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【うらがみむらかみ往復書簡】5通目 | むらかみ

うらがみさんへ

お返事、ありがとうございます。
当初予定していた4通、ものたりないというか、もっとうらがみさんのことが知りたいですし、やりとりしていたいなと思うので、5通目を書かせていただきました。
無理はせず、気が向いたときにお返事もらえたらとてもうれしいです。
郵便での手紙もLINEよりはずっとゆっくりで、待ち遠しく思いながらも、ふとしたときにやっと届くからこその喜びがありますしね。

『魔女の宅急便』、私も久しぶりに観たくなりました。
手紙にも、贈りものにも、そのひとの想いがつまっていて、それが距離や時間をかけて届くのは普段気にしていなくても、あらためて考えると素敵なことですね。

自分の目にうつる景色はとどめておきたくても移り変わるもので、すべてを写真におさめるわけにもいかないけれど、こころの中に折り重なって混ざりあって、絵で表現されることで、ひとつのかたちになる。
うらがみさんのことばから、絵を描く心がまえを言語化できて、背筋がぐっと伸びるような気がしました。

書きつづけることでうらがみさんに起こった変化、すばらしいです。
憧れって、ひょこっと現れては、日々の慌ただしさにおさえられて姿をひそめる…を繰り返しているような気がします。
私も絵を描いて誰かにみてもらうことへの憧れはずっと前からあったのかもしれないです。
ただ、それがぼんやりとこころに浮かんでは、行動に移る前に消えてしまっていて、私の場合は実は別の夢について、とある人2人に別々に相談したときに2人ともから「絵本」というワードが出てきたのがきっかけでした。
その2人の間には面識はなく、そして2人とも私と関係が深かったわけではないのにです。
そのことばに後押しされ、抑え続けていた「絵を描く」行動をしてみようと思えたんです。
今後も、うらがみさんは書きつづけることで、私は描きつづけることで、いろんな変化が起こっていくのでしょうね。楽しみですね。

おすすめしてもらった〈ラプソディ・イン・ブルー〉の演奏動画、YouTubeで検索をして、観て聴きました。
バーンスタインさんが音楽に没頭し、こころから音楽を愛していることが伝わる映像でした。
指揮をしながら、ピアノも弾くって自分には一生をかけてもたどり着けない境地のように思います。
胸打たれる場面がいくつもありましたし、この演奏にいたるまでには、他の演奏者の方含めて数えきれないくらいの練習が繰り返されてきたのだろうし、その道のりを自分なりに想像しました。
例えば、バーンスタインさんと、ある演奏者のぶつかり合いがあったんじゃないか、とか。
それでもいい演奏をつくりあげたいとそれぞれが本気で思って積み重ねた集大成を、何十年も後に、うらがみさんや私が目にしている。不思議でもあり、壮大さにじーんときます。
この曲と映像を教えてくださったことで、また、私のこころに動きがあって、新しい絵が生まれそうです。
うらがみさんがこの曲を知ったきっかけや、はじめてこの演奏シーンを目にしたときのことも気になります。

うらがみさんの、であって10年のお友達との関係性についての投稿を読ませてもらいました。
わたしも中学校の部活から付き合いのある友人とは、であって20年以上が経ちます。
いまでも、しばらく会わなかったとしても顔をあわせればすぐに中学生のときと変わらず、大笑いして時を過ごせます。
話題は子どものことや、それぞれの夫のこと、仕事のことなど、当時とはがらっと内容は変わっていますが、それでも作りだす空気感はおなじで、とても居心地がいいです。
ひととひとが仲良くいつづけられるのは、それだけ何か通じるものがあったり、お互いが大切に思っていたりと、何かがなければむずかしいことだと思うので、うらがみさんのお友達との関係もそうやって築きあげられてきた貴重なものですね。

最近、通勤中に、江國香織さんの『シェニール織とか黄肉のメロンとか』という小説を読んでいて、まさにそれも40年来の女友達3人組のお話なんです。
学生時代に仲のよかった友達と、60歳近くまで関係が続いていくってまだぼんやりとそうなったらすごいなぁ、くらいにしか思えないですよね。
帯に本文中のフレーズが書かれていて、「会わずにいるあいだ、それぞれ全然べつな生活を送っているのに――。会うとたちまち昔の空気に戻る」、まさにこれこそ自分と友人をあらわしたものだと、ぐっときました。

うらがみさんのこともっと知りたいのに、自分の話もたくさんしてしまって、気づけば長々と綴っています。
もしよければ、またお手紙をください。

むらかみより

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