本当にずっと欲しいものっていつまで欲しいんだろうな。

本当にずっと欲しかったものは、いつしか手に入れることが目的になってしまってそのもの自体に価値を感じられなくなる。言葉では分かっていても、その場に直面したらすっかり抜け落ちているんだろう。

それなら欲しいものはなんだろうと考える。自分は目に見えないものが欲しい。関係や価値を手に入れたい。それは自分の存在もそうだけど、他人との在り方が大きい。

自分は他人、みたいなことを言っていた人がいた。自己と他者の境目は人によって厚みが違うらしい。自分も子供の頃はもっとはっきりあった気がする。思い返すから子供の頃が浮かぶだけで実はもっと最近までそうだったんだ。他人との線引きが濃かった。会うたび話すたび触れるたびに重ね重ね引いていた。

でも最近は意図的に溶かすようにしている。希望は、相手がこの人は自分なんじゃないかと惑うくらい極限まで曖昧にしたい。

ただ、そういう感覚を味わいたくなっただけだ。溶け合ってもその人になれるわけじゃないし、むしろその人を薄めてしまう。憧れとか尊敬とかそういうものとは別の意識で、感覚を盗むようなことだ。自分はたくさんの感覚が欲しいんだ。その色を並べて使いこなしてみたい。

どうしてそんなことを考えていたのか分からない。小説のせいだ。絡まった話はついにまとまりそうだけど、勝手にまとめてくれるなと思っている。

朝方寝たせいで起きたら正午過ぎていて落ち込む。短編小説が掲載されていたから布団に潜ったまま読んだ。不穏が不気味に変わっていく書き方が上手くて夢中で読んだ。本当に短編だったけれど、程よく歪でざらつきが残る話だった。信じ方次第で受け流すことも考え続けることもできる結末だった。

いつの間にか予報は変わり、今日も雨が降っていた。昼過ぎには止むみたいだったから食事をして着替えて買い物に行った。

途中の道で大人が班になって説明を受けていた。修学旅行で地域の人に話を聞くように、数人が輪になっていた。車道の向こうに目をやると同じ光景があった。何かの研修なんだろうか。あれは確かに大人だった。

店はどこも多かった。レジをしてくれた店員さんが丁寧だったからちょっと元気が出た。

帰り道、行き道では濡れていた道が乾きかけていた。帰り道、行き道では日向ぼっこして寝ていた犬と目が合った。

ちょっと寄り道して自転車の空気を入れてもらった。自分で入れるより早いしたくさん入る。これからも頼もうと思った。

やりながら別の客にこのタイプのタイヤはこうやって入れるんだと説明していた。その人もへぇーとか、じゃあ家で入れられないのとか聞いていた。調べたら分かることだけど、やっぱり分かる人に聞く方がちゃんと理解できるし、やっぱり実物を見ながら説明してくれる方が覚えられる。役に立てたならあの時行って良かった。

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