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世界中に移り住んだ旅人が屋久島のプライベートガイドを目指したワケ

鹿児島県本土から南へ約65km離れた東シナ海に浮かぶ屋久島。この島には、樹齢4000年を超える縄文杉をはじめ、多様な植物やヤクシカなどの固有種が息づいている。その美しい自然が評価され、1993年に屋久島の一部が日本で初めて世界自然遺産として登録された。
多様な動植物の宝庫として知られる屋久島は「東洋のガラパゴス」と呼ばれ、年間を通じて約25万人の観光客が訪れる。
そんな屋久島の魅力を多くの観光客に伝え続けているのが、屋久島でプライベートガイドとして活躍している白水晃(しろみず あきら)さん。

白水さんは毎年多くの観光客からガイドの依頼を受け、時には10時間以上かけて1組のお客さんにガイドをすることもある。また、日本国内だけでなく、中国語や韓国語も堪能であることから海外客からの依頼もあるといい、高い満足度を得ている。
かつては、世界中を旅して多くの場所に移り住み、長く同じ地域に住み続けることが退屈になることがあったという白水さん。しかし、なぜ今屋久島に住み続けるのか、そしてなぜガイドという仕事を選んだのか、その屋久島の魅力に迫る。



午前3時。白水さんの1日は、朝のコーヒー一杯から始まる。
それから当日のガイドの準備をし、30キロを超えるバックパックを背負って家を出る。
ガイドが終わり、家に帰ってくるのは午後6時。そのあとも当日の片付けやメール対応、次の日の食料の準備など、お客さんへの対応が待っている。
午後9時。やっと体を落ち着かせることができる。
繁忙期である3月から11月まで、この生活を月に20日ほど送っている。休みが取れるのはガイドの予約が入らなかった日だけだ。しかし、実際には休みの日にも事務仕事やキャンプの準備などをするため、ほとんど休みはないという。
白水さんはある一つの思いを胸に刻んでいる。


「スピークではなくトークで、自分の好きな屋久島の魅力をもっと多くの人に知ってもらいたいです。
以前、北海道の礼文島でガイドをしていたときは、一人のガイドに対して約25人のお客さんがいたから、トークじゃなくてスピークで、毎日同じことを言うことにちょっと飽きていました。礼文島では、ガイドが一方的に話すスタイルでしたが、屋久島ではお客さんや2人や3人、または1人の場合もあるため、お客さんとトークをしながら紹介ができることがとてもやりがいに感じます。
送迎を含めると一日12時間以上一緒に過ごすことになるので、普通の接客業では聞けないようなこともたくさん聞けます。そこが本当に面白いと思います。
お客さんも自分とはまったく違う職業をしているので、もし自分がその道を歩んでいたらどうなっていたのかを想像をしながら話を聞くことも、魅力の一つです」



日々多くの観光客に対して屋久島の魅力を伝え続けている白水さんは、元々、北海道のトマムにあるスキー場で働いていた。冬の時期、仕事がない知床と礼文島のガイドの方々が収入を得るために、スキー場でアルバイトとして働いていたことが初めてガイドという仕事を知るきっかけだった。


「その人たちの話を聞いて面白そうだなと思って、礼文島のガイドさんについて行って春から礼文島でガイドになりました。
そこでガイドをやるんですけど、北海道はシーズンが短いので、4ヶ月ほどでガイドの仕事が終わってしまいます。その他の時期は、別のアルバイトや仕事をしながら過ごしています。他のガイドさんたちが『アウトドアのガイドを1年通してこれだけで食っていけるのは日本だったら屋久島しかないよ』っていう話をしてて。
屋久島行ってみたいなって思ったのはそれがきっかけですね。ただ、それはなんとなく行きたいなあぐらいの夢でした」


そこから5年の歳月を経て屋久島に移り住んだ。礼文島のガイドはシーズンが終わり、他の旅館でアルバイトをしたり、アジアやオーストラリアを旅したりした。
現在の中国人のパートナーとは、白水さんがインドからオーストラリアへ向かう途中に、タイのチェンマイの宿で出会い、その後、オーストラリアと中国で連絡を取り合い、結果的に付き合うことになった。


「本当はオーストラリアで働いた後に、ニュージーランドで働いてそのお金で世界一周をする予定だったんですが、急に結婚することになったんです。
お金が全然なかったので、とりあえず中国で入籍だけして、日本に戻って結婚式を挙げるための費用を貯めました。そして無事、半年間で貯めたお金で中国で結婚式を挙げることができました。
その後は妻と一緒に日本に来て、2年間ひたすら働いてお金を貯めました。その時住んでいた家を解約して、その貯金でハネムーンに行って、タイのチェンマイやインドなどを旅しました。
その後、日本に帰ってきたのですが、仕事も家もない状態でしたので、とりあえず何かしないといけないと思って、妻と一緒に初めて屋久島にやってきました」



屋久島でガイドをしたいという思いでやってきたが、周りに誰も知り合いがおらず、ガイドになるための情報を手探りで集めた。ある日、居酒屋に立ち寄った際に、一人の男性が移住者の友人が多い隣の居酒屋の店長を紹介してくれた。


「その店長に話したら、『登山用品のレンタルショップがガイドツアーもやってるから、そこに聞いてみたら』と言われて、次の日その店に訪れて社長さんと話をしました。そしたら、『新人ガイド雇ったばかりだから今は募集してないけれど、明日ガイドの会議があるから、そこに来たら誰か雇ってくれる人いるかもしれないよ』と言われました。そして、次の日その会議に行って出会ったのが今の僕のガイドの師匠だったんです。
その時、ちょうど師匠が海外の人にも向けてツアーを開催したいと思い描いていたんですね。僕が中国語と韓国語ができたので、連絡先を交換し、いろんな話を聞いたんです。するとすごく楽しそうな感じで。『ここでガイドをやります』って決めたんです」


その1ヶ月後、正式に屋久島に移住することになった。
礼文島での4ヶ月のガイド経験からすでに5年が経ち、屋久島はより険しい山道が多く、その過酷さをよく知らない白水さんだったが、師匠からは特に心配されなかった。


「『登山好きは屋久島のガイドに向かない』という師匠の考え方があったからですね。どちらかというと、接客が得意な人に山を教えた方がガイドとしての成長は早い。基本的には10時間もの間、お客さんと接する必要があるため、接客業の経験がある人の方がガイドとして求められるのです」


かつての旅館やホテルなどの接客業が活きた瞬間だった。
しかし、移住当初はここまで長く住んでガイドをすることを想定していなかった。これまで、世界中で5カ所以上の場所に移り住んできたが、同じ場所に3ヶ月ほど住むと、どうしても飽きてしまう傾向があったからだ。
屋久島の心地良さや魅力が白水さんが今でも屋久島に住み続ける理由なのだ。白水さんが感じる魅力、それは人と自然にあると言う。


「 他の島では、地元の人たちが観光客をあまり歓迎してないと感じる場所も多いですが、屋久島の人は地元の人も歓迎してくれます。その人々の温かさはとても魅力に感じます。
ただし、30〜40年前は、移住者や観光客に対してもかなり冷たい態度だったようです。しかし、徐々に移住者や観光客が増えていく中で、地元の人々の生活を邪魔せずにむしろ潤わせてくれていることに気づき、みんな優しくしてくれているんだと思います。
最近も、近所の方が家で作ったきゅうりを持ってきてくれたりしました。昔ながらのご近所関係も、面倒くさくない良い距離感があります。
自然も世界の絶景に全く劣らないと感じました。屋久島に初めて来たとき、いろんなところに案内されましたが、島の中に何百個の絶景スポットがあるんだ!と思いました。
今まで世界で訪れた場所では、一つの絶景を見るためにいろんな公共交通機関を使って長時間かけて、やっと絶景スポットに行けたのに、島の中だけでたくさんの絶景があることに驚きました」



屋久島への移住によって、今まで移り住んでいた場所ではあまり感じることのできなかった魅力や心地良さを感じ、それを伝え続けて6年が経った(2023年現在)。
そんな白水さんが感じる課題は地域の元気のなさだと言う。屋久島のメイン通りには営業しているレストランが数軒しかない。賃貸物件がほとんどなく、中古物件も2000万円以上の物件が多い。そのため、商売を始めようとしても高額な費用がかかり、若者にとってはハードルが高くなっている。また、屋久島には高校が1校しかなく、卒業後は多くの若者が島を離れてしまう現状もある。
さらに、白水さんがガイドとして接する観光客の中には裕福な人が多く、彼らが現在の安定した生活を捨ててまで屋久島で事業を興すとは考えにくい。そこで、もっと若い世代と接する機会を増やすために、現在、民泊事業を始める計画を立てている。最近、民泊用の物件も借りた。
宿泊施設を運営することで、普段、ガイドをつけられないようなもっと若い人たちや、移住の見込みのある人々にもアプローチできると考えたのだ。


「『屋久島って本当にいいところですよ』と言っているものの、実際に移住したいと思っている人は流石にいませんでした。ですが、昔の僕みたいにフラフラしている人々が、ここに来て『あ、ここいいな』と感じたら、思い立って移住してくる可能性もあります。そうした人々が繋がる場所が必要だと感じています。それは、やはり宿を経営しなければ出会うことのできない人かなと思います。『屋久島でなんかやろうよ』というメッセージを発信するような宿を作りたいなという思いがあります。
あと、正直に言うと、ガイドの仕事は徐々に減らしていきたいと思っています。現在、週5日ほど山に入ってガイドをしているため体力的にかなりきついです。時間的な余裕もなくなってくるため、半分ぐらいは宿業にシフトしていきたいです。
さらに、妻と一緒に世界一周をするという展望もあります。ガイドの閑散期である3ヶ月間を利用して、合計で5年ほどかけて旅をしていきたいです。その間、宿を管理してくれる人を見つけて、自分たちは自由に動けるようになりたいです」


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