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本質的カルチャーショック

僕は今ヨーロッパのアイルランドに住んでいる。そこではワーキングホリデービザを利用して、一年間住む計画だ。現在アイルランドに住み始めてから4ヶ月が経った。到着当初は言語の壁や異なる環境に慣れない状況が続き、悔しさやストレスを感じていて何度も日本に帰りたくなった。それから徐々に地に足がついてきて、仕事(バイト)先も見つけられ今では海外で収入を得られている。

そんなある日、ジャパニーズミートアップという日本人や日本に興味のある人たちが集まる場所で出会い仲良くなった人がいた。その人はヨーロッパで生まれ育った女性だ。(以後Aさん)
Aさんとは年齢が同じこともあってありがたいことに仲良くさせてもらい、一緒に遊ぶことも増えていった。
だが、1ヶ月程過ぎた頃にAさんから僕に対するアプローチの度が過ぎていることを僕は感じた。

そして事件が起こった。

その事件というのは、僕がAさんに対して冷たい態度を取ってしまい、相手がその行為について疑問を持ち、激しい口論になってしまったことだ。
なぜ僕が冷たい態度を取ってしまったのかと言うと、観光地で景色に浸っていた僕の時間をAさんに妨害されたからだ。

僕は自然や素敵な景色だなと感じる場所では長い時間1人で浸っていたいと思うので、その時間を妨害されることは好きではなかった。
この出来事の前から少しずつ違和感を持っていたが最終的には、この出来事がきっかけで僕がAさんに対して冷たい態度を取ってしまい、結果的に口論に至った。

だが、本質的なことを突き詰めれば、僕のヨーロッパ人に対する見方や捉え方、感じ方の違いによるギャップが大きな要因だと知った。

僕は日本で生まれ育ち、今までの経験上ではあるが、人との接し方は下手ではないと思っている。その理由として"本音と建前"を上手く使えていると思うからだ。そしてそれは日本国内であったから通用したというの初めて認識した。
"本音と建前"という言葉を英語表記に変換しようとしても100%同じ意味として当てはまるものは見つからなかった。この"本音と建前"は日本独自の相手を敬う文化なのだと知った。その文化が無いヨーロッパで日本にいたころと同じような発言や態度、表情などで相手に寄り添うことは、全て相手のペースに流されてしまったり、逆に怪しまれたりする要因なのだと思った。
この本質的文化の違いを肌感で経験したことは僕にとって本当の意味でのカルチャーショックだった。

※ヨーロッパ人という括りだけでの表現は良くないと分かっていますが、ただの個人の意見として捉えて下さい。※


ヨーロッパ人は、自分の正直な気持ちを大切にしているのだと僕は感じた。
好き。嫌い。行きたい。行きたくない。食べたい。食べたくない。欲しい。要らない。など、
曖昧な表現がほとんど無いことに気がついた。
だからと言って、本音だけを言えばいいのかというと、そうではない。
これこそが大きなポイントで、使い分けが上手くできるかどうかであると思う。

僕にとって、それが簡単なことではないのは事実である。

常に自分の気持ちに正直になって本音を言うということは、僕にとってはストレスに感じることもある。なぜなら、時間をかけずに順調に物事を進めるために自分の気持ちを押し殺したり、そうして積み上げてきた経験が僕自身だったりもするからだ。
ただ、現在僕がいる環境はヨーロッパなのだから、その土地の文化に順応することも大事なことだと思っている。

日本人としての心は大切に。相手を思いやる。
その上で、ヨーロッパ人の自分の気持ちに素直で正直なところを見習いながら、他文化の良いとこ取りをして、また一つ自分を成長させることができればいいなと思っている。

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