学問はリアルな問題意識をもつことができるか

医学や工学、あるいは文系でいえば法学や経済学といったいわゆる「実学」は,探究するに値すべきテーマがはっきりしていて,一般的に「有用」な知識を生産します.願わくはその知識がほんとうに社会の役に立ち,ひとびとの生を豊かになってほしいものです.テーマを選び研究して,その成果を社会に還元するというひとつながりの営為であり,実学はそうした価値観によって導かれています.

医学なら医学,経済学なら経済学における問題意識ははっきりしているので,それぞれの分野で取りくむべき課題をみつけるのは容易です.たとえばCOVID-19のパンデミックにおいてなにに取りくむべきかはあきらかでした.ここでわたしは非実学(福沢諭吉のいう「虚学」)をけっして軽んじているわけではありません.直接は役立たないようにみえても非実学の典型である哲学,倫理学,社会学,文学などの重要性を人なみ以上に尊重しているつもりです.

しかしこういった非実学の学問分野では,前世紀末ころよりすこしずつ変質してきたように感じるのです.なにがだいじなことで,なにに価値があるかというようなことを,そういった学問の研究者が実感できなくなっているようにみえます.そういった専門分野の研究者の知りたがること,発言したいことにそれ相応の根拠がないのならば,それは単なる学問がファッションになっているにすぎないのではないか.

問題意識にそれだけの切実さがなく,既存の権威や価値体系を茶化すだけ,建設的な代案のない批判のための批判に終始します.このように学問全体が真の問題意識を失うと,研究の対象は実はなんでもよくなるのです.「実学」の地道な検討と提案をとにかく否定し,社会の問題解決の試みを邪魔して溜飲を下げたりします。問題意識がないことにいなおって,これが新しいスタイルだと誇ったりするのです.これは一種のニヒリズムです.

こういったニヒリスティックな視点から医学をみると,真剣に啓蒙しようとする専門家や巷間で地道に臨床をおこなっているひとなどはバカにみえるのかもしれません.たとえばワクチンのたいせつさを切実に訴えると,自分たちはなんの方法でも使えるぞと権力分析の手法をもちだしてきて,ワクチン効果を否定し副作用のこわさを喧伝する言説を繰りひろげるわけです.ここでは問題意識が欠如するばかりか,倫理性を決定的に失っています.

なにに価値をおくべきで,いまなにが必要とされているかということを知らないのです.そういった社会的感覚がない,というよりも最初から放棄しています.このような困った傾向は実はどの国にもあることなのですが,日本ではとくにこの種のニヒリズムがはなはだしい気がします.なにがたいせつかをわからなければ,批判のための批判はそのうちに方向性を失って勝手に自己運動していくことになります.

このことにイデオロギーがからんでくると問題はさらにやっかいです.いまの「リベラル」とよばれる勢力は,どういったことが完全に科学リテラシーを喪失していて、甲状腺調査の問題にしても,処理水の海洋放出の問題にしても科学的に完全にまちがっています.さらには科学的になんといわれても,住民が不安をもち反対することは正しいと扇動すらしています.「造反有理」というわけですね.

リアリスティックな問題意識は現場での苦闘からでしか生まれない.こういった現場の問題意識をはたして学問や実務にきちんと生かすことができるか.リベラルはアイデンティティポリティクスにばかりとらわれず,現場のリアルな問題を汲みあげることができるか.そういったところに未来の可能性を感じています.

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