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サークルCat Plazaを主宰される皐月臨さんの個人同人誌「To Die」レビュー「今だかって読んだ事のない「ルカぺリア」の超詳細大論考!」。

「To  Die」はルカ・グァダニーノ監督の映画「サスペリア」に対する
敬意に満ち満ちた同人誌で
同時発売された映画レビュー同人誌「映画の独り言」の中で
アレックス(仮)は次の様に断じている。

コレ(ルカぺリア)は最早リメイク映画ですらなくッ!!!
原作拗(こじ)らせオタク(ルカ・グァダニーノ)による同人誌なんだッ!!!

「サスペリア」はダリオ・アルジェントが制作したホラー映画で
ルカ・グァダニーノのが制作した「サスペリア」は
熱心なファンの間では「ルカぺリア」と呼ばれている。
『「ルカぺリア」が「サスペリア」の一体「何」なのか』が
「サスペリア」の熱心なファンと
「ルカぺリア」の熱心なファンの間で齟齬が生じており
「サスペリア」の熱心なファンは「ルカぺリア」のコトを
『あんなの「サスペリア」じゃない!』と罵れば
「ルカぺリア」の熱心なファンは
『「ルカぺリア」は「サスペリア」の
二次創作同人誌であって「似ても似つかない」のは当たり前である』
と言い返している。

皐月臨さんは「ルカぺリア」の熱心なファンの急先鋒であるが
そんな皐月さんの悩みの種は
「ダリオ・アルジェントが「ルカぺリア」に好意を持ってない事」である。

「ルカぺリア」が「サスペリア」の二次創作同人誌と仮定するなら
一次創作者であるアルジェントの不興は由々しき事態なのだ。
と言うのも二次創作は一次創作無くしては絶対に存在し得ず
一次創作者の不興は二次創作の存亡に直結するからである。

漫画家の青池保子先生がコミックマーケットの活況の様子を御覧になられて

「何故あの子達は自分で漫画を描かないのか?」

と尋ねられていた事を思い出す。
つまり(あの子達が)非常に立場の弱い二次創作を見切って
誰からも文句が言われない一次創作に打ち込む日(=自分で漫画を描く日)
は何時来るのかと疑問を呈されているのだ。

そんなコト言われてもな。

オタクの力の根源は「スキの気持ち」であり
「スキになった対象」への愛情表現の一環が二次創作同人誌の制作なのだ。

閑話休題

ともあれアルジェントの不興に心を痛めつつも
皐月さんが「ルカぺリア」の
三次創作同人誌「To Die」の上梓に踏み切られたのは
皆が皆口を揃えて『「ルカぺリア」は難しい』と合唱する事に対し

『「ルカぺリア」は難しくありません!』
『「ルカぺリア」はこんなに素晴らしい作品なんです!』

と主張されんが為なのだ。

「ルカぺリア」が二次創作同人誌とするなら
本書は三次創作同人誌と言えるのだ。

本書では「ルカぺリア」を7章に分割して
各章で「難解」と呼ばれる箇所について詳細な解説が付けられている。
更に作品全体の論考と後書きに2章が割かれている。

「同人誌」=「漫画同人誌」と思われがちな昨今にあって
本書の前半は文字による論考が積み重ねられて行く。
後半は三次創作コミックが2本掲載されており
最初はグリフィスの話,次はスージーの話となっている。

僕が本書で一番感動したのは
「映画に無駄ってあっちゃいけないの?」
って問いかけ。
例えばあるゾンビ映画で海中でゾンビとサメが戦う場面がある。
論理的に考えたらそんな場面要らねえし
効率的に考えたら
主人公達をさっさと奇怪な疫病が蔓延する島に向かわせた方がいい。

でもさ。

海中でゾンビとサメが戦ったお陰で,そのゾンビ映画,
未来永劫忘れられなくなったでしょう?
唯一無二の映画になったでしょう?
論理とか効率を優先して切って捨てた部分に
その映画をその映画たらしめる
オリジナリティが あったかも知れないって言ってるんです。

論考を拝読させていただきましたが
「どうしても分からない事」があります。

ジェシカ・ハーパー演ずるアンケは
本当にクランペラーの愛と救済の象徴なのでしょうか。

皐月さんの根底には「人間に対する信頼」があって
夫婦は例え紆余曲折があったとしても最終的には分かり合えるという
お考えがある様にお見受けいたします。

ですがルカ・グァダニーノの根底には「人間に対する信頼」がなく
ジェシカ・ハーパーは「サスペリア」の最後に
エレナ・マルコスを殺して強奪した「力」を
現行のスージー・バニヨンに継承する「事務手続き」の為に
登場した様に思えるのです。
「事務手続き」に「愛情」だの「救済」だのが
関与する余地などありません。
「ルカぺリア」に於ける魔女は官僚主義の化身であり
「事務手続き」が何より尊ばれているのではないでしょうか。

前スージー・バニヨンから「力」を継承した
現行のスージー・バニヨンが「最初にした事」は
クランペラーの記憶の抹消です。
何故なら今やクランペラーの「正妻」は現行のスージー・バニヨンであり
「元妻」のスージー・バニヨンの記憶を真っ先に抹消し
クランペラーは「私の所有物」であると
「事務手続き」を行ったのではないでしょうか。
婚姻関係が変化した場合,「最初にやる事」は役所への届け出で,
「権利関係」を明確にしないと後で必ず問題が起こります。
「事務手続き」大事の
「ルカぺリア」に於ける魔女らしい考えだと僕は思います。

「人間に対する信頼」と官僚主義とは
相容れない概念だと愚考する次第です。

もうひとつは「グリフィスの死んだ意味」について。
皐月さんは盛んに「意味」を論じておられますが
「人の死」に「意味」は「無い」と思います。
蟻塚で働き蟻が1匹死ぬ意味など無い様に
地球規模で考えれば人ひとり死ぬ意味も無い。

なれど。

僕の父が死んだとき
妹は「お父さんは空の上から私を見守ってる」と発言。
そのときは「安っぽいセンチメンタリズム」と断じたが
生前父と妹との間には深刻な確執があり
「お父さんは死んで仏になった」と思う事によって妹は初めて前に進めた。
つまり父の死は妹が健やかに生きる為に「意味があった」のです。
きっとグリフィスの死も誰かが前に進む為に意味があったのだと思います。

色々ナマイキ言って済みません。
ですが皐月さんの詳細な論考無くしては僕にとって「ルカぺリア」は
未来永劫「訳の分からねえ映画」で終わってました。
僕がナマイキ言えたのはひとえに皐月さんのお陰だと思ってます。
これ程長時間に渡って「ルカぺリア」の事を
考える機会を与えて下さった事を心から感謝します。

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「いいものは飛ぶように売れる」べきだと愚考する次第です。


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