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「名前のない才能」に目を向ける

分かりやすさは、人を安心させる。今年話題になった本「名もなき家事」が、まさにそれを象徴しているように思う。

▼「やってもやっても終わらない名もなき家事に名前をつけたらその多さに驚いた」

https://www.amazon.co.jp/やってもやっても終わらない名もなき家事に名前をつけたらその多さに驚いた%E3%80%82-梅田悟司/dp/4763137786

茶碗洗い、洗濯物干し、料理、ゴミ出しって、名前があるからとても分かりやすい。一方で洗剤の詰め替え、食器を元の場所に直す作業、食器用スポンジの買い替えといったもの。これは前者と同じように、普段の生活において必要なのに、名前がないというだけで周りから気づかれにくい。

分かりにくさというのは、人を不安にさせる。時には、人の存在意義さえ無くしてしまうことがあるように思う。

私は子育ての経験がない分、子育て中の方に比べると、家事をすることが少ないけれど、それでも「名前のない家事」は共感するものがあった。

「名もなき家事」の本を読んだ主婦の方の多くが、「名前が付けられたことで安心した」と言っていて、なるほどなぁと思った。

これは家事以外にも言えると思う。例えば仕事でのタスク管理とか。仕事をする前にあらかじめ、タスクを書き出しておくことで落ち着いて目の前のことを取り組むことができる。

ここで、最近の気づきを話したい。
私には悩みがあった。それが、私には秀でた特技や才能がないこと。

何かを始めたら、他のことにも興味を持ち始めて、全てが中途半端になっている。きっと私の頭の中は、散らかり放題だと思う。

そんな悩みをずっと抱えながら、先日大東めぐみさんのVoicyを聞いていた時に、何だかハッとさせられた。
(大東めぐみさんのVoicyは大好きで、毎日欠かさず聞いている。本当にオススメなので聞いてほしい!)

12月7日配信分
▼あなたにも「名もなき才能」が眠っています

一般的に名前が付いている才能の方が言われて嬉しかったりするんですよね。自分で自分のこと認めやすいじゃないですか。
でも、一般的に凄いと言われていることじゃないと自分の凄さだと思えないのって、すごく勿体ないですよね。一般的に凄いと言われていることが自分の強みだとしか認識出来なかったら、普遍化している、コモディティ化している、陳腐化している能力に対して自分は価値を見出してしまう訳ですよ。

それを聞いた時、確かにその通りだなぁと思った。

私はこれまで、周りの人が凄い!と思うことにばかり価値を置いていた気がする。

「これを身につけておけば価値がある」と思って、好きでもないことに時間を費やしていた。でもそれは自分の軸ではなくて、完全に他人軸で。

今の時代って、様々なことに対して自分で選択ができる。選択できることが多すぎて、周りの人が見えすぎて、「自分には何もない」とか「私もあの人みたいに特技を作らなくちゃ」と、日々焦ることがある。

そんな時は、「選んだ選択は他人軸になっていないか?」ということをきちんと考えられるようになりたいなぁと思う。

そして、誰もが価値があると思っている、その分かりやすい才能は、本当に価値があるのか?と疑うことができる目を持つこと。

名前がなくても、私にしかない才能、あの人にしかない才能は必ずあるはずだから。自分だけの原石を見つけたら、その原石を必死に磨いて、最大限に生かせられるような私になりたいなぁと思う。

P.S.
先日久しぶりに「プラダを着た悪魔」を見たんだけれど、すごく良かった。今回の話にも通じるものがあるように思う。
誰もが憧れるランウェイでの仕事を捨て、最終的に自分が本当にやりたかった仕事に就いたアンハサウェイの姿がすごくかっこよかった。他人が憧れるものに目を向けるのではなくて、自分が本当に価値があると思っているものに目を向けられるような、そんな素敵な女性になりたいなぁ。

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