真似という学び
皆さまは、「真似をする」という言葉に対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
ひょっとすると、最近では、個性を重視する立場から、真似をすることを嫌う人々も多いのかもしれません。あるいは、「猿真似」という言葉があるように、やみくもに他人の真似をすることに対しては、必ずしもいいイメージは与えられていないようです。
また、真似をすることの負の側面として、盗作・盗用といった事象も残念ながらありそうです。安易にアイディアを真似して、あたかも自分が一から創作したかのようにふるまう事象 ― 悲しいかな実例も思い浮かびますね ― は、やはりあまり好ましいこととはいえないと思います。
そうは言うものの、真似をするということは、学びの基本中の基本ではないかと私は思っています。
実は、本当の意味で「真似をする」のは、実力がなければできないことです。
私自身は、若いときに邦楽(山田流箏曲)をお稽古していたこともあり、いわゆる「芸を盗む」という日本古来の芸道に流れる考え方にも多少親しんでいるところがありますが、そこで思うのは、「芸を盗む」にしても、盗むことができる能力がなければそもそも盗むこと自体できないという現実の厳しさですね。
なぜなら、目の前にある他人の芸を構成する要素を自分自身で感得して、どこをどうすれば自分自身で再現できるのか、そのすべての道筋を見つけ出し、習得しない限り、芸を盗むことは不可能だからです。
真似をするとは、そう安易なことではないのですね。事実、真似をすることが簡単であるならば、誰しも簡単に、ポリーニだの、ホロヴィッツだのといった巨匠の芸を真似することができるはずですよね。
実は、音楽に限らず、絵画でも書道でも真似をする技法は重要視されています。模写や臨書がその手法です。ひたすら先人の作品の真似をして、先人のメソッドを徹底的に研究する。これは、西洋でもある考え方ですね。一流の画家たちは、若い頃、ルーブルに通って模写に明け暮れる日々を送っていたりしますが、結局、他人の技術の要素を自分で再現する過程を通じて学ぶ重要性を理解しているからにほかなりません。
日本の芸能には、古くから守破離という考え方が存在しております。徹底的に真似をしたその後には、自分自身の芸を確立するプロセスが前提となっているのですね。また、千利休は、「規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」とも歌っておりますが、結局のところ、どんなに自分自身の芸風を確立したとしても、それは盤石な基礎の上に発展させることが重要だということなのだろうと思います。
考えてみれば、真似するということは、あくまでも先達の足跡の分析とその再現であるわけですが、主体的に学び表現しようとしない限り身にはつかないわけですよね。この主体性こそが、最終的には、個性につながっていく気がします。
さて、こうした真似という学びの手法、どの分野においても、おそらく気の遠くなるほどの鍛錬が必要であるのは、間違いなさそうなことですが、この学びの手法が実を結ぶためには、幾つかのポイントがあるのではないかと私は思うのです。
以下、そのあたりを列挙していきたいと思います。
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● 「憧れ」があるか
真似をする学びの成否を決める一つの要素は、「ああいう風になりたい」「ああいうものが描きたい」という思い、すなわち憧れがあるかどうか、ということではないかと思います。あらゆる才能の開花には、こうした憧れの存在が欠かせません。ちょっとでも近づきたい、という心から欲するものあれば、おそらくきっと有効な技法になるでしょうし、その思いをもって継続すれば、いずれ《守破離+本を忘るな》の境地に至るのだろうと思います。
そうではなくて、「手っ取り早く効果だけ欲しい」とか、「やらないと怒られるから」とか、「命令されるから仕方なく」というような気持ちで真似をしたとしても、残念な結果しか得られないのかもしれません。
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● 「猿真似するぐらいなら真似しない方がマシ」という罠
これは、多くの人が陥りやすい罠ではないかと思います。自我が芽生えてくる年齢ともなれば、真似することについて、抵抗感が生まれやすいかもしれませんね。「個性が重要」という合言葉を錦の御旗として、小賢しくも「安直な独創性信仰」にしがみついてしまうような事例も結構多いのではないでしょうか。
白状しますと、若い頃の私は、しっかりこの病に罹っていた自覚があります。
でも、これは、かなりの確率で、「安易な真似をするぐらいなら真似しない方がマシ」というような言い訳を見出し、自ら学ぶ機会を放棄してしまっていることの方が多そうです。その理由はさまざまかもしれませんが、例えば、他人の芸を受け入れる器が育っていないということもあるのかもしれません。
(こちらの記事「助言を受け入れる器」もご参照ください)
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以上、真似をするという学びをめぐって、いろいろ書いてみましたが、結局のところ、本当の意味で徹底的に真似をする(=模倣を突き詰める)作業を抜きにして、才能の開花はないのではないかな、と思います。
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