不要なわたしの人生だ

 堂接続一過。どうでもいっか。

 わたしの人生に、そこそこ価値がないことに気付いたのは、齢にして七つのときだ。その節、わたしは他の子供達と同様に、『小学校』という施設に通い出すこととなる。結論から言えば、そこでわたしはわたしのわたしたる不要さを思い知るわけだが、父と母がこんな命を産み落としてくれた記念日、そう、わたしの誕生日が五月五日であることを思えば、七つになるまでその事実に気付かなかった、つまりあの施設に通い出すようになって少なからず一月はわたしはわたしの命になんの疑問も疑念も抱かずに過ごせていたということで、その鈍感さはある意味、恵まれていたと言ってしまっても過言ではないのだろう。一過言ではないのだろう。注釈はじめ、一過言というのはあくまでわたしがわたしの名を冠した(新しく確認されたモノにはその発見者の名が冠されるべきであるということはわたしが説明するまでもなく歴史が証明している)造語であるので国語辞典に載っている一家言とはそもそも異なる言葉であるのであしからずここまで注釈、そんな恵まれていたわたしが、父母に見守られながら明かりを落としたリビングで、ロウソクが七本刺さったケーキに息を吹きかけた夜からいくつか後、自らの命を軽んじることになるわけだ──それが恵まれているのかいないのかという論議はきっとわたしの生がほんとうに朽ちるほどの時間を費やしたところで終わりが見えないので脇に置いておく──さあ、すでに結論が出てしまっているわけだからこれ以上は冗長、ただの蛇足でしかない、とも考えたがここで奇遇にも「蛇」という動物の単語が出てきてしまったからには、そのきっかけについて述べないわけにはいかないだろう。なに、かんたんなことだ。

 わたしは、動物飼育係だった。

 この一文で、だいたい察しはつくだろうし、その察しはきっと概ね正解だ。ふむ、相手の言わんとすることを汲み取る術は万事に応用でき得る最善の処世術であるのだから、世の中の色々が全部これほどまでに簡潔かつ分かり易ければ、世界はもっと成功者で溢れていただろうに。そう、わたしが特段思い入れを持って接していたピョンちゃんは、ある日突然、わたしの前からも、わたし以外の飼育員の前からも、飼育員以外のだれからの前からも、後ろからも、右からも左からも、いなくなった。急に、だ。それがショックだったのかな、わたしはピョンちゃんのことをひどく大事に扱っていたから──小学一年生の時分だ、命を平等になんて扱えない──だから、わたしは備えることにした。いつ、わたしの身になにが起こってもおかしくないぞ、と。家に帰って温かいご飯を出してくれるお母さんや、週末のプチ家族旅行に向けて観光ガイドブックと睨めっこしている父の姿が、消化される胃のなくなった餌を握りしめてウサギ小屋の前で茫然と立ち尽くすわたしの姿と、被りそうだったから。気付いたのだ、わたしの人生は不要なもので、生まれてくる命に必然性はないと。「ない」苦しみはないけれど、「なくなる」苦しみはあるのだと。知ってしまったのだ。それからは早かった。わたしの青春はめくるめく流れ、気づけば女子小学生は、女子高生になっていた。かといって部活動に打ち込んだわけでも、勉学に身をやつすわけでも、恋愛に心を焦がすわけでもなかった。それでいい。それでいいと思っていた。

 どうせ、不要なわたしの人生だ。

 でも、まさか。

 世界の方がわたしよりも弱かっただなんて、考えもしなかったな。

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