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人生の陰影を鮮やかに切り取る│フォトグラファー齊藤朱音
アンティークな黒板調の背景を前に
「いっぱい話すけどついついとっちらかっちゃうのよね」
と少し緊張ぎみの笑顔を見せた。
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日本人、だけどどこかシャンソン歌手のような雰囲気を醸し出す齊藤朱音さん。
小木曽絵美子主催写真展《prism of μ'sーμ'sの軌跡》に出展する撮影の先行募集が2月16日に始まった。
akanetique(アカネティーク)と名付けた彼女の写真のテイストは、名前の通りアンティークのような、まるで外国で撮ったようシックな雰囲気が滲む。
カメラと共にあった青春時代
生まれた時から家にはカメラがあった。
ことあるごとにカメラで家族の写真を撮る。
まだ白黒だった写真はきちんとアルバムに貼られキャプションが書かれた。
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それを折りにふれては眺めていた。
そんな環境だった。
高校生の時には貼り出された行事の写真を申し込む、取りまとめ役を買って出た。
「好きな人の写真が欲しかったの。でも人に知られると恥ずかしいじゃない?だから、私が取りまとめて、友達にも『〇〇君の写真頼んでおく?』ってそれぞれの好きな人の写真を頼むか聞いてた」
社会人になって初めて自分でカメラを買った。
技術がなくてもシャッターボタンさえ押せば写真が撮れる簡単なものだ。
当時大流行していたスキーのゲレンデに毎週滑りに行った。
そこにいつも持っていって、友達を撮っては現像してプレゼントしていた。
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結婚し、子どもが産まれ、一眼レフのカメラを買おうと決めた。
自分も夫も詳しくはない。
悩みに悩んでヨドバシカメラの販売員に「お兄さんのおすすめはどれ?」と尋ね、言われるままにミノルタ製品を買った。
買ったはいいが、一眼レフのイメージだった背景がぼける写真は撮れなかった。
なぜだろうと思いながらも、シャッターを切れば記録は撮れる。たまに当たりくじのように背後がボケる。
なんとなく不満はありながらも、学ぶ場所もわからずとにかく撮っていた。
人生を変えたアメリカ生活
夫の転勤がアメリカに決まった。
海外在住は小さなころからの憧れだった。
一も二もなく付いていくことを決めた。
アンティークが身近になったのもこのころだ。
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アメリカでも、たくさん写真を撮った。
夫の任期が終わらないうちにと、アメリカ国内外問わず、家族で旅行三昧だった。
結果として、3年間、アメリカで暮らした。
現地でフィルムを現像に出すと、青が強く出るのも新鮮だった。
現像される一枚のサイズも大きい。
そんな中、スクラップブッキングという手法に出会って、のめり込む。
楽しい。
しかし、自分の撮った写真には納得がいかない。
「こうしたい」はあるのに、現像に出してみると出来上がりは思ったものと違う。
その繰り返しだった。
ある日、家族旅行で出かけたサウスダコタ州のバットランズ国立公園で集合写真を撮ろうと三脚を立てた。
その三脚が、突風に倒れた。
カメラのフィルムの収納口がどうやっても閉まらない。
ガムテープで無理やり固定して旅行を続けた。
そして齊藤家にデジタルカメラがやってきた。
その頃すでにミノルタはなく、また別のカメラで一から慣れていった。
絵画のような「写真」
アンティークが好きと公言する彼女だから、写真もフィルムの方が好きなのだろうか。
そんな疑問が浮かんで、
「フィルムとデジタルでは何か変わりましたか?」
と聞いてみた。
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フィルムは撮ってきて、現像に出して初めてどんな写真が撮れたかが分かる。
現像する人や会社によって色の出方も変わる。
「あと、ものすごく枚数を撮るから、旅行中フィルムは足りるかなっていつも心配しながら撮っていた」
デジタルではそれがない。
より気軽に、好きなだけ撮れる。
何よりパソコン上で色味を調整できるのがいい。
自分の好きな雰囲気、好きな色を出せる。
帰国してから、複数の講師からカメラを学び始めた。マニュアルで撮影する方法を教えてくれるという講座を見付け、そこで初めて雰囲気を自由に変える方法を身につけた。
「この色で撮りたい」「こんな風に撮りたい」という願いが、少しずつ現実に近づいてきた。
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今までは家族の他には、景色・静物ばかり撮ってきた。
昨年「物も撮れるんだから人も撮れるよ!」と言われた。
言われるままに人の撮り方を学んだ。
ところが、実際撮ってみると全く違う。
物は動かない。
編集する後のことをイメージして、頭の中にある完成形に近づけるためにじっくり時間をかけられる。
人はそうはいかない。
光の方向、その人の表情。
どんどん変わる。
変わるたびに、画角、背景、いろんなことを考える。
2021年1月、人の撮り方を教えてくれた先輩カメラマンの紹介で、京都のある女性のサロンに撮影に向かった。
初めて、納得する一枚が撮れた。
まるで絵画のような写真だと感じた。
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「私、人を撮ってもいいかもしれない」
カメラマンデビューと挫折と気づき
そこからカメラマンとしてデビューした。
2021年春夏撮影として17人の女性を撮った。
最初の撮影地は京都だった。
先ほどの女性が紹介してくれ、3人のお客様が申し込んでくれていた。
京都駅、京都の街並み、京都府立植物園から選べるようにしたが、その日は全員が植物園の希望だった。
以前、受けていた写真の講座の練習で訪れた場所だ。撮影したこともある。
だから大丈夫だろう。
甘く見ていた。
撮り始めてから失敗に気がついた。
タイミング悪く花も咲いていない。
緑の中で撮るのがこんなに難しいのか。
なんとか全員撮り終えて、疲労困憊でその場を終えた。
編集を終え後日納品すると、あるお客様から苦言を呈された。
「これは編集してありますか?」
「別のカメラマンにレタッチしてもらうかもしれません」
ショックだった。
やっぱり人を撮るなんて私には無理なんだ。
ところが、その次に行った京都駅では自分でも納得する写真が撮れた。
お客さまにも喜ばれた。
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そうか。
緑の中で撮影するのは私には向いていないんだ。
撮る場所に私のツボがないと、私には撮れない。
ツボといってもすこし人とは違う。
撮影前にロケハンで駅を歩き回った時、観光客が誰も通らないだろう道の端で見つけた掃除道具入れらしい扉に心が動いた。
京都駅全体のコンクリートの打ちっぱなしの雰囲気も良い。
その日来てくれたお客様が、無機質な背景の前に白いティーシャツとデニム、そして花束を持って立つ。
思わずシャッターを押す。
いい写真になった。
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わたしの撮影には「いい壁」が必要だ
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「いい壁ありますよ」
彼女はときおり、にやりと笑って、特別な秘密を知っているかのようにそっとささやく。
しかし、実際に行ってその場所を見ると
「え?ここに立つんですか?」とお客さんは戸惑うらしい。
そして実際に撮影してみてカメラのモニターを見ると「え?!この壁こうなるの?」と皆一様に驚く。
まるで魔法にでもかかったかのように、狐につままれた気分になる。
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そんな壁を探し始めたのは、人を撮り始めてからだ。
撮影会をすると決めた時、撮影場所をどうするか考えた。
丸の内はカメラマンがよく利用する。
同じような写真を撮ってもつまらない。
それでは隣のエリアの日本橋はどうだろう。
そう思ってロケハンで歩いていた時に、重厚な雰囲気のドアを見つけた。
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銀座でも、古いビルや基礎が石でできている場所や、柱にレリーフが彫られている壁があった。
最初のうちは、習っていたカメラの講師を現地に連れて行き、頼みこんだ。
「ここでこの雰囲気で写真を撮りたい。そのためにはどう撮影したらいいのか」
そのうち、何気ない場所の小さな壁でも目に留まるようになった。
そうして今もツボの壁はストックされ続けている。
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「無駄」と「遊び」の中に感じる豊かさ
アンティークが好きだ。
アンティークだけではなく、レトロな雰囲気やアンティークデザインもいい。
アメリカにいた時は自然派スーパーの折り込み広告が、レトロなイラストと文字だけしか書いていないのに見るたびに気になっていた。
道を歩いていても、車の助手席に乗っていても、雰囲気のある看板はつい目に入ってくる。
無印良品もいいけれど、一律に企画されたサイズの同じ色をしたものは、見える場所には置いておきたくない。
彼女の家の洗面所にあるティッシュケースは、ホーローのフタつきだそうだ。
いちいちフタを持ち上げないとティッシュは取り出せない。
それでも、洗面所の景色にはホーローのフタが合う。
「ちょっと不便なんだけどね」といいながら使うのがいい。
その不便さすらも愛おしい。
余計な飾りや、余計なフタ。
不便で、一見すると無駄にも見えるもの。
そこには遊びがある。
アンティークやレトロなデザインには、遊びを感じる。
人の手が作っているあたたかさがある。
グラスに気泡が入っているものもあれば、粒の位置が違うものもある。
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職人によっても雰囲気が変わる。
同じ商品なのに、よくよく見れば一つとして同じものがない。
そういう人の温度感を感じさせるところが好きだ。
言われてみれば、友人から
「あなたは人との温度感を大切にしているよね」
と評されたことがある。
息子の学校のPTAも自分から手を挙げた。
行事があるたびに、大変だけど一緒にやろうよ!と他のお母さんたちを引っ張った。
「たぶん、おせっかいなのかも」
高校の友達の好きな男の子の写真を頼むか聞いたり、スキー仲間に写真を配ったりしていた時と変わらず、自分も人も楽しむ方法を考えている。
カラッとしているのではなく、どこかウエットで、情が深い。
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「写真は、朱音さんにとってのコミュニケーションツールなんですね」
というと、「そうそう!」とうなずいたあと、カメラや写真とは全然関係ないんだけれど、と前置きして、
「昔から、みんなでワイワイするコミュニティを作りたいという夢がある」と語ってくれた。
子育てを終えて、ママ友たちとも疎遠になると、その先に待っているのは夫としか会話しない日々になってしまう。
繋がりが消えていくのは寂しいではないか。
消える繋がりがあるならば、新たに作られる繋がりがあればいい。
幸いにして自分には好きなものや興味がわくことがたくさんある。
同世代の知り合いに「朱音さんは趣味や仕事や、やりたいことがたくさんあってうらやましい」と言われると、もったいない気持ちになる。
やったらいい。
一人でできないなら、私と一緒にやろうよと、そう思う。
みんなで集まってご飯を食べてもいい。
誰かの趣味を一緒にやってもいい。
孤独にならない居場所を作りたい。
人生の陰影を鮮やかに切り取る一枚を
もしも自分で自分の写真を撮るならどんな雰囲気にしたいかと聞いてみた。
きっと頭の中で背景や構図を考えたのだろう。
しばらく沈黙のあと、返事が返ってきた。
絵画のような、白黒映画のような、アンティークを感じさせる写真がいい。アンダーの暗い色合いの中に、一筋の光を入れて光と影のコントラストを強くしたい。
フェルメールのような静謐な陰影が好きだ。
オードリー・ヘプバーンが好きなのも、笑顔のキュートさだけではなくて、高身長でプリマドンナを諦めたというバックボーンがあるからだ。
彼女の代表作『ティファニーで朝食を』は、人に幸せにしてもらおうとしていた主人公が、紆余曲折を経て自分の人生を幸せにするのは自分だと気づく物語だ。
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人には光も影もある。闇の時代もある。
光ばかりの、つぶ揃いの人なんてきっといない。
不揃いだろうと置き場所によっては一段と輝ける。
そして輝いている自分に気づくことができる。
それぞれの人に最適な背景になる「いい壁」があるように。
アンティークにはひとつひとつ違う良さがある。
人にもひとりひとりそれぞれの良さがある。
フタを持ち上げないと使えないホーローのティッシュケースのように、使いにくいものだろうとそれがしっくりくる場所がある。
自分の人生を幸せにするのは自分だと気づけたらいい。
一人でできないならば、私と一緒に楽しんだらいい。
そして繋がりの中の幸せを感じてほしい。
朱音さんの撮影は、アンティークという世界観に浸れる撮影だがそれだけではない。
時間をかけて作り出されたそれぞれの人生。
その人生の陰影を鮮やかに切り取る撮影だ。
その撮影の奥には人生の讃歌のような、彼女からのエールを感じずにはいられない。
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撮影会詳細
齊藤朱音2022春夏撮影「映画のワンシーンのような写真」
撮影期間
4月~7月
撮影場所
銀座・日本橋・神楽坂・京都・谷根千
先行募集
2月16日~2月末日
詳しくは
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