Bonjour Line -Works of Cornelius 001-
1989年にデビューしたFlipper's Guitarは、2年間で3枚のアルバムを発表後、1991年10月に突然その活動を終了した。既にチケット販売を終えていたライブツアーは中止、企画が始まっていた4枚目のアルバムも立ち消えとなり、スケジュールは全て白紙になったという。
解散の理由や経緯が詳しく語られたことはなく、小山田はこの後しばらく沈黙することになる。その解散とほぼ同時期に、ちょうど併行して関わっていたコンピレーションアルバム『BLOW-UP』が発表された。これに含まれる2曲が、デビュー以来初めて、Flipper's Guitarから離れた場所で小山田が制作した楽曲となる。
瀧見憲司
『BLOW-UP』はインディーズレーベルCrue-L Recordsの第1弾アルバムとしてリリースされた。Crue-Lはのちに「渋谷系」と称されるムーブメントの中心的存在のひとつとなるレーベルである。
Crue-L代表を務める瀧見憲司は、もともとは音楽誌Fool's Mateの編集者で、担当するレビューコーナーでイギリスのインディー盤を数多く取り上げていた。その頃高校生だった小山田と小沢は、瀧見の書いたレビューを毎号熟読し、そこで紹介されていたレコードを片っ端から聴いていたという。
1988年度後半から、瀧見はクラブイベントLove Paradeを定期的に開催するようになる。主にイギリスのニューウェイヴのレコードをかけるイベントで、小山田と小沢はその初回から客として参加していた。
Kahimi Karie
同じく初期からLove Paradeに出入りしていたのが、のちのカヒミ・カリィである。カヒミは当時Fool's Mate誌にフォトグラファーとして関わっていた。フランスの作曲家セルジュ・ゲンスブールや、イギリスのélレーベルなどの音楽を好んで聴いていたこともあり、興味の共通する瀧見との交流が深まったという。こうしてLove Paradeの場はUKニューウェイヴやネオアコを好む者たちの集うサークルとなっていった。
ここから始まった縁で、カヒミは1990年のFlipper's Guitarの作品に二度参加している。まずビデオ『The Lost Pictures』には役者として出演した。これは身近にいる女性に頼んで出てもらったという程度で、曲に合わせてタンバリンを叩いたりベースを弾いたりするシーンはあるものの、プロのミュージシャンとしての参加ではない。
歌い手としての最初の作品は、次に参加したコンピレーションアルバム『Fab Gear』に収録されている。フリッパーズがプロデュースする女性デュオFancy Face Groovy Nameのメンバーとして「Love is yé-yé (looking for my idol)」を歌唱した。とはいえ、これも内輪の遊びに近い感覚だったようで、カヒミ本人によるとこの時は「音楽をやっていくとは思っていなかった」という。
"Kahimi Karie"の名前がついたのはこの作品がきっかけである。本気ではなかったこともあってか、本名ではつまらないので別名を使おうという話になり、瀧見にアイディアを求めたという。瀧見は二人の本名のアルファベットを足して並べ替えて(おそらくいくつかの微調整も加えて)名前をつけた。「言葉の響きだけで選んだ」(瀧見)「適当につけた」(カヒミ)という後年の発言もあるが、1995年頃には「無国籍な感じにしたほうが面白いと思って」(カヒミ)と由来を語っている。
ちなみにFancy Face Groovy Nameのもう一人のメンバーは、数年後に再びCorneliusと関わりの深いミュージシャンとなる嶺川貴子である。この時は"Mamene Kirerie"と名乗っていた。
BLOW-UP
小山田と同じように瀧見の身近にいて、UKインディー文化と呼応するセンスを持ちながらも、陽の目を見ていないミュージシャンは他にもいた。彼らを世に紹介したい、というのが、瀧見がCrue-Lを設立し『BLOW-UP』を発売する動機となったようだ。その制作や運営には小山田も少なからず関わっていたことが想像される。名前がクレジットされているのはカヒミの2曲のみだが、完成時には瀧見と二人で電車に乗ってCDを運び店舗へ納品したこともあったという。周囲のミュージシャンを紹介するというスタンスについても、のちにTrattoriaレーベルへ関与する際の小山田の姿勢と共通するところがあると感じる。
「6 Singles and 6 Jingles」のサブタイトルが表すように、アルバムには6組のアーティストによる「5分前後の曲」と「1分前後の小品」の計2曲ずつがそれぞれ収録されている。アルバムのトータルのバランスを見たときに、女性ソロアーティストも入れたほうがよいという話になってカヒミに白羽の矢が立ったのかもしれない(『Fab Gear』のときもその理由で起用されたらしい)。とはいえこの時は小山田が積極的に推したわけではなく、周囲からの提案のほうが大きかったようである。
6組といっても、Venus Peter以外のバンド(Bridge、Marble Hammock、Favourite Marine、Roof)はメンバーが互いにかなり重複している。カヒミの楽曲を演奏している"The Cruel Grand Orchestra"も、実態はほとんどVenus Peter以外のバンドからの合同参加のようである。小山田はconducter=指揮者とされており、どうやら演奏には参加していない。
Bonjour Line
前置きが長くなったが、そんなわけで、記念すべきカヒミ・カリィ名義の初めての作品、そして一人になった小山田の最初の仕事が「Bonjour Line」である。
20世紀初頭のパリの大衆音楽「ミュゼット」を基調としたような、ワルツ調のリズム。それを刻むガット・ギターの音色が素朴かつ可愛らしく、カヒミのウィスパーボイスを引き立てている。カヒミが書いた歌詞はフランス語であり、インナースリーブのカヒミの写真では背景に60'sのフランスのレコードジャケットが並ぶなど、フレンチ・ポップスの雰囲気を目指していることがわかる。
ただしこの曲には、フレンチ以外で明らかに意識している楽曲が、少なくとも2曲ある。まず一つ目にイギリスのélレーベルから、Marden Hillの「Curtain」。印象的なワルツのリズムとコーラスを引用している。もう一つはイタリア映画「新・黄金の七人 7×7」のサウンドトラックから、「The Red Bus」。主旋律をスキャットで引用している。
él・サントラ・フレンチポップスというのは、カヒミが元々好んできたジャンルであることを本人が語っていると同時に、小山田もFlipper's Guitar時代から参照してきた組み合わせである。リスナーとして以前から二人が互いに勧め合い、影響し合ってきたことがうかがえる。
間奏ではテンポがスローになり、女性二人の電話での会話が描写される。ここで相手役として登場するのが "Mamine Kierie" 『Fab Gear』の時と綴りが異なっているのがやや引っかかるが、Fancy Face Groovy Name・嶺川貴子との再共演である(と思われる)。
個人的にこの組み合わせに思い入れがあるせいか、この電話シーンの印象が強い。そのためか "電話" を題材として扱っていることがタイトルの「Bonjour "Line"」という言葉と関係しているのだろうと思い込んでいたが、改めて歌詞を読んでみると、別にそうでもないような気もしてきた。。タイトルで検索すると、フランス版の幼児向け「ことばの本」のようなものがヒットするので、もしかしたらそちらからの引用なのかもしれない。
Cruel Records Strikes Back
もう一曲、"ジングル" の「Cruel Records Strikes Back」についても簡単に触れておこう。こちらはスパイ映画のサウンドトラック風で、1分程度の短い曲ながら二部構成となっている。前半はスローな4ビートで、スキャット+ウォーキングベースの妖艶な雰囲気。テンポが上がって後半はモッズ風サーフ・サウンドで、マイナー・ブルース進行のギターリフとオルガンの響きがクールだ。
曲調は映画「黄金の七人」のテーマ曲(前半)+Marden Hill「Bacchus Is Back」(後半)と類似しており、おそらく「Bonjour Line」の組み合わせと揃えたのではないか、と考えた。さらに、前半のメロディーはアメリカの探偵モノTVドラマ「Peter Gunn」のサントラ、後半のリフのフレーズやスポークン・ワードはVirna Lindt「Attention Stockholm」も下敷きにしているようだ。これらはスパイ風味で共通させたものとみられる。
今回の2曲は『BLOW-UP』以外には収録されていない。その『BLOW-UP』はどうやら残念ながら廃盤で、配信もされていないようである。初回盤と再発盤とで異なる2種類のジャケットが存在しており、特に前者の値段は一時かなり高騰していたこともあるようだが、入手自体は比較的容易である。
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