見出し画像

パスカル・ロジェ監督の映画「ゴーストランドの惨劇」レビュー「本作の「分かり辛さ」の根源はベスが真実に気付いた際に彼女が16年前に年齢も容姿も「戻っている」描写の不足より生ずるのだ。」

母と双子の姉ヴェラと共に暴漢に襲われた過去を持つベスは念願叶って
小説家となり夫と子に恵まれ幸せの絶頂。
一方ヴェラは過去の暴行に心が囚われて実家に引き籠る毎日。

…僕はこの時点で「何かがヘンだ」と思いました。
と言いますのもベスの「幸せ」描写に全く実感が感じられず
ベスとヴェラが双子の姉妹というのは創作能力を持っている
ヴェラの創作の設定であり「ベス」は架空の人物であり
ヴェラの創作の産物ではないのかと感じました。
つまり過去に囚われ続けて心を病んだヴェラが
心の補償行為として生んだのが「ベス」であり
マッチ売りの少女・ヴェラは現実がキツ過ぎて
冬の寒さに凍えながらマッチを灯して
一瞬垣間見る彼女の「夢」の産物なのではないかと。

実際に「続き」を参照するとベスとヴェラが共に実在し
別人である事が明かされて行きます。
こんな…嘘っぽい「ベス」のキャラ設定が「幸せ」設定が「現実」…!?

映画を観ていて次第に不快感が募る。
他人の創作が気に入らないと自分の脳内で他人の脚本を書き直し
自分向けの脚本とするのが僕の妄想癖であって
「もっとこうすればいいのに」とか「僕だったらこうするのに!」と
埒もない妄想に耽るのです。

話が進むとベスの「幸せ」設定は予想通り「夢」で
現実がキツ過ぎてベスの創作脳が作動していたと判明します。
ベスは糞みたいな現実をブチ壊すべく
「現実」と「虚構」の間を行き来する事となります。

ココで再びパスカル・ロジェ監督の脚本に疑問が湧く。
「「ヴェラ」って必要なくね?」
という疑問である。

この話は徹頭徹尾「ベスの話」であり
ベスが糞みたいな現実を覆すべく彼女の幸せ実現の障害となる
家宅侵入暴行犯達と対峙して行くのだが
「ヴェラ」は「ベスに真実を伝える事」が唯一の役割で
ベスが真実を知った今ヴェラの存在価値など何もない。

そもそも「ヴェラ」が居なくともベスは独力で「糞みたいな現実」と
向き合う瞬間があるべきで
本作に再三再四登場する「鏡」に「ベスの姿」が映る描写は
ベスに真実を見詰めるよう促す「監督の作意」なのではないか。
誰かに教えられて「自分が囚われ人」だって気付くより
独力で気付く作劇の方が僕は好きだ。

更なる疑問は家宅侵入暴行犯達は16年間ずっとベスの実家に居座り
彼女とヴェラに暴行を続けていたと言うのだろうか。
一番分からないのがココ。
「ベスの時間」が16年間止まっているのは彼女が作家になっている筈の
設定年齢に到達するのを監督が待っていたからだと思われる。

僕だったらベスが16年後に作家になって結婚して子に恵まれ…ってのは
全てベスの創作であり実際には時間が経過していないと考える。
それなら家宅侵入暴行犯達が未だ家に居ても納得出来る。

恐らく…監督が16年経過させたのは
ベスを大人にして理不尽な暴力に対抗できる年齢にしたのだと思う。

つまりさあドラクエ5で子供だった主人公が奴隷となって数年間を過ごし
自力で奴隷収容所を脱走出来る年齢にしたのと同じ発想なのである。

しかし…16年経過させた結果,16年後もベスの実家に居座り,
彼女とヴェラを暴行し続ける家宅侵入暴行犯達の存在が
空虚な存在になってしまったのではないかと愚考する。

1.ヴェラは居なくていい。
2.16年経過させる必要はない。

が本作への不満点の根源であり子供の頃のベスが
「糞みたいな現実」を跳ね返すべく努力すべきだった…。
…と思うがソレだと「子供にそんな真似出来るのか」って問題が出て来て,
いっそ作家になったベスが16年前の家宅侵入暴行犯達を探し出し
復讐する話にするのが一番腑に落ちるのである。

つまり本作の脚本が「分かりにくい」のは
「ベスが作家になって家庭を持って現在「幸せ」なのは
現実がキツ過ぎる彼女の観ている夢なのだ」
って着想を監督が生かそうとする事に
固執しているからだと判明するのである。

ベスが16年後に作家になって家庭を持って「幸せ」なのは
彼女の観ている「夢」であって
現実の彼女は未だに少女で実家で家宅侵入暴行犯達に
今日も暴行され続けてる…。
「何も変わってない」「一歩も動いてない」って真実に気付いた
彼女の瞳が「虚無」となって暗転…。
…ってのが僕好みの話となる。
要するに暴行犯達を罰して糞みたいな現実から脱却するという
「救い」を話に求めたのが
監督の指した「疑問手」である様に僕には思えるのだ。

アンタに「救い」は似合わないよ。
「マーターズ」みたいに「救い」がゼロの方がいいよ。

追記
拙レビューをnoteに投稿しXで宣伝したところ
全人類必読の畢竟の大傑作映画レビュー同人誌
「映画の独り言」の作者である皐月臨さんからコメントを頂戴致しました。

皐月さんは「映画の独り言」の中で「ゴーストランドの惨劇」についても
レビューを執筆されておられるのです。

(拙「映画の独り言」レビューより引用開始)

そもそもアレックス(仮)は6年前(2018年)に
「ルカぺリア」を観て冥府魔道に堕ちた訳だが
堕ちた彼女は好んで「女が酷い目に遭う映画」を観る様になった。

「ルカぺリア」は勿論「フラワーズ」もまた「女が酷い目に遭う映画」で
あって本書におけるパスカル・ロジェ監督の「ゴーストランドの惨劇」の
彼女のプレゼンをまあ聞いて欲しい。

(前略)とゆー感じなのだが,この映画とにかく女の顔を殴る!
もうボッコボコ
ロジェ監督の作品は大抵女の顔面の扱いが惨い(むごい)のだ!
そして何より楽しいのが(後略)

彼女のプレゼンには
「ロジェ監督はもっと女に優しくして欲しい」だの
「ホラー映画は基本女が酷い目に遭って怪しからん」だの
「ホラー映画に於いても女の地位向上を!」だの
「ホラー映画に於ける女の役割は見直されなければならない!」だの
が一切無く「女が顔面を殴打される場面」を
「楽しい場面」の一環として挙げているのだ。

(引用終了)

大御心畏れ多くも拙レビューへのコメントを掲載させていただきます。

皐月さんのコメントに対する僕の返信は以下の通り。

皐月さんの御指摘では
「ベスがヴェラに引き戻された時点で16年前に時間軸が戻っている」
その証拠に
「ベスを演じる女優さんが
少女時代のベスを演じる女優さんに「戻っている」」
と言うのである。

僕が「時間が16年前に戻っている」事に気付かなかった理由は
「現在のベスを演じる女優さんが
16年前のベスを演じる女優さんに「戻っている」事に気付かなかったから」

つまり僕が本作を「分かりにくい」と感じた本当の理由は
「ベスを演じる女優さんの「入れ替わり」に気付きにくいから」なのだ。

「分かり辛さ」を加速する要因として皐月さんが御指摘されているのは
ベスが家宅侵入暴行犯達に顔面を散々殴打され
「殴られ過ぎて最早誰だか分からないボクサーの様な人相」だったから。

パスカル・ロジェ監督に御意見申し上げたいのは
ゴールドエクスペリエンスレクイエムを食らったディアボロの如く
ベスが
「オ…オレはッ!」
「初めから何も動いていないッ!!」
って気付きを得た際に
ベスの人相が,ベスの容姿が,ベスの体格がッ!
「ゴゴゴゴゴゴゴ」っと
「16年前」に観客の眼前で「戻り」,
「なっ」
「なんだ…あっあんたは…」
「こ…この顔は…!!」
「ね…年齢が…!!」
とドッピオを占った易者の様に観客を
「驚かす」描写が必要だったのではないかと言う事です。

本作が「実際には何が起こっているのか?」を
キモとする「謎解き」の側面がある以上,
「真相は観客ひとりひとりの解釈に委ねる」
なんて「フワッとした作劇」は絶対に許せない。
「謎」を提示した以上「解いて」貰いたいのだ。

「マーターズ」に於いてはリュシーを襲う
「満身創痍の異形」の正体を明かす絶対の必要がある様に
本作に於いても「実際には何が起こっているのか」を明かして欲しいのだ。

レビューを書く作業は「独善」の連続になり勝ちなのですが
こうして「貴重な御意見」を頂戴することで
少しは「マトモ」に成り得る可能性を秘めているのです。
本当に有難い話ですね。

正直な話,「ゴーストランドの惨劇」は
僕にとって例によって例の如く「良く分からねえ映画」だったのですが
一体僕が「ナニが分かってないのか」を
解説しながらレビューを書く形式を今回初めて採用しました。

一概には言えんでしょうが「完璧なレビュー」を目指すのもいいですが
「思わず助言したくなるレビュー」も悪くないものだと今は思ってます。
思い切って「ヘンテコなレビュー」を書いて公開して良かったです。

本当はね。

僕はベスとヴェラに一心同体であって欲しかったんだ。
一方が死んだら他方も死ぬ様な。
ところが「そうならなかった」から
パスカル・ロジェになんやかんやと因縁付けてるだけ。
だったらテメエでテメエ好みの話を創作しろって話ですよ。

キモオタのキモ妄想が迷走した結果が本レビューと言う御粗末である。


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?