阿散井恋次、蛇尾丸の真の姿の考察



蛇尾丸

阿散井恋次の始解となる蛇腹剣。
卍解の狒狒王蛇尾丸、双王蛇尾丸どちらにもこの「蛇尾丸」という字が入っている。
つまりこの「蛇尾丸」というのが阿散井恋次にとって五行説で言えば土。
ただしネットでは直接攻撃タイプの所謂「ハズレ」の斬魄刀とされている。
そもそも蛇腹剣は現実的ではない武器だ。
蛇腹故に鞭のように可動範囲は広い。
しかし鞭はその軽さと携帯性を持ちながら非力な者でも遠心力とスナップを効かせた強烈な一撃の威力と攻撃の軌道の読みにくさやスピードというメリットがあるが蛇腹剣には、まして蛇尾丸のような大型ではそのメリットはない。
かといって斬月などの大剣タイプのように重さを武器にするのであればむしろ蛇腹剣の柔軟性はダメージを分散するデメリットにしかならない。
何をするにも中途半端、それどころか結合部の虚弱性がある。
蛇尾丸はその繋がりを霊圧で阿散井恋次が制御しているのだがだとしたら最初から鬼道系の斬魄刀とでよくないか?となる。

「蛇尾」とは何か?

蛇の尾、と書いて蛇尾丸。
だからこそ蛇腹剣タイプなのだがこの蛇尾と言う二文字より恐らく「竜頭蛇尾」と言う四字熟語のほうが認知度が高いだろう。
この竜頭蛇尾の意味は
・最初は勢いが良いが終盤は失速している様。
あまりポジティブな意味ではないし、その四字熟語の中でも終盤の部分でもある蛇尾を冠する斬魄刀なら尚の事単に勢いがない、という話にもなる。
やはり蛇尾丸は弱いのか。

阿散井恋次の中で蛇尾丸のモデルになったキャラ

阿散井恋次は惚れっぽいというか、他者に憧れやすいキャラだ。
言い換えれば阿散井恋次は他のキャラに「憧れる」立ち回りを課せられたキャラである。
蛇尾丸の蛇腹剣の姿やそれを発展させたような狒狒王蛇尾丸も明らかに影響を受けたと思われるキャラがいる。
一人は朽木白哉。
これは言わずとしれた事。自分とルキアを遠ざけ、そして越える目標。
もう一人は恋次が11番隊に居た時から尊敬している斑目一角。
攻守共にオールマイティな千本桜、またネットでは最弱と名高い鬼灯丸。
その2つを足して割ったから蛇尾丸も弱い、という安直な話ではない。
朽木白哉の死神として斬拳走鬼の完成度の高い力。
斑目一角の三節棍、薙刀、さらには二刀流と変幻自在な剣捌き。
それらを不器用な阿散井恋次が「戦士」として憧れた結果の産物、だと思われる。
何故剣士として憧れたのか、と言えば結局のところルキアを守るためになる。
概念系だとか鬼道系でもない。あくまで剣士。
だから「蛇尾」なのだ。
ルキアを守る為の阿散井恋次の斬魄刀。
だからそのルキアの憧れの人がモデルである。
つまり志波海燕、それが蛇尾丸の土台。
何故「蛇尾丸」が「志波海燕」がモデルだと言えるのか、というと蛇尾、そして海燕が似た存在を指しているからだ。
蛇尾とは「クモヒトデ」。
海燕とは「タコノマクラ」。
そのクモヒトデにしてもタコノマクラにしてもヒトデの親戚ともいえる海の生物。
「海燕」そのものには成れないがその代わりとなってルキアを守りたいという考えから「蛇尾」を斬魄刀の名にした。
また能力自体も恋次が影響を受けた死神達の力を自分の中で統合して制御して形を成しているのが蛇尾丸という斬魄刀だと自分は考える。

狒狒王蛇尾丸と双王蛇尾丸

BLEACHの序盤から恋次の卍解であった狒狒王蛇尾丸と終盤で和尚から告げられた「真の名前」の双王蛇尾丸。
狒狒王蛇尾丸は狒狒王という猿の姿の斬魄刀が名前だけ貸しており、オロチ王がその斬魄刀の姿を貸している、みたいな説もあるとかないとか。
しかしそもそもであるが蛇尾丸の具象化は猿の姿に蛇の尾を持つ存在として現れたわけで猿の姿のみの狒狒王も蛇のオロチ王も存在しない。
狒狒王蛇尾丸も双王蛇尾丸も本質的に同じ。憧れの対象が変わった、というより増えたから恋次の中で変化しているだけ。
狒々王蛇尾丸から双王蛇尾丸へ変化したのは恋次の中で黒崎一護の存在が「友」「ライバル」、「恩人」と大きくなっていったから。
朽木白哉に「矮小」と言われた天鎖斬月を模倣した細身の刀となるオロチ王が右手に備わる。
そして狒狒王とは何なのか、というと虚。
卍解が本質的に虚と同じ、と作中でも説明があったがそういう意味ではなく、黒崎一護を含めたヴァイザード、あるいは恋次が辛酸を舐めさせられた破面達。
破面編が終わった後、恋次自身「藍染惣右介に勝てるように」と修行を続けて実力をつけた。
黒崎一護にしろ、藍染惣右介にしろ虚の力を持っている。
2人にあって恋次にない力は虚の力、であるわけだがそれに憧れて模倣、あるいは自力で生み出したわけである。

狒々王の力とは

以前の自分の考察において虚のモチーフを
・中国の伝承における龍の9体の子供の一体の「蒲牢(ホロウ)」
・金属に釉薬を塗った「琺瑯(ホウロウ)」
・琺瑯にとって錆や腐食を防ぐ釉薬であり、ブリーチにおいては自分はキャラが持つ「夢」や「欲」、五行説において「始まり」となる「水」の要素。
この琺瑯、英語ではエナメルを意味するが人体において歯の表面を保護するように覆っているのが有名である。
そして歯磨き粉ではそのエナメル質を修復するために「フッ素」が配合されている。
そのフッ素だが漢字では「弗素」。
この弗と獣偏を合わせて「狒」となる。
つまり、自分の考えでは狒狒王とは阿散井恋次の「フッ素」、「エナメル」が動物の゙姿を狩りて生まれた存在、つまりは虚の具象化であり、黒崎一護の虚化に似た能力となる。
だから虚化によって得られるシンプルな「腕力」が双王蛇尾丸としての狒狒王としての力となっている。

狒狒王のモデルとなったキャラ

双王蛇尾丸の右手のオロチ王が「死神」としての黒崎一護、その卍解である「天鎖斬月」を模した物。
なら狒狒王が「虚」の力、としたらどの虚なのか。
自分の結論を言えばエスパーダNO.2であり、「老い」の力を持つ「虚圏の神」「虚の王」を自称するバラガン・ルイゼンバーンである。
バラガンの帰刃「髑髏大帝」だが「髑髏」は「 シャレコウベ」ともいう。
シャレコウベはそもそも「曝(サ)れ頭(コウベ)」からきている。
「曝れ」は風化して肉などが朽ちて頭蓋骨だけが残った様子だが「生きていた」という痕跡、「過去形」を示す。
しかしバラガンは「生きている」という「現在進行系」の髑髏、つまり「曝る頭」である。
何が言いたいかと言えばバラガンの髑髏大帝は「猿」を示している。
そして猿は干支などで「申」と書かれるがこれは「神」の古い表現でもある。
太古の昔の神、「申」を意味しているならバラガンの自称する「神」に繋がってくるわけだ。
猿を真似た狒狒、と繋げて見たが作中でバラガンと恋次は対峙していない。
しかしながら狒狒王蛇尾丸時代、双王蛇尾丸時代においてこの狒狒王が司る「力強さ」はバラガンの「老い」の力に関連していると思っている。

蛇尾丸は何故「ざびまる」なのか。

蛇尾丸はBLEACHに触れているとすっかり「ざびまる」と読めるわけだが先述の四文字熟語である「竜頭蛇尾」の読み方から「蛇尾」の部分は「だび」と読むのが普通だ。
一方で蛇尾丸の名称については栃木県にある「蛇尾川」が由来しているらしいが読み方は「さびかわ」である。
だとしたらそれに倣って「蛇尾丸」も「さびまる」で良い筈。
だが日本人だと「さびまる」と言うと弱そうに感じる気はしないだろうか。
何故ならその音の響きの「刀剣」に「蛇」をイメージするよりも「錆び」の方をイメージしてしまう。
つまりバラガンの「老い」の力の一端でもある「腐食」と通じる「錆び」という虚の力を土台に「死神」として様々なキャラへの「憧れ」を纏った姿が「蛇尾丸」である。

狒狒王蛇尾丸、双王蛇尾丸の本当の力

蛇尾丸そのものがバラガンと同質、あるいは類似した「腐食」の力だがバラガンはその力を「絶対の力」と語っていたがその絶対的な力についてバラガンが無傷であることを疑問に思ったハッチが「 外部からはバラガン自身に向かう腐食の力を遮る力がある」と推理して内部へ「老い」の力に冒されたハッチの腕を転送する事でバラガンの最期は自滅に近い形となった。
狒狒王蛇尾丸、そして双王蛇尾丸としての狒狒王部分もバラガンの帰刃の姿と同じ様に「骨」である。
また狒狒王蛇尾丸の時の「狒骨大砲」も双王蛇尾丸の「蛇牙鉄砲」も一見すると鬼道系の力である。
しかしながら恋次自身は鬼道そのものの制御は得意とは言えない。
だが卍解としての技になると途端に制御出来て威力も高い。
「蛇牙鉄砲」に関しては滅却師のマスキュリンすら消し炭にする。
コレは単に「高威力」な技、という話ではない。
「腐食の力+高威力」の技である。
デバフ+高威力技をぶち込む技。
これが「狒骨大砲」と「蛇牙鉄砲」に共通する力である。
またマスキュリン戦で双王蛇尾丸を纏った恋次は狒狒王の左腕でマスキュリンを力で握りつぶしている。
「蛇牙鉄砲」が「腐食の弾丸」を撃ち出すなら
狒狒王の左腕の力は「腐食」を纏う腕。
単なる「腕力」だけではなく「相手の力を腐らせる」力であり、丁度バラガンがソイフォンの雀蜂雷公鞭の攻撃を弱体化させたように「盾」としての役割も持つ、というのが自分の考察である。

今後の阿散井恋次の進化

狒狒王蛇尾丸から双王蛇尾丸と作中で唯一「真の名前」を与えられた阿散井恋次の卍解であるがこれが本当に「阿散井恋次の究極の力」なのか、と言えば自分は違う、と思う。
狒狒王蛇尾丸にしろ、双王蛇尾丸にしろ見た目から「足りない物」があるという事。
蛇尾丸そのものの具象化ネットなどで考察を見ていると日本の゙妖怪「ヌエ」とする所が多い。
だがヌエは「頭は猿、身体は狸、手足は虎、尾が蛇」というもの。
狒狒王蛇尾丸では蛇の姿をしていた。
つまり、仮に「ヌエ」だとするなら狒狒王蛇尾丸の時点では蛇尾丸の力とは「蛇」の部分しか出していなかった。
双王蛇尾丸にしても同様で「蛇」と「猿」の部分のみ解放していた。
それはつまり残りの「狸の身体と虎の手足」はどこにいったのか?となるとそれは阿散井恋次自身の身体となる。
ではその阿散井恋次自身の身体の「狸の身体」と「虎の手足」とは何を意味するか、というと 

・狸は神の使い、とされていて高い神通力を持っている。映画「平成狸合戦ぽんぽこ」など狸が人間を化かす話も多数ある。
・虎は鬼門の方角の動物であり、アジアにおける「百獣の王」とも言える大型の猫科動物。
強靭な肉体と執念深く追い詰める狩り。その一方で我が子に深い愛情を注ぐ一面もある。

よく「狡賢い年老いた男」 を「タヌキじじい」などと言う事がある。
この考察で狒狒王の力がバラガンと同種としたがそのバラガンも「タヌキじじい」と言われても何らおかしくない知性と気質だった。
虚としての力を今以上に高めてバラガン並の「老い」の力を得るためのフラグは立っている。
一方でBLEACH本編最終話ではルキアと結婚しており、ルキアとの間に「苺花」という娘もいる。
獄頣鳴鳴篇の続きが描かれて我が子を守る為にさらなる修業を重ねて強くなれば「虎」のように「王」になれるフラグもある。
まだまだ恋次もルキアも若い(死神レベルでの話)
なので恋次が更に「憧れ」て強さを求めればさらなる「真の名前」と力を身につける事になる、と自分は考えている。

始解の蛇尾丸の「狒牙絶咬」について

この狒牙絶咬、作中では不意打ちにしか使われずそれも相手が藍染惣右介ということもあり、イマイチな戦績だったのだがこの力、似ている力がある。
滅却師の「乱装天塊」である。
違いは霊力で操作する対象が自分の身体か、壊れた斬魄刀か。
蛇尾が「クモヒトデ」、そして海燕が「タコノマクラ」という近い生物という事で阿散井恋次としての「憧れ」の根源的な対象として考察したわけだがこの「狒牙絶咬」は「滅却師」の力に憧れた力、とするにはやはり大前提として「阿散井恋次・虚説」としてしかもただの虚ではない。
バラガンと同じ「腐食」の力と滅却師の「乱装天塊」という相反する力を持つことから
・「バラガンと戦って死んだ滅却師の魂魄が運良く尸魂界に流れた」
・「滅却師と戦った虚が何らかの力で魂葬されて尸魂界に流れた」
という2パターンの説が阿散井恋次に発生する。
つまりは「虚の力に憧れた滅却師」か「滅却師に憧れた虚」が死神の力を得たという完現術以外の力を持っている事を示している。

阿散井恋次とグリムジョー

自分は過去にグリムジョーについても考察した。

そこでグリムジョーがバラガンの配下だったかもしれない説を考えたのだがこのグリムジョーと阿散井恋次は非常に似通った性格、そして役をこなしている。

・黒崎一護と最初は敵対したがその後は阿散井恋次はライバル兼友人、グリムジョーもライバルとして攻撃性を向けてはいるがそれでも完全な敵ではなく、むしろ滅却師を相手にするために手を組んだ事もあるほど仲が改善している。
・阿散井恋次、グリムジョーはそれぞれ強い上昇志向がある。
・両者とも藍染惣右介に気に入られており、そしてボコされている。しかしそれでも完全に屈してはいない。

何を言いたいのかというと阿散井恋次とグリムジョーは本来は1人の「人間」 だったのではないか、ということ。
阿散井恋次単体で考察した場合「虚に憧れた滅却師」「滅却師に憧れた虚」のどちらかが尸魂界に何らかの力で流れ着いたわけだが
「滅却師」が死んで魂魄となった後、「整」と「虚」にそれぞれ分かれ、「整」として尸魂界へ流れたのが阿散井恋次、「虚」として後に大虚となり破面となったのがグリムジョー。

この2人のキャラ、黒崎一護の近くにいながら絶妙な形ですれ違い続けており直接対峙はしていない。
そして阿散井恋次の卍解はあくまで死神として「虚の真似事」をしており、自分の考察通りなら足りないのは「狸の身体と虎の手足」。
狸については「年月」がかかるかもしれないが「虎」についてはグリムジョーが同じ大型猫科の「豹王(パンテラ)」がある。
「虎」と「豹」では違う、というのはグリムジョーの考察でも自分は指摘しているがそもそもとしてグリムジョー・ジャガー・ジャックの゙名前にもジャガーという猫科の名前があるがこのジャガーと豹とも異なる。
フラシオンがエスパーダの中で大勢いるのもグリムジョーとバラガンくらいで猫科動物としてはライオン的性質でこれまた豹ともジャガーとも異なる。
「大型の猫科動物」と「大枠」でなければグリムジョーと帰刃の性質は繋がりが薄くなるのである。
そもそも「蛇尾丸」の具象化した姿をヌエ、「猿頭」としたものの「狒狒」自体も「大枠」で見たときの「猿」である。詳細では猿と狒狒は別である。
オロチ王の「オロチ」の名前が示す蛇は一般的には締め付けて獲物を殺す「無毒蛇」、またその手の無毒蛇は狒狒王蛇尾丸が「刀剣としては最大級」と大きさを表されたのと同じ様に蛇の゙中では大型である。
にも関わらず、能力としては鬼道系の能力を撃ち出す「毒蛇」である。

また一転二転するが蛇尾丸の名前の由来となった蛇尾川には水がないらしい。
そして近くには火山があり、蛇尾川の下にはマグマが。
何故こんな事を語るかといえば狒のけものへんを外した「弗素」は自然環境においてはマグマ、溶岩でしか採取できない。
そしてその溶岩には強い磁気が発生しており、磁石にくっつく。
そして阿散井恋次といえばその髪の毛から「赤」、グリムジョーは「青」をイメージすると思うがそれぞれ磁石のN極とS極とするとどうだろうか。
お互いに卍解、帰刃で「王」の字が入っているのも共通点だ。
阿散井恋次とグリムジョーが似ているのに直接対峙に至らないのはストーリーの゙流れとして不自然ではないにしても「敢えて直接対峙させなかった」理由があるとしたらお互いに「 かつて同じ存在」であった、という理由があるかもしれない。

まとめ

最終的に
・阿散井恋次は「誰かに憧れる」をキャラとしてつくられた。
・蛇尾丸の名前はルキアの憧れ、志波海燕から。
・蛇尾丸の本当の意味は「錆び」であり、エスパーダのバラガンの「老い」と同質、似ている力を持つ。
・狒狒王蛇尾丸は朽木白哉と斑目一角の力に憧れた力。
・双王蛇尾丸は黒崎一護と破面の力に憧れた。
・狒狒王蛇尾丸の「狒骨大砲」、双王蛇尾丸のオロチ王の「蛇牙鉄砲」は単に高威力ビームではなく「腐食」の力で相手の防御力を下げる力を備えたもの。
・双王蛇尾丸の狒狒王の左腕は単なる腕力だけではなく「腐食」の力によって相手の抵抗力を下げ、さらに相手からの攻撃を弱体化させる「盾」としての使い方もある。
・始解の蛇尾丸の「狒牙絶咬」は滅却師の「乱装天塊」を模した物であり、卍解の虚の力を合わせると「虚に憧れた滅却師」「滅却師に憧れた虚」が魂葬されたものが阿散井恋次。
・阿散井恋次とグリムジョーは過去同じ存在であり、「整」 として魂葬されたものが阿散井恋次、「虚」となったものがグリムジョー。阿散井恋次の赤髪はN極、グリムジョーの青髪はS極。

こんな感じでまとめさせて貰います。


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