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イイ言葉じゃない、共感がほしい。

友人から相談を受けたときは、
「あぁ、なんであんなこと言っちゃったんだろう」
「あぁ、こういう風に言えば良かったぁ」

と、反省することがたくさんあります。


先日、両親を亡くした友人から電話をもらったときには、
(「相談」ではないですが)
内容が重すぎて、イイ言葉をかけてあげられなくて、
自分の人生の薄っぺらさを痛感させられました。

イイことなんて、言わなくていい

でも、思ったんです。

私、”何かイイことを言おう!”
と、思ってしまっていないかって。


もちろん、人が哀しみの中にいるときは、
救われるような言葉を求めたりします。

でも、”イイことを言ってやろう”という気持ちで
伝えられる言葉って、どこか薄っぺらい。

全く刺さらないし、「え?私の話聞いてる?」
という内容のときだってある。


私は、友人の話を聞きながら、
同時に、
「この話が終わったあと、なんて言葉をかけるべきなんだろうか」
ということを考えていてしまった
ことに気づきました。


求めているのは、”分かってほしい”

友人の一番のキモチは、
”このキモチを、分かってほしい”
だと思います。

「辛いよね。もっと泣いていいんだよ」
と、寄り添ってもらうことを、
一番必要としているんだと思います。

だからきっと、
私は、”何かいいこと言わなきゃ”
なんてバカなことは考えずに、

ただ友人の話に耳を傾けて、
「分かるよ」って、言ってあげればよかった。


もし、それだけじゃ物足りないと思ったなら、
電話を切った後で、
ゆっくり時間を使って言葉をみつけて、
メッセージを送れることだって、できたはずです。


全力で共感できる人に

話を一生懸命に聞くことなら、
人生経験が薄い私にだって、十分にできる。

人間に必要な存在は、
”ジャッジせず、その話にただ耳を傾けて、受け止めてくれる存在”
だと思っています。

アドバイスや、いい言葉は、その後でもいいから。

まずは、全力で共感することのできる存在でいたいと思いました。

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