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零のテスト用紙『うん、まあしかたないか』

1

 馬鹿。

 バカじゃなくて、うましか。俺の苗字。

 馬鹿零。うましかれい。

 それが俺の名前。

 そしてそんな俺の、高校三年生前期中間試験の、結果。

『数学、零点。』

 やっちゃった。さすがに、これは完全にやっちゃった。

 名前は書いた。空欄は埋めた。その上での、無得点。

 名は体を現すという。つまり、今回のテストの成績は勉強不足や授業中の居眠りが原因ではなく、すべてがこの名前にこそあるわけだ。

 そう考えるといくらか、気は楽にならないでもない。

 ……まあ、こんな言い訳。

 父さんと母さんにできるわけ、ないんだけどね。

2.

 遺伝子ですべてが決まる人生なら、なんて楽なのだろうと思う。

人の一生は生まれつき決まっている。

 そういった才能絶対主義の主張はしばしば、凡人に絶望に似た感情を抱かせてしまうものだけど、俺はそうは思わない。

 未来が確定していることは希望にはなっても、絶望になることはない。

 だって、わかろうがわかるまいが、"未来がそうである"という事実はどうしようもない真実として、その先にあるのだから。

 考えたって、仕方がない。

 ならば、知らないよりかは知ってる方が、いくらか得した気分にはなるだろう?

 知らなければ変えられる可能性はゼロだけど、知っていれば、なにかがどうにか、なるのかもしれないんだから。

3.

 努力ほど無駄なものって、この世の中にないと思う。

 素振りに必死になる野球部や剣道部は、なにをあんなに頑張っているのだろう、とか、よく考える。

 空気なんて打っても斬っても、なくなりはしないのに。

 というかそもそも、競技ゴトに熱くなれるその精神が、よくわからない。

 不可思議だし、魑魅魍魎だし、純粋に感心する。

 一点、一本、ワンアウト。

 数字に支配されたこの世界では、精神論なんてなんの意味も為さない。

 強者がすべて。勝者がすべて。

 百人いたら九十九人が敗者。

 敗け方と上手く付き合うことが、人生を楽に生きる秘訣だ。

 ……と、まだ高校生の俺は考えている。

 それが現実よりも甘いのか、苦いのか。大人にも成りきれず子供でもないいまの俺にはまだ、わからない。

4.

 居心地が好い空間を見つけた。

 それはたぶん、ずっとそこにあった。

 試験、零点。勝率、零割。打数、零本。

 挑戦も本気も知らない俺を、受け入れてくれる場所。楽しそうで、嬉しそうで、空みたいに高くて、海みたいに深い場所。

 どこにでもあるのに、どこにもない居場所。

 ──そうそう、そういえば。

"馬鹿"って漢字の由来は、昔の偉い人がウマとシカを間違えた珍事件が発端となっているらしい。

 教科書の内容なんて全然覚えてないけれど(だからこそ脳の空き容量が空いているのかもしれない)、そういう雑学は割と頭に入っている。

 基準も競争もない領域は、心底安心する。

 まあ、つまり。

「人生は、ゲームみたいなものなんだから」

 幼稚園児から老人まで当たり前のように使ってる言葉ですら、勘違いが生んだものどするならば。世界も人生も、所詮は錯覚でしかないのかもしれない──なんて、思わせてもくれる。

 薬漬けの意識が、毒に浸かる。

 真っ白なそこで、俺は。

「失敗しても何度だって、コンティニューすればいいのよ。ただただ、楽しんでいればいいの」

 降りかかる声に、ただ、耳を傾ける。

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