vol.6 秋田県民は秋田愛が尋常じゃない

いやいや、早速サボりました。数日ぶりの投稿です。さて今日はまたまたハッシュタグ祭りからお力を借りて、我が故郷の秋田について語ろうと思います。今日はむーらん軸のターンですね。

#ふるさとを語ろう

生まれ育った町というか地域

むーらんが生まれ育ったのは秋田県仙北市。旧田沢湖町です。皆さんが思っている8倍くらい田舎です。さらに私が住んでいた地区は保育園・幼稚園→小学校→中学校とほぼ同じメンバーで進学しています。なので同級生とは少なからず小中9年間は一緒なんです。入口が保育園か幼稚園の違いくらいであとは中学までほぼ一緒。そしてお察しかと思いますが、同級生は40人ちょいしか居なかったのでギリギリ2クラスになれるくらい。なかでもむーらんの学年はとても仲が良かったと思われる。同級生大半の実家の場所は分かるし、たぶん全員の親御さん神経衰弱しても全問正解できる。まるでジブリのような話でしょう。でも多分みんなそうだと思うけど、少なくともむーらんは同級生たちのことが大好き。

重要人物その1 幼なじみのAちゃん

Aちゃんは家が本当にご近所でいつも一緒に遊んだり歌ったり出かけたりした。ちょっと天然さんでゆったり話す子で、彼女がカラオケで歌うaikoが大好き。aikoの曲は彼女が歌ってて覚えたと言っても過言ではない。
Aちゃんとは高校まで一緒だったので12年間一緒。高校は3年間同じクラス。同じ苗字だったので出席番号も3年間隣同士。わたしのことは彼女はなんでも知っている。
とはいえ、私が東京に出てきてから何年も会えていない。でも結婚報告をしたら、とても喜んでくれた。うつの話もしていたのでなおさら喜んでいたし、安心していた。
コロナもあいまってなかなか会えないけど、彼女はわたしの絶対の存在で、彼女が秋田に居てくれるだけでなんだか安心してしまう。そんな大きな存在です。

重要人物その2 高校の担任のR先生

R先生は高校3年間わたしの担任の先生だった。陸上で記録を持っている人で、皆さんが誰しも聞いたことあるようなオリンピック選手と一緒に練習をしていたそうな。
でも、そんなすごい人オーラは全くなくて(笑)我が子を見るような母みたいなあったかい雰囲気の先生だった。先生はクラスだよりのタイトルに自身のお子さんの名前を入れて、本当に我が子のように皆と本気でぶつかったり、本気で包んでくれて守ってくれる人だった。
先生の推薦で学級委員長に2年間→3年の時には生徒会長をやったんだけど、これがあたしの板挟み人生の始まりだったかもしれない。女子高のやんちゃなクラスメイトと先生の間に挟まれて大変だったけど、その当時の経験はいまになってはいい経験をさせてくれたと思っている。
卒業アルバムにメッセージを書いてもらったんだけど、先生は「3年間、ずっと味方でいてくれてありがとう」と書いてくれた。この言葉だけは33歳になった今でもずっと覚えていて、大切な言葉でいまもお守りのような言葉。こちらこそずっと寄り添ってくれてありがとうってずっと思ってます。あたしも人の敵ではなく味方になろうって思うようになった。
数年前に帰省した時に同級生と飲みに行った時に先生も呼んだら来てくれて、「クロスミントンがんばってるね。あれどんなスポーツなの?」って近況もチェックしてくれているところにびっくりした。大好きな先生のままで嬉しかった。


長くなったので、今回はこの辺にしようかな。
とにかく素敵な人がたくさんいる、大好きな地元秋田。そんな人たちがいるから東京からたまに帰って会いたいなって思う。


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