう。

次の信号までの道で、またスーツ姿の親と歩く幼稚園児を見た。今日は卒業式なのかもしれない。さっき泣いていた子は、誰かと離れるのが嫌なのかもしれないと思った。

過去に思いを馳せても電車は時間通りやってくるから、駅まで急ぐ。急がなくても間に合う余裕があった。ベンチに座ってぼんやり音楽を聴いていた。

電車を乗り継いで、辿り着いて、用事を済ませた。帰り道、途中の駅で降りて古本屋に寄った。少し遠かったけど歩けそうだったから歩いてみた。写真を撮りながら進んだ。カメラを持って知らない街を彷徨うように歩くと、写真家になったようで気分が良かった。

欲しい本はあったけれど、今日は我慢した。定価300円の哲学書が400円で売られていた。価値とはそういうものだと思った。どれだけ高くても気持ちが動かなければ自分にとって価値は低い。反対に、安く売られていても今欲しているものは価値が高い。値段と気持ちの価値は必ず同じになるわけじゃないから上手く出会えたら最高だ。今日は上手く出会えなかったんだ。

店内には小さい子供を連れた家族がいた。孫が欲しいなら買ってあげるよとおじいちゃんが言い、これはこの間買ってあげたねとおばあちゃんが言う。子供は本を捲りながら、あれもこれも嫌だと叫んでいた。本屋さんでは静かにしてとお母さんが言う。子供よりも大人の会話の方が煩かった。内容が入ってくるという鬱陶しさがあった。

高い棚の本を取ってお兄ちゃんと妹が言う。届かないとお兄ちゃんは渋っているけど、ほらあれ取ってと妹の声が大きくなる。近くにいたおじいさんが脚立の存在を教えて、妹は自分で本を取れたみたいだった。

何も手に取れない自分は、知らないタイトルをぼんやり眺めていた。

結構経って、店を出てまた歩く。写真を撮りながら歩く。駅に着いて、電車に乗って、最寄り駅まで眠った。

帰り道は少し遠回りして、昨日、猫がいたところまで行ってみた。当たり前だけどもういなくて、少し安心してしまった。良い未来なんて訪れている確率の方が低いと思うけれど、そんなことより苦しそうな様子を見たくなかったんだろう。狡いからそうやって確実な安心を得たいんだ。

帰宅して、洗濯機を回す。風呂に入る。このあとはきっと、洗濯物を干して、食事でもして、全て忘れて眠るんだろう。

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