転勤の時の気持ち

県央に住んでいたら海や平野が山にむかい、その地形に育む産業があることも、そしてそこに人々が暮らしていることに温度を持って感じることができただろうか
転勤の意味はそれなのかもしれない
配属されていた場所で慣れないながらに機能しただけなのに大きな学びを持てた

父の介護と家族のこと
M市に居たってそれらと仕事はいつも私の24時間を侵食するような、でも大事だからそうは思ってはいけなかった
もしかすると、それらを置いて一旦仕事に向かえという意味なのではないかと、N市で私にできる仕事、モチベーションを保つための努力は何だろうかと1人で過ごす時間を充実させることで自分を満たすことにしたのに

父のケアマネと面談をしてる間に電話があり、M市への転勤を命ずると伝えられた

またしてもやられた
私は用無しなのか
ここでも無能さを突きつけられたようだった
あんなにM市に戻してくれと願っていたのに無力感でしばらく落ち込んでしまった

何ででしょうか
私は何かしてしまったんでしょうかと
部長に答えて、きっと喜ばない私に驚いたと思う
M市時代から私をよく知る部長は
部署に足を運び、何も言いに来ないのねと自分の子育ての頃の話をして声をかけてくれていた

今辛い時期を超えても、それでも辞めたい時は決断します 辛い時期に辞めたいのは当たり前だからと答えると微笑んでくれたのがN市1年目の終わり

辛い時期はいつまでだっただろうか
自宅が遠すぎて往復3時間を毎度失うことや
ETCとガソリン代が乗っかるクレジットカードの料金がエグすぎて総額を見ないことにしたこと
カレーのルーを溶かす暇なく家を出てきて謎の汁として置いてきたこと、味噌汁も然り
なのにいつも山々や海岸沿いを通過する景色に癒されて、N市のドンキホーテで独りぼっちだと胸がギュッとする

私はN市で何ができただろうか
次年度はもっと取り組める事を企んでいたのに
ただ子供たちに寂しい思いと、母に負担を増やすだけの2年を過ごしたんじゃないか

約半月を呪われたような気持ちにもなっていたのだけど、たった2年で出来た仲間に溢れるほどの送別の気持ちを頂いて、少しは私の存在がここにあった証拠にも思え、感謝と共にM市でまた介護と家族と仕事の両立に気持ちを切り替えられる、前が向ける…そんな気持ちでN市を後にできそう

2度目のN市、ありがとうございました
M市の皆さま、またよろしくお願いします

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