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ちらりとにじむ女性の色つやをうつし出す│フォトグラファー東山弥生

「帰り道、丸の内で素敵なチョコを見つけてね!かわいくて美しくて、思わず買ってしまったの!だから、約束の時間にぎりぎりになっちゃって」

そういって少し息を切らせながら、パソコンの画面越しにマザーハウスのものだというグラデーションの包み紙を見せてくれた。


そんな無邪気で妖艶でチャーミングな彼女こそ、今回写真展《prism ofμ's》に参加するフォトグラファーのひとり。
東山弥生さんだ。


撮影のテーマは「ちらりずむ」。

ちらりと見える素肌の「ちら」
そして
ちらりと現れる心の「ちら」。

その繊細な機微を撮影で表現する。


なぜこんなに楽しいことを知らなかったのか──撮ることとの出会い

写真を始めたのはちょうど4年前の今頃。
2月だという。

当時、子どもの行事を撮影するための一眼レフのデジタルカメラは家に置いてあったけれど、カメラを持つのは主に夫だった。使い方も分からなかった。

その頃、彼女はベビーケアの講師をしていた。

産後の女性とベビー向けのエクササイズをしたり、抱っこやおんぶを実践で伝えたり、ベビーマッサージを教えたり。

自分のスマートフォンで講座の風景を撮るのが好きだった。

講師仲間と共同で開催する講座では、広報担当として写真を撮った。

講師とお客様、そして赤ちゃんの姿を収める。
その写真が好評だった。

「役に立った実感もあったし、撮るのを面白いと感じていたのかもしれない」

言われてみれば、教室を開催していてもお客様であるママさんたちから「自分と子どもの写真がないの」と、相談を受けたことがある。

時折、自分が主宰するベビーマッサージの教室にカメラマンを呼んで、最後にママと赤ちゃんで記念撮影をしてもらう企画をした。

でも、その仕事を自分がするようになるとは、思いもよらなかった。


その、4年前のある日。
多摩川沿いを車で走っていた。
やけに夕日がきれいな日だった。

「あ、撮りたいな」

そう思ったけれど、車で移動中だ。
急に車を止められるスペースもない。

「仕方ない」

そう思って諦めた。
けれど、河川敷でカメラ小僧たちが集まって夕日を撮っていた。

「私も撮りたい!」
「悔しい!」

生まれて初めて
撮影できないことを悔しいと感じた。

次の日、使い方もわからない自宅の一眼レフを引っ張り出し、自転車で河川敷に向かった。

夢中でシャッターを切った。
夕日は今日も美しく。
分けも分からず、涙が出た。


その時撮った写真は今も残してある



「なんでこんなに楽しいことを、私は今までしてこなかったんだろう」

数か月前に知り合ったカメラマンにふと

「なんで今までやらなかったんだろう」

とメッセージを送った。

「いつでもレッスン受け付けるよ」

軽く帰ってきた返事が、
人生の分かれ道だった。


ベビーエクササイズ講師からカメラマンへ


ちょうど産後エクササイズ講師の引退を数か月後に控えていた。

数か月前に膝を痛めた。
女性として身体が変化するタイミングなのか。
仕事の目標やモチベーションも緩やかに落ちていた。

潮時ではないか。
その思いがよぎり、8年続けた講師を引退することにした。そんなタイミングだった。

もう一つの講師をしながら、講座風景や、親子写真を撮ったらいいかも。

そうして、カメラの世界に飛び込むことを決めた。


あの時連絡したカメラマンから受けることにしたレッスンの期間は3か月だった。

ゼロからのスタートでビジネス構築をするなら3か月では難しいと、師匠となった例のカメラマンから言われた。

「でも、全力投球するならば、できるかもしれない」

その言葉を聞いて、すでに決まっていた週三回のレストランのパートタイマーを辞退した。


夫には驚かれ、親からは反対の声もあがった。

「カメラマンになるには専門学校を出たり長い期間修行がいると私も思っていたから、みんなが反対するのもよくわかる」

過去を振り返って小さく笑う姿はどちらかといえばかわいらしい雰囲気だ。そんな重大な選択を、えいやっとしてしまうようには見えない奥ゆかしさを感じる。
それでも、中にひしめいていた熱狂的な想いが、彼女を撮影という世界に誘ったのかもしれない。

「なんでもないわたし」という女性を撮りたい

講座を受けながら、親子撮影とサロン・教室の風景撮影のモニター募集を始めた。

それが、いつの間にか「女性を撮りたい」に変わっていった。

「何か特別な転機や理由があったというわけではないけれど」


親子を撮るのも、お母さんは女性だ。

そしてサロン・教室撮影も、オーナーさんや講師のほとんどが女性だった。

「だからかな。いつの間にか女性を撮りたくなった」


親子撮影でお母さんを撮る時、彼女たちはみんな「ママモード」だった。

サロン講師の撮影では「仕事モード」。

その中にちらりと「彼女たち自身」が出てくることがある。

ところが、女性の個人撮影は、その「彼女たち自身」だけを撮る。

ママでもない、講師でもOLでもない。

なんでもない「わたし」だけが写真として切り取られる。


自身もカメラマン仲間に撮ってもらうことで、

今の私はなんでもない「わたし」だなと気づくことが多くなったという。

お客さまからも「気持ちが解放される」というご感想をいただくことが多い。


例えば海に行ったとして、ひとりで行って、素足ではしゃいで、波と戯れるなんてするだろうか。

普段だったら、素足になってしばらくぼーっとすることはあるかもしれない。

ところが、それを撮る人がいる。
時に対話しながら、沈黙しながら、その様子を撮影していく。

そうすると、何をしてもいい。その行動や様子を、見守り残していくカメラマンという存在がいる。


自分だけのためにその時間がある。
それは最高に贅沢な時間の使い方だと、彼女は言う。



撮影を始めたばかりでカメラの技術が追いついていない時でも、お客様はみな撮っている最中に表情がどんどん変わっていった。

そして楽しそうに帰っていくのだ。

撮影というその時間にこそ意味があるのかもしれない。

その想いがだんだんと確信に変わっていった。


撮影の中で自由にふるまう自身に驚いていたのはお客様だけではない。

彼女自身も、撮られることを通して気づいたことがたくさんあった。

「私、撮られること好きだったんだな」

もともと表現することは好きだった。

20代の後半には社交ダンスやジャズダンスを習い、その後バレエ教室に通った。

バレエは初めてではなかった。

だが、かつて少女時代に挑戦したときはトゥシューズを履く前に辞めてしまった。もう少し頑張ればよかったのかもしれないと、今なら言えるがその時は無理だった。

それでも、もう一度チャレンジしたいと習い始めたバレエは、鬼門だった。

踊るのは楽しかった。
しかし、発表会に出演するようになると、続けていた人との技術の開きを目の当たりにする。

あの時続けていたらもっとうまく踊れたかもしれない。
もっと中央の役に抜擢されたかもしれない。

振付どおりにできない自分のふがいなさに、家で泣くことも一度や二度ではなかった。

さみしさや劣等感を感じて、だんだん踊るのが苦痛になった。


「表現するって苦しい」


そんな挫折を経験したからこそ、撮影という時間がもたらしたものは「自由」だった。

自由に表現していい。

もちろん、撮影前に自分を磨くこともある。
でもそれも誰かと比べて上手い下手という話ではなく、自分を自分らしく表現すればいい。
いいものを作るために、カメラマンと相談して、さらに自分を磨き上げる。

そこにジャッジするものも、優劣もない。


二度、自分の写真がパネルになった。
師匠である丸山嘉嗣の写真展、そして小木曽絵美子の写真展。

パネルになった自分の写真に

「わたし、主役なんだ」

と涙がでた。
苦痛の涙ではなかった。



「全ての女性が主役になれる。
だから、撮影という自由で最高に贅沢な時間を体験してほしい。」

なにかを想い出したようにじんわりとこみ上げた涙をぬぐいながら、彼女は微笑んだ。


「ちらりずむ」に込めた想い

元々は、ランジェリーフォトを募集していた。

3年ほど前から、何度かランジェリーフォトやヌードで撮影して、その良さを体感したからこそだった。

どの撮影でも、えも言われぬ自分の身体への愛おしさを感じた。

ある日、撮影講座のアシスタントで仲良くなったレッスン生と一緒にスタジを借りて、おのおのランジェリーフォトで撮りあいっこをした。

まるで女子会のような朗らかな雰囲気だった。

「お互いを尊びながら、美しいと感じながら撮影するってなんて素敵なんだろう」


それから募集したランジェリーフォトのモニター撮影でも、お客様から

「撮影を通して自分が愛おしくなった」
「自分を大切にしたいと思えた」

という反応が多く来た。


エロいのもいい。
でも、エロさだけが目的じゃない。

自分を愛おしく感じる手段としてランジェリー撮影がしたい。

ただ、そうは言ってもハードルは高かったらしい。

「気になるんです」と声をかけられることはあるが、それがなかなかお申し込みまでつながらなかった。

「やっぱり脱ぐと思うと不安で」
「女性に撮ってもらうのは分かっていても勇気がでなくて」

そんなときふと、太もものスリットから肌がちらりと見えている姿になぜかぞくりと粟肌がたった。

もしかして隠しているものがちらりと透けて見えてしまったほうが、エロいのかもしれない。

これは、私だからできる、私がやりたい撮影かもしれない!

その気づきを即座にカメラマン仲間にメッセージで送ってみた。

「それいいよ!」と背中を押された。

そうは言ってもランジェリーフォトでの申し込みの少なさの記憶は新しい。

ともあれモニター募集をしてみようと、軽い気持ちで募集を開始した。
即座に10人以上の申し込みがあった。嬉しい誤算だった。

「ランジェリーでは勇気がいるが、この撮影ならと思った」
「自分の中にある女性の部分を確認したい」

そんな動機で申し込みが殺到した。



そのモニター撮影を経て、今回の写真展に向けて撮影が始まる。

実際、今回写真展に向けての限定20席の超早割募集も、即日ソールドアウトした。

一般募集は、2月18日だ。
すでにソールドアウトのお知らせで撮影の存在を知った方から「早く予約したい」とラブコールが届いている。

「エロい人ですね」という褒め言葉

「最近、「あ、あのエロい人ですね!」って声をかけられることが増えたの」

と笑いながら彼女が言った。

いやらしさの中のエロさじゃない。
ただのエロい人だから、きっとこれでいいんだという。

エロスは生きることだ。

生きていく中で普通に存在する一部だから、変に隠すことじゃない。

だから、エロい人と呼ばれるのがいい。

先日、カメラマン仲間のライブ配信に出演したときに

「人はなぜチラチラ見せたがるのか」と質問された。

自分が見たいから。
自分の中の女性の部分、色つやの部分を見たい。

だからみんな、「ちらりずむ」に反応しているんだと思う。

身体、心、それぞれのちらりずむ

撮影をするたびに感じるのは、みんな違う「ちら」が出る。それが面白い。

蓋を開けてみると、モニター募集で応募してきた女性は40代以上の方が多かった。

女性は、惑う時期がある。

かつて自分がベビーエクササイズの講師を潮時と思ったときのように、身体の変化や心の変化がやってくる。

そういうタイミングで、ちらりずむという撮影を受けてほしい。

ちらりずむという撮影が気になったタイミングから、中にある「それ」はすでにじわじわとにじみ出ているからだ、と彼女は言う。

まるで炙り出しのようですね、と伝えると、
「懐かしい!理科の実験でやったー!」

とひとしきり笑ったあと

「炙り出しは果汁に熱を反応させる。女性はお花であり、果実。だからその人その人で、どんなふうに「ちらり」がにじみ出てくるか。それともしたたり落ちてくるか」

楽しそうに、どこか恍惚とつぶやいた。

写真展に向けて

写真展用の撮影は50枠の予定だ。
すでに20枠が超早割で埋まっている。

残り30枠の撮影はまもなく2月18日に始まる。

どんな人が撮影に来てほしいですか?と尋ねると、

「今の段階でも30代から60代の幅広い年代の人が申し込みをしてくれている。

だから年齢は本当に関係ない。

すこしでもぞわっとしたり、やっていいのかなと思う人ほど来てほしい。

えいやっと飛び込んでくれたら、絶対にうけとめるから」




渇望していた自由に表現することを許したからこそ、お客様の表現したい願いをどこまでも叶えようとできる。

奥ゆかしそうに見えたその奥には、やはり炎が潜んでいる。
その炎は、適度な距離から女性の色つやの美味しいところを、あぶりだしていくのだろう。

彼女の情熱と強さを感じた。

撮影会詳細


東山弥生
2023春 写真展出展撮影
「ちらりずむ」

【撮影予定期間】
3月末〜10月

【撮影予定地】
東京・横浜・横須賀猿島
鎌倉・名古屋・京都・北海道

【先行募集】
2月18日(金)12:00
公式LINEから開始
公式LINEはこちら



インタビュー・執筆:畑中さやか

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