苦手意識と主体性と―学校教育の場合、社会教育の場合

学校教育では、「知識・技能」が備わることで、「思考」したり、「判断」したり、「表現」したりすることができるようになるとされる。

あるテーマに関して、知識もないのに、考えることできないでしょう?と。

博物館法改正するんだって。
博物館法って何?っていう段階では、なぜ改正するのか(思考)、改正がいいことなのかわるいことなのか(判断)、それを文章や言葉で説明する(表現)ことなどできない、ということ。

そこまではまぁ、そうかな、と思う。
問題は「主体的に学習に関わる態度」だろう。これは、「知識・技能」「思考・判断・表現」の上位にくるそうで。

「学ぶことに興味や関心をもち、見通しをもって粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って次につなげる」ことなのだそう。

博物館法について勉強しましたー、考えたり、表現したりすることができるようになりましたー。だけではなく、主体的にどう関わっていけるか、粘り強く取り組む・・・、次につなげる・・・。


さて、博物館をふくむ社会教育の学びは、どうなんだろうか。
私は、主体が先でもいいように思う。
主体を育むことで、知識や技能を必要とし、思考したり、表現もそれにともなって上昇していくというあり方もあっていいように思う。

その、学校教育と同じように「知識・技能」を伸ばす必要性もないし、「思考・判断・表現」も身についている人も多いと思う。

「苦手意識」をもっているものに、私たちは主体的になることが難しい。
関わらなくてもよいなら関わらない。
わざわざ理解できないものを見に行くこともしない。
でも、やってみたら楽しかった、食べてみたら美味しかったということはあるだろう。その「やってみたり」「食べてみる」主体性を刺激する場でもいいと思うのだ。

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