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🟠#2「仮設」から生まれた「常設展示」【B-013】~Museumソムリエ★インターン集中講義(8)

Museumソムリエ⭐インターン集中講義は、利用者視点(利用論)の獲得により、「ミュージアムにおける新たな視界」にアプローチするための準備プログラムです。インターンの皆さんはもちろんですが、一般の皆さんにも〈ご閲覧・一部参加〉していただくことができます。また、より深く実践的に考える「Museumソムリエ基礎講座」(メンバーシップ形式)は、2023年1月の開講を予定しています。

🟧Museumソムリエ⭐インターン集中講義
【第8回】
 #2「仮設」から生まれた「常設展示」

Museumソムリエの高山です。
インターン集中講義の第7回~第9回は、
「仮設」と「常設」の関係を深く理解するために、「案内人のブログ」から3つの記事を掲載します。

(2022.11.17)

🟨案内人のブログ#2
「仮設」から生まれた「常設展示」

🌑「仮設」の博覧会から生まれた、博物館の「常設展示」

大規模なパビリオンが立ち並ぶ、1970年の「日本万国博覧会」(大阪万博EXPO'70)には、大規模かつ先端技術を結集した「展示技術」を必要としていました。この世紀の要請に、なんとか応えたのは、ディスプレイ会社でした。

1970年当時、ディスプレイ会社の主要な活動領域は、頻繁な模様替えによる新鮮なイメージの維持を必要とする「百貨店」空間と、東京モーターショーのような会期限定の「展示会」空間でした。ともに、つくり出す空間としての性質は、期間が限定された「仮設」だと言えます。

ディスプレイの仕事の本質もまた「仮設」であり、消滅を前提とし、新たに変化することを必然とするものでした。

 半年間の会期が終了すれば消滅する「大阪万博」の空間づくりで、「仮設」を本質とする"ディスプレイ会社"が活躍することは、至極突然の成りゆきでした。

「大阪万博」は、約6ヶ月間という会期限定のイベントでしたので、そこに出現した空間はすべて「仮設」だったからです。

事実、開会の6ヶ月後には解体工事が始まり、何十ものパビリオンは跡形もなく消え去ったのです。(「太陽の塔」を残して)

それから10年後、私がディスプレイ会社に入社した1980年、ディスプレイ会社は「展示会社」とも呼ばれるようになり、博物館の展示空間をつくるプロという意味で、博物館に欠かせない存在となっていました。

1977年、万博会場跡地に開館した「国立民族学博物館(みんぱく)」が、万博テーマ館に出展するために蒐集されていた資料などを中心に、大規模で先端的な展示技術を揃えた「展示技術のショールーム」の役割も果たし、展示会社がつくる「博物館常設展示」は、またたくまに全国に波及していきました。

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