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野ざらし延男著『俳句の地平を拓くー沖縄から俳句文学の自立を問う』
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野ざらし延男著『俳句の地平を拓くー沖縄から俳句文学の自立を問う』
〇 野ざらし延男氏の略歴
一九四一年生まれ。沖縄県石川市(現・うるま市)山城出身。天荒俳句会代表。
「天荒」編集・発行。
句集に『地球の自転』『眼脈』『野ざらし延男句集』『天蛇―宮古島』。
編著に『沖縄俳句総集』(沖縄タイムス出版文化賞・1982年)、『秀句鑑賞―タイムス俳壇10年』『薫風は吹いたか』(沖縄女子学園と共著)など。新俳句人連盟賞(「吐血の水溜まり」30句・1974年)、沖縄タイムス芸術選賞大賞などを受賞。
※
沖縄の今に真正面から向き合い、同時に俳句文学表現の可能性について問い、満身創痍になって闘い続けている著者の、人生の集大成のような、ずしりと重い読後感の大著である。
〇 本書の内容構成
四部構成、全九章に及ぶ現在進行形の、とりあえずの総括の書である。
第一部 複眼的視座と俳句文学
Ⅰ章 俳句・人生・時代――情況から内視へ (18節)
Ⅱ章 俳句文学の自立を問う (5節)
第二部 米軍統治下と〈復帰〉を問う
Ⅲ章 米軍統治下と俳句 (前書きと13節)
Ⅳ章 〈復帰〉を問う (2節)
Ⅴ章 混沌・地球・俳句―詩的想像力を問う (5節)
第三部 批評精神が文学力を高める
Ⅵ章 歴史の眼・俳句の眼―「俳句時評」沖縄タイムス Ⅰ九九七年四月~二○○一年十二月 (58稿)
Ⅶ章 ミニ時評「沖縄から問う」―「俳壇抄」全国俳誌ダイジェスト(14稿)
第四部 詩魂と追悼
Ⅷ章 詩魂。画魂に触れて―詩集・句集「解説む「解題」/美術展レリーフ(8稿)
Ⅸ章 追悼 (5稿)
〈終章〉洞窟(ガマ)に螢火が灯った
〈資料編〉 野ざらし延男百句―一九六五から二〇一三年
新聞紙上における俳句論争
※
〇 読後感―極私的視座より
沖縄の俳句界を牽引してきている、野ざらし延男氏の全存在をかけた社会的、文学的闘争は、とても本書だけには収まり切れるものではないだろう。まだ何か言い足りない思いが渦巻いているに違いない。
一九四一年生まれだから、今年(二〇二三年)で八二歳のご高齢である。
無風の「本土」で自己完結的な一生を過ごした俳人ならば、集大成の書となるところだが、彼の場合は社会と自分がそれを許さないだろう。
何故か。
それは氏が、決して終わりそうもない未完の闘争の渦中を生きているからだ。
その闘争というのが、目を凝らして視ようと意志しなければ視えない、やっかいなものであり、絶えず自己を内的に奮い立たせておかなければ、絶望に呑みこまれそうになり易い事柄だからだ。
沖縄。
俳句。
といえば、心あるものなら、沖縄が「日本」から受けた数々の差別的な事柄の数々という問題、現代俳句問題なら形骸化した俳句表現から、人間の実存をかけた文学に改革するための闘いのことが、すぐ思い浮かぶだろう。
物事を歴史的背景、そしてその現代的意味、課題に意識を凝らす者でなければ、そこに不条理を感じ、少しでも改善したいと願い、野ざらし氏のように改革運動へと行動を起したりはしない難題である。
政治社会的な問題は「日本」国内にもいろいろ存在し、苦しんでいる人がいる。
わたくしごとだが、わたしは「水俣病」とか「公害病」などという、不適当な呼ばれ方をしている「チッソ・水俣事件」という世界的文明禍の一つである、大量虐殺、大量虐殺未遂事件を体験し、それに深く関わった石牟礼道子文学の研究に一生を費やしている最中である。
以後、野ざらし氏が関わっている問題を「沖縄問題」と呼び、わたしの方を「水俣問題」と呼ぶことにしよう。
本書の総合的な読後感を述べるに際して、書評とか、作品評ではなく(そのような評はすでに多数なされているので)、野ざらし氏とわたしの体験した問題と、それに対する姿勢について述べて、本書の核心的問題を考え、紹介したい。
野ざらし氏はその問題について、社会運動と俳句を軸にした行動をしている。
その立場は被害者の位置にある。
俳句の問題は、「日本」的なものの全的容認、受け入れを拒否したい感覚が、その方向性を決定づけているといえるのではないか。
「日本的な」俳句表現に関わることで、文化としての「日本」にも内面的に闘うことになってしまう。
沖縄の基地問題が、そのままでは決して容認できない不条理な事柄であるように、俳句という文化に内在する「日本的文化」も、沖縄の文化とはそのままでは相容れないものに感じられているのだ。
困難であろうとその改善を訴え、その「闘い」の在り方自身を、自己のアイデンティティとする他はない、苦しく困難な立場なのである。
本書はその視点から一貫して書かれている。
その苦しく困難な思いの一部を、わたしは共有する。
わたしの場合は被害と加害の交差する立場にいる。
わたしは母方とわたしの家族が「水俣病」の被害に遭い、父はその加害企業の工場の工場労働者だった。つまり加害関係者である。
わたしの中には被害と加害が交錯している。
わたしは野ざらし氏と違って「水俣病闘争」の活動には一切参加していない。
原因は身体的機能の発育不良のところがあり、「水俣病」と特定できないが、子どものころ「総合的身体虚弱症」と診断されて以来、普通の人が普通にできる運動が困難であることもあり、実働を伴うような何かの支援や闘争ができないことも原因で、匿名無名のカンパという金銭的支援しかしたことがない。
野ざらし延男氏は身体的条件が決して良好ではなかったにも拘わらず、病にかかった身に鞭打つかのように過酷な活動をしてきている。
本書で野ざらし氏が、沖縄を永い歴史的経過において差別し、辛酸を嘗めさせたのは「日本人」と批評するとき、その「日本人」の中にわたしもいる、という忸怩たる思いに駆られる。
批評している野ざらし氏は、その文脈に限っては「日本人」の中にはいないのである。例えば具体的には基地問題などは、「日本」が一方的な加害者で、沖縄は被害者であり、被害者の立場から、その不条理さを批難することには正当性がある。
わたしはこのとき、その「日本人」の一人であることを引き受け、野ざらし氏よる批判を自分のこととして引き受ける必要がある。
わたしは「水俣病問題」に関する自分の論考で、加害側のチッソという会社の批判はするが、そのとき、その企業の収益から父が貰ってくる給金が購う食糧を食べて大人になったという忸怩たる思いを引き摺る。
だから論考を書くときの視座が、直接的な加害側の論難に向かわず、そもそもこのような「公害」はどうして起こり、それを許す社会とはどういうもので、その加害的近代思想から抜け出し、だれの命も奪わない、傷つけない思想と社会は可能なのか、という抽象的思索の方に向かってしまう。
やっかいなのは俳句の問題である。
沖縄が歴史的な経緯で「日本」に組み込まれたとき、書き言葉としての「日本語」が沖縄を覆い尽くし、土俗文化と密接な話しことばも「日本語的に標準化」されていった。
独立国家だった沖縄の言葉が、「日本」の一方言と同じ扱いになるという捩れが生じたのだ。
その違和感は他の地域の方言とは決定的に異質である。
何が異質か。
言葉は元来、実体的な物を指す記号である。
物にはその地域の文化が張り付いている。
沖縄の場合は標準語に代替させるには、あまりにも実体が違うのだ。
ここに「俳句」において、野ざらし氏たち沖縄の改革派の俳人たちが抱く違和感の原因の一つがある。そのことは又後で述べる。
かつて日本語の平準化の過程において、標準語を方言の上位におく差別的な認識が永く存在した。
時間がその違和感を溶かし、「日本人」は標準語によって飼いならされていった。
だが、戦争によって施政権を他国に奪われ、「日本」から切り離された沖縄では、その時間が止まり、溶融は働かなかった。
逆に元々根強く存在した沖縄に対する差別的認識が温存、強化されたのである。
もともと「日本」ではない、独立国家としての言葉と文化を持っていた沖縄の、文化の違いの問題が、大前提として存在する。
昭和生まれで、「日本」の標準語で「文学」の一つである俳句に馴染み親しんだ野ざらし氏たちには、この文化的な捩れは大問題だっただろう。
そもそも季語が沖縄の季節感と合わない。
それを自己表現するものとして、どう克服するかという問題に直面するのだ。
そしてより違和感を抱いたのは、季語で存在感を詠むのならまだしも、季語にまつわる類型的な感慨の中だけで閉塞しているような表現のあり方だっただろう。
季語を全面否定する運動ではなく(野ざらし氏は本書で「季語をことばの海で泳がす」という的確な表現で、「本土」伝統派俳句派の季語観を批判している)、非文学的になった俳句を、自分たちの命そのものを表現する改革をすることで、「日本」と「日本文化」を内面化する必要があったのだろう。「日本」に組み入れられ、その中で、「日本語」を使って文学的表現活動を行う限りは。
また、わたしごとになるが、わたしの文学との関わりは、詩作からはじまり、児童文学へ向かう散文世界を通過してきた。
そして石牟礼道子文学と出会い、その研究の途上で、彼女が短歌から始まり随筆、小説、俳句、詩も書き遺していたので、その全ジャンルを学ぶ必要から、俳句も学び始めた。
だから通常の俳人のように、俳句が好きで始めたわけではなく、また俳句に賭ける情熱のようなものも、最初から持ち合わせていない。
還暦を過ぎて俳句を学び始めた結果として、俳句の短詩型文学としての表現の省略と凝縮性の技法には魅せられるが、重層的な構造を持って表現する小説などが獲得する社会性、文学性を、俳句が持ち得るかという可能性については疑問を持っている。
わたしの尊敬する、他界された齋藤慎爾氏は「俳句は文学でありたい」と述べられていたが、分類上は文学的文章表現のひとつであることは間違いなくても、個人的には、わたしは俳句がことさら文学であることを目指すことには疑問がある。
文学であることを志すには、短詩型であるが故の自ずからなる限界というものがないか。
もちろん優れた俳句は個人的な感慨を超えた普遍的な文学的な主題を孕み込んでいる作品もあるが、それは極めて稀で、あったとしても今度は「読み」の限界と困難が、その主題の感受を困難にするなど、複雑な問題が多過ぎないか。
そして何よりも、違和感があるのは、俳人と呼ばれる人たちの多くにみられる、俳句しか視野にない狭い世界に閉じこもっているような傾向である。
短詩型文学といえど、作者に俳句以外の分野、政治経済、哲学、文学などに造詣が深く、視野の広い人なら、作る俳句世界にも深さと広さがあり、文学的感動を得るものが多い。
野ざらし氏が本書で批判しているのも、狭い俳句脳的な視座しかなく、社会問題などへの、不可視的な、困難な事柄に対する想像力に欠けているような、俳人の姿勢である。
わたしは、俳句に向き合う姿勢として、特定の方向性について批判するつもりはない。
自分なりの選択に意思があって、そうしていることに、他人が口出しすることでもない。
各自がその道を選択したという覚悟をもって、自分らしい表現方法を開拓してゆけばいいことだと思っている。
ただ、季語を金科玉条とする惰性的な類型多産の大衆俳句路線と、難解俳句を文学的だとする信仰的姿勢には同調しかねる。
江戸時代までには存在した口誦的な、言葉の遊戯性も含み込んだ、短い韻律による豊かな大衆文芸のひとつでいいのではないか、というのがわたしの俳句観である。
そのような文化が近代合理主義的パラダイムよって失われてきたことが、さまざな社会的な弊害を引き起こすことになったのではないか、という批判意識がある。
大衆文芸といえど、もちろん、そこには一定水準のことばの「芸」としての洗練度が要求されるべきで、なんでもいい俗謡とは一線を画す必要があるだろうが。
川柳よりは鋭く深い批評性があるが、表現は優雅な歌であるというのが理想だが。
個人的な俳句観、文学観に逸脱してしまったが、野ざらし氏たちは、俳句について、そんな長閑な議論をしている場合ではなかったのだ。
本書を読んで、俳句の改革が、自分たちの命に関わる問題だと認識して、歴史的な闘いをしてきた、野ざらし氏たちの姿勢を知って、それには深く敬意を表する。
野ざらし氏たちの場合は、沖縄にも侵入してきた伝統俳句的な姿勢とは闘うべき必然性があったということだろう。
そこには、沖縄風土無視という差別的状況があり、地域文化に根差した、地に足のついた表現を志す文学者としては、今、目の前にある闘いを避けることはできない状況であったようだ。
綜合的な読後感の最後に、野ざらし氏とわたしの共通する点を述べるとすれば、「沖縄問題」と「水俣問題」の現実を体験した者としては、ことの本資に目を向け、そのことを「識っている」人は、この「日本」において、極めて少ないという想いではないだろうか。
現在の「日本人」で、この二つの問題を報道的なレベルで知っている人はいるだろうが、それで識っていると言えるのか。
言えないはずだ。
それはその問題が他人事であり、自分の人生の問題と無縁であり、そのことで自分の生命が脅かされることがないからだ。
だが、沖縄でしっかりした認識をもって生きている者にとっては、自分の命を脅かす切実な問題なのだ。
わたしごとで言えば、わたしというこの命を脅かした「水俣問題」を、一過性の公害問題に終わらせることなく、今生きて在る、生命文化、社会哲学的な、実存の問題として考える姿勢でいたいと想っている問題である。
闘争は自分を内側から生かすことが困難であることをその原因とするものであり、その渦中の実感を感受できない者は、永遠に「識る」ことはないだろう。
自分の命が今、何ものかに脅かされているという実感がない人は、正確に言えば、「生きてはいない」ということだろう。
その人たちにとっては「沖縄問題」も「水俣問題」も「無い」に等しいことなのだ。
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