『不登校経験者』として取材を受け語ることについて:求められる「わかりやすい成功者」、描かれる「逆転成功物語」

「学校のせいで」
不登校を経験せざるを得なかった
「にも関わらず」
逆境に負けず、のし上がり、
大学・大学院に進学した
「逆転成功物語」

時折マスメディアの方に取材をしていただくことがあります。
その際、上記のような、わかりやすくキャッチ―なサクセスストーリーを求められることがあります。

僕は上記のようなストーリーに非常に違和感・抵抗感があるのですが、
(学校など特定の何かを「悪者扱い」にする違和感、世間に納得される「不登校の原因」を語らなければならない違和感、不登校時代を「下」に見る価値観への違和感、人生に成功・失敗の「評価」をつける違和感…etc.)

「僕が伝えたいこと」と「記者さんが伝えたいこと」は別であるため、そこをすり合わせ、折り合いをつけていくことは、非常にむずかしい作業です。

==「不登校経験」という『逆武器』==

SNS等を通してマイノリティも声を上げることができるようになった現代社会において、またそれに伴い偏見も薄まりつつ社会において、
「不登校経験がある」「ひきこもり経験がある」といった経歴は、使いようによっては『武器』になりえます。
言わば、マイノリティであることを逆手にとった『逆武器』

「小学○年生から不登校」「ひきこもり経験○年」
と、(世間から見た)「負の経歴」を前面に押し出したセルフプロモーションを行っているSNSユーザーは、僕を含めたくさんいますね。

「人と違う経験をしてきた」「(世間から見た)苦労を経験してきた」
というのは、人生においてセルフプロモーションする上で強みになるし、
さらに
「当事者経験がある」
というのは、発信活動をする上で非常に説得力を持たせます。
当事者にしか分からないことがある、当事者ならではの感性があると信じられているからです。

マイノリティであることを逆武器にすること自体は、悪いことだとは僕は思いません。
それが結果自身のウェルビーイングに、そして社会貢献につながることも多々あるからです。

武器は使いよう、経歴は使いようです。
おのおのやりたいようにやればいいのです。

==他者に語られる「成功物語」、求められる「成功者」の役割==

ただ、マイノリティであることを『逆武器』にした「語り」は、意図せず他者に「わかりやすいストーリー」として単純化され飲み込まれてしまう危険をはらみます。

その典型例が冒頭の「成功物語」です。

今回は記者さんにサクセスストーリー以上の「記事で伝えたいこと」を提供できなかった、自分に責任を感じています。

マイノリティであることを『逆武器』にしている方々…我々…は、内面の深いところに、おのおの、さまざまな葛藤や価値観、信条、そして生きづらさがあると思います。

そういった部分は、「わかりづらい」部分であり、他者の解釈を介して無いことにされ、他者の表現を通して消えていってしまうことがあります。

社会に求められがちなのは、「わかりやすい成功者」の役割なのです。

もちろんこの「わかりやすい成功者」の役割要請を受け、「わかりやすい成功者」の役割を果たすのも、1つの選択肢だと思います。

でも僕はそれをしたくない。

今後取材を受ける際は、求められる役割について十分に確認してからお受けしようと思っています。

むずかしいね。

使用用途::不登校関連書籍の購入、学会遠征費など