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虹と京都と、「親友」のかたち 。

私には20年の付き合いの女友達がいる。
ちなみに私は今年20歳になったので、実に0歳児の頃からの家族ぐるみの付き合いだ。家は徒歩3分、保育園、小学校、中学校も一緒、部活も一緒、高大は離れたが今はバイト先も一緒。幼馴染みで親友。腐れ縁ともいう。

私と彼女、"りお"は、つくづく変な関係だと思う。

まず、性格は正反対。私は昔から自己主張が激しく、仕切りたがりでせっかち。りおはとにかくのんびりしていて、優柔不断なマイペースだった。

趣味嗜好も揃わない。りおが物凄い熱量で語る2.5次元舞台やバーチャルYouTuberの話を私は少しも理解できないし、りおも私の推し俳優やアイドルが出るドラマは観ない。中学の部活は同じ吹奏楽部だったが、私は木管で旋律パートのクラリネット、りおは金管でベースのチューバをそれぞれ選んだ。

おそろいのものも持っていないし、服装も似ない。
そして絶対にいつも会うというわけでもない。

でも、親友はいますか?と問われて一番に思い出す顔は20年間一度も変わらずりおだ。不思議である。

お互い大学生になった今年、私とりおは2人で"20周年旅行"をした。夜行バスで京都大阪に2泊3日。よく一緒に出かけるし2家族でキャンプなどにも行ったことはあったが、2人で泊まり旅行に行くのは初めてだった。 

私が夜行バスをチャーターし、りおがホテルを予約してくれた。「コスパ重視で( ˙꒳​˙ )v」と注文を出したら1泊1600円の二段ベッド部屋をドヤ顔で発掘してきたので爆笑して即決した。なかなかに充実した旅行になった。  疲れたからと夕食を外で食べるのをやめて、1600円ホテルの部屋でエッグタルトやらプリンやらたこ焼きやらを買い込んで缶チューハイで乾杯したのが一番楽しかった。写真映えまったくなし、でも最高の旅だった。

その中でも忘れられない瞬間がある。

京都の町を市バスで回ったのだが、京都はバス停が本当に多くてとにかく難しい。狭い間隔で全く違う目的地に行くバスがいくつも止まる。
方向音痴の2人なので、当然目的地へ向かうバスを見つけられない。Googleマップの情報もイマイチ使いこなせない。

そしてホテルへ向かおうとして、何時間もかけてようやくたどり着いたと思い乗り込んだバスに、全く逆方向に連れていかれた。

すっかり日が落ちてきて、夕方になってしまった。私は完全に元気とやる気をなくして、Googleマップと京都の町と市バスに半ばキレながら足を蹴飛ばして歩いていた。

そのとき、りおがふと立ち止まって、「あ。」と言った。
「なに?」とくたびれた顔を上げると、紅掛色の空に小さな株虹が出ていた。雨なんて降ってなかったのに。
暑かった昼間の気温も緩んだ夕方の風が、そのとき思い出したように吹いた。

私は昔からしっかり者だと評価されることが多かった。実質的なところでいうと、大人に取り入るのが上手かったという方が正しい。勉強も出来たし、班長やら部長やら委員長やら、長のつくものをよくやってきた。

中学の頃、担任に、「りおちゃんと仲良いのはどうか」「もう少し同じようなしっかりした子と付き合ったら」とやんわり言われたことがある。
アンタに何がわかる、と思った。でもその気持ちを凝り固まった優等生を良しとする先生に説明できるだけの言葉を13歳の私は持っていなくて、何も言い返せなくて、それが吐きそうなくらい悔しかった。

りおは誰かに気に入られようとか、そういう考えは全く持っていない。ぼーっとしているし提出物もよく忘れた。でも小学生の頃から三人姉妹の長女として母親から頼りにされていた。優しくて温和で、人に怒ったりもほとんどしない。
小さい頃から「リーダー気質の私がのんびり屋のりおを引っ張っている」、そういう風に見られてきたし私もそう思っていたときもあったが、本当はそうじゃない。
いつもりおは「それでいいよ」と言ってくれたのだ。
私がやりたいことに、遊びたい遊びに、本気で楽しんで付き合ってくれたのだ。

そして、短気ですぐ周りのことにイライラしてしまう私の隣で、やさしい空の色や、ゆるい夏の風や、夕空の虹に気づかせてくれるのがりおなのだ。
助け合って生きてきたけれど、すこし多く助けてもらってきたのは私の方だ。

私たちはずっと一緒に生きてきたのに、何もかも正反対だ。これからは生きていく世界も変わって、会わない期間も増えるかもしれない。
でも、私にとってりおは唯一無二だ。どんなに会っていなくても、会えばすぐに昨日の続きのように話し出せる。もしもりおが困っているなら夜中でも車ぶっ飛ばして助けに行く。運転下手だけど。そして私もこれからも、りおに救われる。


「親友」ってどんな友達のことを指すのか、定義は曖昧で、でもそのなかでも私たちの関係はたぶん変なかたちをしている気がする。

その変な形の友情が、私の人生の中の大きな宝物なのだ。今ならあのときの担任に、堂々と言い返せる。















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