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ジョブホッパーが職を定住した先に何があるのか

この記事は、新卒から6年間で3つの異なる業界、6つの職場を経験してきたわたしが、図らずもジョブホッパーになった経緯と、職を渡り歩くこと、そしてひとつの職に定住することについて自分の気持ちを丁寧にほどいてみたnoteです。


この記事を書いてからちょうど2年が経つ。制作会社を辞め、フリーランスへ踏み出したとき。なんとも言えない充実感と、フレッシュなワクワクに満たされていた。


よりフィットする方へ進み続けてきた6年間

短期間で転職を繰り返してきたけれど、決して転職を目的としてきたわけではない。現状をより良くしよう、自分が納得できる方向へ進もうと思った結果、転職という手段を選んだというだけの話。

医療業界→Web業界→広告業界
そう、2年前の記事を書いてから、わたしは広告業界へ転職した。とは言っても、広告業界を目指して転職をしたという意識は全くなく、いつの間にか巻き込まれていた、という方がしっくりくる(入社して半年ほどはこの会社が何業界にあたるのかさえ分かっていなかったほどだ)。

業界や職場を転々とするうえで、わたしが1番大切にしていることは"自分の中の落ち感"だ。自分がその選択肢に納得できるか、自分に胸を張って説明ができるのか。自分と向き合うことを怠ると、時の経過とともにどこかに歪みが出る。正直で素直なわたしは、次第に自分を騙すことができなくなってしまう。

自分に嘘をつかずにいられる居場所を常に探しているイメージ。それが実現するのであれば、そこへの辿り着き方は自ら門を叩くでも、けたたましいブルドーザーに巻き込まれるでもなんだっていい。


勝手に決めた、2年の布石

これまで、2年のスパンで業界を転々としてきた。
はじめは看護師としての2年間。将来食いっぱぐれないための経験を得ようと、自分の感覚的に最低限のラインだった2年間を看護師として過ごした。

その後、Web制作会社へ転職。2年間で3社へ出向し、3社目で正社員への打診があったタイミングで退職した。
ここでの退社理由は、端的に言うと「2年経ったから」だったと思う。看護師を2年で辞め急激に方向転換をしたわたしは、次の2年を経て意識的に自分を岐路に立たせた。自分が2年前に選んだ方向の答え合わせが必要だと思ったから。

そして、また大きく舵取りをした。制作会社を辞めたわたしは、フォトグラファー、ライターとしてフリーランスになる道を選択。自分にとって心地の良い道を選んだ結果だ。
そのタイミングで制作会社時代のクライアントから声をかけてもらい、独立ほやほやの会社の仲間に混ぜてもらうことに。それが広告代理店でのキャリアのスタート。フリーランス人生は数ヶ月で幕を閉じ、今は会社員として働く傍ら、ライターやインスタグラマーとして活動している。


その状態を築いてからもうすぐ2年。
2年ごとに意図的に岐路に立つわたしは、今回も変わらず交差点に立ち、自分に選択を迫っている。
「会社での仕事をもう少し頑張ってみたい」というのが今の正直な気持ち。ただ、勝手に決めた2年の布石を前に、舵を切らない自分に少しばかり怯えている。

ここは本当にわたしに向いているの?いつまでも若くないんだし、ダメなんだったら一刻も早く方向転換しなきゃなんじゃないっけ?もたもたしてたら時間切れになって後悔しちゃうんじゃない?


ひとつに決めることの恐怖

本当はわかっている。
わたしが真に怖がっているのは、舵取りをしないことではなく、「その場所に決めること」だということを。

自分が素直でいられる居場所を探してきた結果、職を転々とすることで少しずつ理想の場所に近づいてきていると思う。
新卒で働いた病院では、髪型も服装も働く時間も場所も全てが決められ、自由がないことが息苦しく窮屈だったし、仕事を楽しいと思ったことも1秒もなかった。
今は仕事が楽しいし、自由度も高い。大変なことも、モチベーションでカバーできるくらいには充実している。

こうして、素直でいられる場所に次第に近づくと、今度はそこで何を成し遂げるのかを問われる時が来る。

この場所が居心地がいい、まっすぐな自分でいられるのはわかった。じゃあ、おまえはここで何をする?ここで、どう社会の役に立ち、どう名を残す?

ここで、何者になる?


キャリアの考え方は、大きく2つに区分できると思う。
一つは山登り型、一つは川下り型。
山のてっぺんに目標を定め、それを成し遂げるためにせっせと山を登る。一般的に目標設定と言われるものはこれに当てはまるのだと思う。

一方で、わたしがおそらく該当するであろう川下り型は、自分の興味やふとしたチャンスで得た知識や経験が、次第に線となり、キャリアを構築していく。

目標がない、というともしかして聞こえが悪いかもしれないが、心地よく、気の赴くままにやりたいことに向き合っていった結果、キャリアが構築されるのであればこんなに幸せなことはないだろう。
何かを成し遂げたい、doが原動力になって突き進む山登り型。自分の置かれている今の状況をよくしたい、beが動機になる川下り型。

後者として舟を漕ぎ、時には水流に身を任せてきたわたしにとって、ひとつの山に狙いを定め、そこで何者になるのかを問われることは非常に大きな恐怖だ。

人に褒められるような目標もなければ、堂々と登る山を宣言できる度胸もない。

吟味して選んだ山に登り始めたら最後、下山は許されないプレッシャーに果たして向き合いきれるのか、不安がずっと拭えずにいる。


へっぴり腰の寄せ豆腐は保険がお好き

思えばわたしはいつでもへっぴり腰で、あらゆることに保険をかけまくっている。そして常に寄せ豆腐メンタル。


▼寄せ豆腐についてはこちら


今の職場がわたしにとって選択ミスだったとしても、金銭的にも精神的にも自分を保てるよう副業はずっと続けていきたい(もちろんそれがメインの理由ではないが、割と重要な理由)。
収入の柱である会社が明日なくなっても大丈夫なように、シミュレーションを繰り返す。「会社に必要とされなくなっても、わたしにはこっちの仕事がある、大丈夫」そうやって自分を保っているのだ。

人にも一緒。仲よくしてくれる人に対しても「この人がいついなくなっても大丈夫」と精神的に保険をかける。
単に自立しているわけではない。傷つかないように、もたれかかる力加減を意図的にコントロールしている。

期待値を上げない。自分をがっかりさせない。それがわたしにとっての最大の保険だ。

今ならちょうど2年の節目だし、ここからいなくなれる。まだぎりぎり20代のうちに、もうちょっと違う世界を見ておいた方がいいんじゃない?
へっぴり腰の寄せ豆腐にとって、ここから逃げる理由なんて掃いて捨てるほど作れる。


オフィスチェアをまわしてみる

6年もの間自由気ままに川を下って2年ごとに舵を切り、逃げる理由を探して腰が引けている寄せ豆腐。正直、救いようがない。ベースが悪ければ、助かるものも助からない。

ただ、運の良さだけはピカイチ。
こうやって新しい業界に何もわからないまま迎え入れられ、よちよちとなんとか歩いてこれている。ただただ、環境と仲間に恵まれた結果。

ここでもう少し頑張ってみたい、と思っているのは本音である(本音をここでいうだけでも割と勇気がいるほどには臆病だ)。

期待値を手加減せずに今の環境にベットしてみたいし、仲間にももっともっと頼り、頼られたい。

山登りの経験がないわたしにとって、この山の登り方は、別にわからない。でも、山を決めて向き合うって、はじめは、オフィスチェアをほんのちょっと回してみるみたいに簡単なことでいいのかもしれない。一気に真正面を向けないのであれば、少しずつ角度を変えてみるしかない。

できないなら、できないなりにやってみるだけだ。そうやって、歩んできたのだから。

小さな船を漕ぐ木製のオールは手に馴染んでいるが、登山靴もウェアも何ひとつ持ち合わせていない。でもここには、登ってみたい山がある。


ジョブホッパーが定住した先にある登山道。
そこに何があるのか、まずは景色を見に行こう。

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