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父の姿に、涙をこらえられませんでした。

 今日は久しぶりに実家に帰り、病院にいる父に会いに行きました。病院のベッドに寝る父の姿は変わり果て、その姿に複雑な感情がこみ上げてきました。

 昨年の7月父は交通事故により、ほとんど植物人間のような状態になってしまいました。脳の機能が損傷され、声を聞き取り簡単な意志の疎通をすることと右目と手を動かすことぐらししかできない状態になってしまいました。体を動かすことはおろか、話すこともできません。たくさんの管につながれ水と栄養を補給されています。まだ53歳です。
 ラーメンとビールが大好きで、少し肥満体形の父でしたが、今日会いに行くとまるで骸骨のよう。そばに行くその一歩がなかなか踏み出せませんでした。
 母に促され、開いている右目の方によって行くと、父の右目は私の姿を追いかけました。父はまばたきと手を握り締めることで意思表示をするので、手を握りしめながら、その開いている右目に向かって必死に語りかけました。
 大学で勉強頑張っていること、バイトの話、たった15分しかない面会時間にたくさんの話をしました。話の中で母が「バイト先見に行ってきたよ!パパも〇〇のバイト先行きたいよね?見に行きたいよね?」と問いかけました。すると父は右目と開かないはずの左目をうっすらと開きながら話を聞き、大きく深くまばたきをしました。それは父の、今日一番の「YES」でした。
 僕もみてほしいよ。みにきてよ。頑張ってるねっていいにきてよ。応援しに来てよ。一緒にお酒飲むって約束したじゃん。僕はもう20歳になったよ。一緒にお酒飲みたかったよ。もっといっぱいお話したかったよ。たくさんたくさん話したいことあるよ。なんでだよ。

 私たち親子は決して仲がいいとは言えない親子でした。日ごろからあまり話すこともなく、プライベートなことを話すということは全くと言っていいほどありませんでした。しかしそれでも年を重ね、いろいろな経験をし、父からも話を聞きたいと思い、積極的に話を聞きに行くようになった矢先に起こった出来事でした。 
 実家は愛知にあり、大阪の大学に行っている私はその日母からの「今日が最後かもしれない」という電話で目を覚ましました。新幹線に飛び乗り、父もお医者さんにもキセキといわせるほどのキセキを起こし、生き残りました。
 今一番に感じることは後悔です。
 今になって話したいこと、したいことが次々に思い浮かんできます。しかし今どれだけ悔やんでも、もう父と話すこともどこかへ行くことも叶いません。
 よく「後悔のない人生を」という言葉を聞きます。それはその通りだと思いますが、後悔がないなんてとても難しい話でしょう。
 しかしこのことがあってから、「その一瞬を、その人を大切にしよう」と思うようになりました。時間は限られているにも関わらず、私たちを無視してどんどん先に行ってしまいます。人も一生に出会える人はごくわずかで、その出会えた人も次はないかもしれません。人にもいろいろな人がいて、なんだこの人と思う人に出会うことも多いと思います。しかしその人に何かひどいことを言ってしまって、それが最後になってしまったら。そんなこともありえると思います。そうやってその一瞬、その人を大切にできていなかったと思うことをしてしまったとき、「後悔」というものは生まれるのだと私は思います。どれだけ頑張っても後悔というものは生まれると思います。でもだからこそ、その一瞬をその人を大切に今を大切に今に全力で生きていきたいと思います。
 今そばにいてくれる人のことを決して当たりまえに思うことなく、どれだけ嫌いな人でも嫌なところがある人でも、一度立ち止まってしっかりと考える。父は今自分のすべてをかけて、私にたくさんのことを教えてくれているように思います。

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