「京都一条戻り橋」(「今月の村上先生」から
「京都一条戻り橋」(「今月の村上先生」から)
「京都 一条戻り橋 夏のある日 橋の下をのぞいた」
村上先生は、京都での仕事が多く、「旅人というより、ちょい住み的」(村上先生)で、長期、一条戻り橋の近くの町屋の宿に滞在したことがあった。
一条戻り橋はその昔、安倍晴明が式神を棲まわせたとか、鬼が橋を守っていたとか言われます。そんな話が伝わる町にちょい住みしたとき、何があったのか、村上先生にその時の
思い出を聞いた。(構成:村上ゼミ3年 小山慧菜)
京都の夏。ふと、路地を曲がった瞬間、何か得体の知れないモノの気や息を潜めている気配を感じる。そんなことがよくある。
町家の物陰、ビルの一角、ポツンと立つ古木、新築マンションの鬼門除け、家の角のいけず石。一条通りは、古えからモノノケたちが暮らす、京という街の個性を感じるのが、一条通りである。
一条通は、平安京造成時の北限であり、これより先は都人にとって異界の地だった。そのため百鬼夜行が、度々、練り歩いたと伝えられる。百鬼夜行は、様々な化け物たちが美しく飾り立て、徒党を組んだもの。船岡山から一条通を東へ進んだという。
その一条通りのはずれにかかる橋が「一条戻橋」。堀川通に並行して流れる堀川に架かる、この橋こそ、京都のホントの顔だ。
この橋は、死者の魂が戻るといわれている。その名から、嫁入り前の娘はこの橋に近づかないという風習が、地元に残る。
実際、戻り橋は死んだ人を都の外の埋葬地へ送り出す、葬送の橋として使われていた。橋はあの世とこの世の境だった。
そのためだろうか、ここでは多くの処刑が行われ、橋に首が晒らされた。秀吉の命で切腹した茶人、千利休もその1人。利休の罪は冤罪というが、橋に晒された無念さはいかばかりだったのか。また、秀吉のキリスト教禁教令のもと、日本人殉教者たちが見せしめに処刑されたのも、この地だった。
平家物語には、平安中期の武将、源頼光(みなもとの よりみつ)が、戻橋で妖艶な女性に化けた鬼と出会い、その腕を斬り落としてなんとか逃げることができたことが記される。
この橋の下に、式神を隠し、使っていたのが有名な陰陽師、安倍晴明だ。近くに晴明を祀った晴明神社がある。
ある日、先生は、橋の下に降りた。すると、夏の夕方なのに、ゾクッと冷たい気に触れる。堀川通の喧噪が、パタッと途絶え、静かになった。小さな橋なのに、橋の下、向こうまでやたらに遠く見える。平安の昔から、橋を無数の血が染め、魑魅魍魎が跋扈してきた。
(何かいる!)。先生は、慌てて一条通りに戻った。
街の喧騒が戻り、京都の夏特有のむっと来る熱気がまとわりついた。
さらに西、西大路一条は大将軍と呼ばれ、北の端ということで、ここも妖怪の通り道として知られている。
地元、大将軍商店街は「一条通り妖怪ストリート」と呼ばれ、400メートルほどの通りに妖怪たちのオブジェが並ぶ。
FIN
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