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京浜急行 デハ1000形電車を偲ぶ


写真

▲ 2000年頃のありふれた光景。1968年までに製造された初期型の廃車は進んだものの、
1972年から製造が再開された後期型は多くが活躍していた。
▲ 六郷川橋梁を駆ける。京浜工業地帯の中の、京浜急行らしい風景の一つ。
▲ 晩年は大師線で活躍した
▲ 夕暮れ時、三浦半島の山間の小駅。木造駅舎は1930年の開業当時からのもの。
郷愁感ただよう懐かしい風景も、京浜急行らしさの一つ。
▲ 引退迫るデハ1000形。ブレブレ写真だが最後はこうしたかった。惜別ショット。

京浜急行 デハ1000形 とは

京浜急行 デハ1000形電車 は、京浜急行電鉄を代表した通勤形電車。
1968年(昭和43年) 10月から直通運転を開始した都営地下鉄1号線(浅草線)に用いる車両として導入されました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/京急1000形電車_(初代)

1959年(昭和34年)から初代800形として製造が始まり、1960年(昭和35年)から1978年(昭和53年)まで、356輌のデハ1000形の量産が続けられました。

全金属製の軽量車体、カルダン駆動、発電制動を備えた高性能車輌であり、
初代700型を改めた2代目600形クロスシート車の3ドアロングシート車版でした。
高度経済成長時代の、京浜急行のシンボルでした。

都営地下鉄1号線(浅草線)の直通運転のために製造され、その動力性能は高加速度と高速性能の両立を目指したものでした。
75kW (1968年(昭和43年)製造まで)、 90kW (1972年(昭和47年)製造から)の電動機4台を搭載し、全車輌を電動車(デハ)とした走りは、軽快、痛快でした。

発車を始める際は、豪快な衝撃をもって乗客に伝わるカム軸進段ショックが特に印象的であり、質素な内装もあいまって「これぞ京浜急行」と言えるものでした。
発車を初める際、台車から激しい雄叫びをあげる車輌があり、耳を澄ませてワクワクしながら座席に腰掛けたものです。
つど乗り合わせる車輌番号の確認が欠かせない楽しさがありました。
(1968年(昭和43年)までに川崎車輛でOK型台車を備えて製造され、三菱電機製の電装品をもつ編成)

乗客の身体に伝わるメカニックな衝撃、視覚、音、匂い。
「路地裏の超特急」よろしく、窓を開け、レールのジョイント音を響かせて、勢いよく街中を駆け抜ける走りの楽しさ。
それらのどれもが印象深いものでした。

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