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勘三郎さんを想う

12月5日は勘三郎さんの祥月命日です。

勘三郎さんが星になった2012年は四代目猿之助襲名年でもあります。私にとっては忘れられない一年です。

その日の朝、TVのニュースで知り心がザワザワしたまま過ごしました。入院生活は知っていたけど、まさか復帰が叶わないままとは。全く考えていないことでした。

午前中には彌十郎さんが朝番組に急きょ電話で出演なさり、お話しながら泣いていらした。夜のTVでは、南座顔見世に出演中の中村屋兄弟の様子や口上を見て泣きました。大向うで勘九郎さんに「頑張れ!」とかかった声が全歌舞伎ファンの気持ちだと思いました。

歌舞伎を見始めてまもなく出会った平成中村座。浅草寺横の芝居小屋は私にとってのワンダーランドでした。法界坊のラストの桜吹雪を見ながら、こみ上げてくるものが何だかわからないまま泣いていました。

歌舞伎を見て初めて泣きました。舞台の勘三郎さんは’心’の人だと。その空間の心臓であったように思います。あたたかな血、清々しい酸素を私の体に巡らせてくれました。

勘三郎さんの’気持ち’に会場全体がくるまれ、舞台とお客の心を繋いでくださいました。歌舞伎ってこんなに会場ごと一体になれて、感動を分かち合えるものだと教えていただいた。お腹がよじれるほど笑い、お化粧がめちゃくちゃになるほど泣いた役者さんはいませんでした。

猿之助さんとの共演は残念ながら観ていないと思う。私の妄想ですが、タイプや演技は全く違うのに、猿之助さんを観ていると勘三郎さんを思い出す時があります。心の掴まれ方。。というか、一瞬で芝居に夢中にさせちゃう空気。

そうしたら、勘三郎さんが亀治郎時代の猿之助さんを観て、「すごいよ!俺に似てるよ!」と興奮して勘九郎さんに電話をしてきた話を知りました。いつかの会見で勘九郎さんが猿之助さんに話していました。その話を聴いて、わかるわかる!と思ったものです。

2012年12月の猿之助さんは15日に初日を迎える「助太刀屋助六外伝」がありました。実際、その舞台を観て勘三郎さんが重なったのです。

それまで猿之助さんを観て勘三郎さんを重ねたことはありません。悲しい時期だからかもしれません。でも猿之助さんの’情’に溢れた助六の演技を観て、勘三郎さんを観て泣いた時の芝居がリンクしたのです。

心の’ひだ’に触れられ気持ちが解放されていく感覚。嬉しい時は喜び、楽しい時は笑える、そして悲しい時は素直に泣ける。。猿之助さんの助六は、勘三郎さんから感じた優しい感覚を思わせました。きっと二人は愛に溢れた人なのだと感じました。


10年経っても12月は心の奥がちょっぴり痛い。また声が聴きたい、笑顔が見たい。笑って泣きたいです。クリスマスソングを聴くと「野田版鼠小僧」を思い出します。尺八の「ホワイトクリスマス」が流れ、雪降る中の勘三郎三太の姿が浮かびます。歌舞伎座で初めて大泣きしたお芝居でした。


楽しくて幸せな思い出を有難うございます。
私の宝物です。


aya


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