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ハルキをめぐる冒険

最近はやりの異世界転生もの,SNSの広告でよくみるのだけれど,最初はその前提(経験を積めばランクがどう)とか用語(「チート」ってなんじゃ)がよくわかりませんでした.そしたらあるひとが,こういったものはRPGの世界観をそのままマンガにしたものと教えてくれました.

「世界観」というのもまた仰々しい表現とは思いました.しかしわたしは,恥ずかしながらテレビゲーム(とはもう言わないか)とかコンピューターゲームなどをほとんどやったことがないんですね.たぶんやればおもしろいかもしれませんが,やらなくてもどうということもない.世の感覚からすこしずれてきそうですが.

1980年前後に大流行した「インベーダーゲーム」がそういったたぐいものの嚆矢のような気がします.そのころ浪人生でお金も時間もまったくない生活をしていたわたしには縁のないものでした.ゲームセンターや喫茶店でみんなピコピコやっていましたが,1ゲーム100円は当時あまりに高すぎると思いました.

大学時代は村上春樹にはまったのですが,とくに「1973年のピンボール」が好きでした.大学紛争の挫折のあとふたごの女の子と同棲して,やたらとスパゲッティばかり食べてる話でした.「スリーフリッパーのスペースシップ」にはまった過去をなつかしみ,さまざまな冒険のすえそのピンボールにたどりつく.

いま読み返すと失われた自分の青春をなつかしむだけの懐古趣味小説にすぎないのですが,そのころは「スリーフリッパーの」がいったいなにを暗示するのかとずいぶん考えました.わたしにはピンボールにはまった中高時代などなかったので,当時はやっていた「ゼビウス」というゲームをやってみたのです.

当時新進気鋭の論者だった中沢新一が「現代思想」に「ゼビウスはポストモダン」みたいな駄文を書いていて,正直それが気になったところもありました.「1983年のゼビウス」というわけです.1週間ほどゲームセンターに通いつめ,バイト代2-3万円くらいを投資し,だいぶステージをクリアできるようになりました.

うまくなればそのぶんだけお金もかからなくなりますが,全クリアの先がみえてくると,結局はそれだけのことと知りました.ゲームを終わらせると,ぼくは横にあった泥水のように薄く冷めたコーヒーをすすりました.やれやれ,どうせもう一回やったって満足できるはずもない,と口のなかでつぶやきながら.

自分としては,ゲームにはまったというなかばなかば人為的な体験をして,これでゲームをめぐる冒険もおわりにしようと思いました.人生においてはゲームもマージャンもゴルフもこんなものだろうね.やれやれ.

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