見出し画像

世界最大のショービジネス

パリ五輪の開会式の演出が賛否両論を呼んでいます.選手の入場行進をなくしたり,宗教や革命へのタブーなき批判など一見目をひく演出がありましたが,わたしは国際市場への「サービス過剰」が気になりました.セリーヌ・ディオンにレディーガガというのは,単純に北米のゴールデンタイムの視聴率をねらったものにすぎません.

とにかく外人が喜ぶような企画を並べた観光客向けのメニューであり,商業的に成功すればそれでオーケーという姿勢で徹底していました.フランス的に真剣にやろうという気がもともとなかったのでしょう.五輪なんてそんなものであり,高尚な理念など関係ない,といったなんというか居直りみたいなものすら感じました.

本来,開会式は金をとってみせるものでないはずですが,いまの五輪は開会式の入場料がいちばん高く,それもバカ高い.これはロスやアトランタで完成された商業五輪の特徴で,さまざまにおこなわれるショーやアトラクションを楽しみにひとは集まり,またTVの前にすわります.開会式の演出者はそういった責任を担っています.

いまさら言うまでもないことですが,五輪は完全にショービジネスです.それも選手たちに賞金どころか経費すらだす必要もないからビジネスとしてうまみが大きい.企画者があらゆる理念,たとえば平和の希求とか差別撤廃など歯牙にかけず,ただただ大衆をひきつけるショーをつくろうとするのは当然です.

3年前の東京五輪は悲惨でした.ふだんはうまくかくされている本音が,コロナによる異常事態によりいろいろあかるみにでて,われわれは多くを目撃しました.五輪は莫大な利益をうむビジネスで,すべてIOCがコントロールしていること.なにがおころうと中止はできないこと.主催者は理念など関係なく、とにかく大衆を満足させればいいこと.

いざ五輪がはじまれば大衆はそれに熱狂するので,事前の多少の批判は無視していいこと.大手広告代理店は内輪に企画や仕事をまかせ,またそのお友だちが集まって利益を配分していること.五輪はさまざまなレベルで金と権力を集めますが,そのためには国民の命は多少犠牲にしても構わないこと.

クーベルタンが提唱したオリンピズム,すなわち世界平和やスポーツをとおしての人格の陶冶,そのための参加の意義やアマチュアリズムなどが失われて久しくなります.世界最大の商業イベントとしてあるなら,ビジネスが成立しなくなればあっというまに衰退するでしょう.それは遠い将来ではなさそうです.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?