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ヨルシカの美学──ヨルシカ「花に亡霊」

4月22日に配信が開始されたヨルシカの新曲『花に亡霊』。先月4日に『夜行』が公開されてからおよそ1ヶ月半ぶりの新曲となる。

2020年4月に結成3周年を迎えた『ヨルシカ』。全曲の作詞作曲を担当するn-buna氏とボーカルのsuis氏2人によるバンドで、若い世代を中心に支持を集めている。

最近では大成建設の新CM『ミャンマー編』のタイアップソングに『春泥棒』(2020年4月25日時点でフルバージョンは未公開)が選ばれた。個人の活動としては、n-buna氏が『天才てれびくんhello,』(2020年4月よりNHK Eテレで放送中)のエンディング曲『ハローハロー』の作詞作曲を担当、suis氏がゆうちょpayオリジナルイメージソング『時をめくる指』(サブスクリプションサービスで配信中)の歌唱を担当するなど、ヨルシカとしての作品はもちろん、n-buna氏の楽曲の世界観、suis氏の多彩な表現力を持った歌声もさらなる注目を浴びている。今日の音楽シーンを語る上でヨルシカの存在を欠かすことはできない。

そんなヨルシカの新曲『花に亡霊』は、6月5日公開予定の映画『泣きたい私は猫をかぶる』の主題歌に決定し、フルバージョンの公開が長らく期待されていた。先月10日に公開された『泣き猫』の予告でサビのみを視聴し、早くも『花に亡霊』への期待を募らせていた方も多いのではないだろうか。それもあってか反響は大きく、公開からわずか30時間で100万回再生を突破するという驚異の数字を叩き出している(おそらくヨルシカ史上最速)。

今回はそんな待望の新曲『花に亡霊』を、幾つかの方面から解剖していくこととしよう。(ヨルシカの過去作・これまでの道のりについては先月公開の新曲『夜行』に併せて作成した記事に詳しく紹介してあるので、お時間のある方にはそちらも是非ご覧になっていただきたい。)


新曲「花に亡霊」の分析

まずは新曲『花に亡霊』を、音楽作品として分析してみよう。

曲の始まりを告げるのは、ボーカルsuis氏の鮮やかな呼吸、優しく爽やかながらも芯のある歌声だ。『もう忘れてしまったかな』と語りかけるようなフレーズに、冒頭から心を奪われる。

また第一にこの曲の特徴としてあげられるのは、ピアノの奏でるフレーズであろう。1番のサビ前までは穏やかに、ボーカルとピアノのみで楽曲が展開されている。先月公開の『夜行』も同じく、1番のサビ前までボーカルとアコースティックギターのみという構成だ。しかし、『夜行』も視聴済みの聞き手からすればむしろ、イメージの違いを印象付けられたのではないだろうか。アコースティックギターが効果的に組み込まれた『夜行』では包み込むような穏やかさ、ピアノの軽やかなフレーズが散りばめられた『花に亡霊』では初夏のような爽やかさ。suis氏の歌声とn-buna氏の生み出すピアノフレーズのコントラストは、まさにヨルシカの季節──夏の始まりを予感させる。

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サビ前から一気に他の楽器が参加し、楽曲は展開を見せる。

言葉をもっと教えて 夏が来るって教えて

suis氏の語りかけるような歌声は次第にさらなる感情を帯びてゆき、絶妙に楽器と重なる。『夜行』より音域が高いこともあり、suis氏特有の透き通った裏声が聞き手をヨルシカの世界観へと誘う。

サビが終わると、1番においてメインであったピアノとかわってエレキギターが間奏を彩る。これまで多数のn-buna氏による楽曲で特徴的なギターフレーズが用いられ、中毒性を生み出してきたが、『花に亡霊』でもギターソロに釘付けになってしまった聞き手は多いのではないだろうか。

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2番に特徴的なのは、Aメロの歌詞だ。

夏の木陰に座った頃、遠くの丘から顔出した雲があったじゃないか
君はそれを掴もうとして、馬鹿みたいに空を切った手で
僕は紙に雲一つを書いて、笑って握って見せて

1番と変わらずピアノ中心の音色。依然昔を懐かしむような歌声で語られるのは、『僕』の思い描く過去の風景だ。聞き手は意識せずとも、木陰から見える丘、夏の青空、入道雲など、『僕』が『君』に語りかける風景を想像してしまったのではないだろうか。非常に場面が浮かびやすい歌詞も2番、そしてこの曲を通しての特徴の一つだ。

サビが終わると1番サビ後の間奏より激しくギターソロがかき鳴らされる。感情がほとばしるような音色に、自ずと聞き手の心は虜にされてしまうだろう。消えていくようにギターソロが終わった後、それとは対比的に響き始めるのは、suis氏の先ほどと変わらぬ穏やかな歌声。激しさと穏やかさの緩急に聞き手が置いていかれないのは、1番と変わらないように思える歌声も、その内に秘める感情をだんだんと膨らませていっているからかもしれない。

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そしてその膨らんだ感情は、最後のサビで爆発する。1番、2番と穏やかに『君』へ過去のことを語りかけていた『僕』の言葉が一息に切なくなり、感情が持っていかれそうになる瞬間だ。

言葉をもっと教えて さよならだって教えて
今も見るんだよ 夏に咲いてる花に亡霊を

それぞれのパートが激しい動きを見せ、歌声は『僕』の夏への憧憬を乗せて一気に溢れ出す。『言葉じゃなくて時間を 時間じゃなくて心を』。夜行でも様々なフレーズが考察を呼んだが、今回も『僕』の『君』に向けた思いの丈が美しい言葉で表現されており、早くもヨルシカの数々の名曲の仲間入りを果たしたことは言うまでもないだろう。

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もう忘れてしまったかな
夏の木陰に座ったまま、氷菓を口に放り込んで風を待っていた

最後は冒頭と全く同じフレーズで、静かに曲が閉じられる。まるでさっきまでの激しい感情はなかったかのような終わり方だが、むしろそれが余韻を引き立てている。また、この部分はMVにおいても冒頭と同じ映像が使われており、それもこの特徴的な終わり方を強調していると言えるだろう。


MVに描き出される「泣き猫」の風景

今回のMVはヨルシカ独自の制作ではなく、映画『泣きたい私は猫をかぶる』の映像をぽぷりか氏が楽曲に合わせて編集したという形になっている。ぽぷりか氏は、ヨルシカの代表曲とも言える『ただ君に晴れ』をはじめとして5本(ぽぷりか名義で3本、まごつき氏との共作が2本)のMVを作成しており、既存の映像を楽曲に沿って演奏するという役割でも適任だったと言えよう。

そんなMVでは、『泣き猫』の主人公・笹木美代と、彼女が恋してやまない日之出賢人との恋愛模様が、鮮やかに、そして切なく描き出されている。

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注目したいのは、底抜けに明るい美代と、いつもクールで穏やかな賢人との対比である。主人公である美代はMV中でも無邪気な笑顔を絶やさず、背景も夏を強調するような突き抜けた青空であることが多い。対して賢人は含みのあるような表情を見せていることが多く、夜空や雨のシーンなど、全体的に暗い雰囲気で描かれている。途中で映る過去の写真、最後のサビに向かって加速する展開、美代が見せる涙と賢人の鋭い表情。MVの時点で映画が楽しみになるような構成と、見事な楽曲展開とのリンクが取られている。『夜行』のMVを手がけたスタジオコロリドによる美しい映像も素晴らしい。『花に亡霊』、そして挿入歌となることが決定した『夜行』を劇場で聴くことをすでに楽しみにしていたファンもいるであろうが、その気持ちをさらに募らせるような作品になっている。


「花に亡霊」に見える、ヨルシカの美学

『夜行』と同様、今回もヨルシカ公式Twitterより、n-buna氏の『花に亡霊』に寄せたコメントがツイートされた。


いつもと同様、Youtubeのコメント欄やTwitterなどで考察が飛び交っていた中、MV公開から30分ほどで配信されたn-buna氏のこの言葉には、さすがのファンも当初は少し驚いていた印象だ。

しかし、22日の夜(正しくは23日未明)にn-buna氏が開いたYoutubeライブにおいて、彼自身はこう語っている。

人間はなぜ、自分の鑑賞した作品に対して自分の思う価値をわざわざ求め、自分が感動した理由を探そうとするのか

何を伝えたかったのか」を考え、頭を使って楽曲を作ることも好きだと彼は語る(2019年に発売されたフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』『エルマ』はコンセプトアルバムであり、初回限定盤には主人公の書いた手紙や日記が付いている)。しかし、今回の楽曲は「ただ綺麗なものを並べた楽曲を作りたい」と思っていた時期に制作したものだという。彼自身はこれを「めちゃくちゃ綺麗な泥団子」「適当に並べた石ころ」と表現している。

適当に並べた石ころでも、価値を見出す人がいれば作品になる
石ころの並びにも、自分の無意識下で思いが込められているのかもしれない

「僕たちが勝手に作ったものを、作品を受け取る君たちは自由に解釈してもらっていい」とn-buna氏は、以前から何度も私たち聞き手に語りかけてきた。最近の作品がコンセプトアルバムだったこともあり、私たちはヨルシカの作品を、提示する側が思う所謂正解を追って解釈し続けていたように思う。だが、今回は違う。作り手がこう言うことで、「花に亡霊」に対する聞き手の思い思いの考察、解釈、感情がさらに自由に生まれる。ヨルシカの、n-buna氏の価値観に最も近い形なのではないだろうか。

人は作品に対して、何を考えて作ったのか、どうして自分は感動したのか、それをどうにも追及しようとする。「何も考えないで作った」という言葉は確かに、世間一般の音楽に対する価値観とは違うだろう。しかし、何も考えていないこと、ただ綺麗なものを重ねることは、マイナスなイメージではない。作り手が自分の好きなように感性に任せて編み出したものを、聞き手もまたまっさらな状態で受け取る──むしろ本来の形であり、私たちは今回この作品を通して、n-buna氏の価値観、そして彼が思う「美しさ」をありのままの形で受け取ることができたのだ。

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人間には、全く同じ人生を歩んできた人はいない。価値観も美学も、思い思いのものがある。だからこそ、たったひとつの楽曲を、その人の心にできた凹凸に合わせて感じ、解釈し、味わうことができる。『花に亡霊』は、そんなヨルシカの美学をただ受け止めることができるような、どこまでも自由な作品なのである。

ひとりひとりの心に宿る、『花に亡霊』のかたち。それを大事に抱えて、今年もヨルシカの夏がやってくる。


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