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生まれたときからお寿司が好きです。
これはさすがに誇張していますが、お寿司というたべものをはじめて口にしたときから今に至るまで、ずっとお寿司をどのたべものよりも愛してきたのは事実です。
365日3食お寿司を食べ続けろと言われても、喜んで食べます。
死ぬまで一つのたべものしか食べられないとしたら即答でお寿司を選ぶ。お寿司は種類が多いので、何かひとつの寿司ネタしか選べないなら、マグロにします。なんの妄想。
スーパーのお寿司も、回転寿司も、高級なお寿司も、どんなお寿司でも大好きです。
それだけ食べてきているからこそ、お寿司にまつわる数々の思い出があります。
たべものに対してここまで思い出が詰まってることってそうないのでは。
そこで、4つの寿司エッセイを書きました。

【水曜日の思い出】

小学生のとき、毎週水曜日は英語教室の日だった。
水曜日といえば、私以外の家族は晩ごはんに父の好物の焼きそばを食べ、私だけが英語教室の帰りにスーパーに併設されたテイクアウトのお寿司屋さんで握り8貫パックと鉄火巻のパックを買ってもらって、フルハウスを見ながら食べるのがお決まりだった。
同じく英語を習っていたのに弟は焼きそばを食べていた。
それだけ私の「寿司食べたい」の主張が強かったのだろう。
英語教室に行くこと自体も好きだったけれど、それよりも晩ごはんにお寿司が食べられるという理由で水曜日が好きだった。

中学受験をするにあたって塾に毎日通うようになったので、5年生になる頃には英語教室を辞めてしまった。
母の迎えを必要とせず、自分で塾に行って帰るようになったこともあって、水曜日にお寿司を食べる習慣もなくなった。

今でも水曜日がなんとなく好きなのは、この頃の記憶があるからだろうか。

それにしても毎週、父が好物だからという理由で焼きそばを作り、自分も食べる母のことを心から尊敬している。
父のリクエストから習慣化されたことだと聞いているが、私は絶対夫に頼まれたとしてもお寿司以外のメニューであればそんなことはしないと断言できる。
そして、頑固でわがままな子どもだった私にだけ毎週お寿司を食べさせてくれて、心から感謝している。
それにしても、好きなものを食べ続けたい執着心は父譲りに違いない。

【父譲り】

父譲りといえばもうひとつあって、私も父もお寿司に醤油をつけない。
寿司ネタにわさびを載せに載せて、醤油をつけずに食べる。
この食べ方をする人は、自分と父親以外知らない。
これは明らかに初めてお寿司を食べたときに、父の食べ方を真似した結果だろう。

記憶をたどっても、自らお寿司に醤油をつけた記憶がないし、今でもつけてみようとはまったく思わない。
パーティーなどで大きくて丸い寿司トレー(何と呼ぶのだろう)にぎゅっと詰まった愛おしいお寿司たちに善意で醤油をぶっかけていく人がいるが、私からすると「何いらんことしてんねん」でしかない。本当にやめてほしい。
居酒屋でお寿司の盛り合わせを頼んだ際もそういうことをする人がいますね、やめてください。

さらに「罰ゲーム?」と周りに言わせるほど、わさびを載せるので、「お寿司が好きなのではなく、わさびが好きなのでは?」とも言われるけれど、お寿司が好きです。

ただ、海鮮丼には醤油をつけます。

【スシローランチ20分勝負】

「今日のランチはスシローに行く」
朝から意気込んでアプリで予約をする。
12時過ぎにオフィスを飛び出し、徒歩15分かけてスシローに行き、20分で食べ、15分かけてオフィスに戻る。
歩いている時間のほうが長い。
それでも私はスシローに行きたい。

都会にある店舗なので、平日の会社員のランチ需要にも備えた作りにしてくれていて、カウンター席が多く、レーンに向き合って黙々と食べることができる。

レーンにお寿司が回っておらず、タッチパネルで注文すれば、レーンではなく頭上のベルトコンベアに乗って、勢いよくお寿司が到着。
私の寿司ローテーションは、中トロかまぐろの赤身、たこ、えびチーズまでは常にスタメン。
あとは気分によって、サーモン、鯛、イカ、生ハム、うなぎ、ほたてなどを5皿ほど。
本当はハイボールをぐいっといきたいところですが、仕事中なのでぐっと我慢。
耳にはイヤフォンを入れて、音楽を聴きながら、ひたすら注文して食べるを静かに繰り返す。
受付からお皿のカウント、レジまですべてセルフ。
この上なく、ひとり回転寿司に適したサービスを提供してくれている。この配慮。

スシローさん、今日もありがとう。

【一番好きなお寿司屋さん】

母が子どものときから贔屓にしているお寿司屋さんがあって、何かお祝い事があると祖父母とうちの家族でお昼に貸し切って宴会をした。
どこの町にもあるような、大将が一人だけで切り盛りしていて、昔ながらのこぢんまりとした、常連さんだけで成り立っているお寿司屋さん。
古い水槽には魚が数匹泳いでいて、外からそれを覗きながら、ガラガラと引き戸を開ける。カウンターのみの狭い店内。神棚の近くには小型のテレビが乗っていて、いつも新婚さんいらっしゃいとアタック25が流れていた。
壁には阪神タイガースのカレンダーがかかっていて、絵に描いたように関西の個人経営の飲食店感をかもしだしている。

その土地の小さなお寿司屋さんだから、年に何回もお店を貸し切って宴会をするお客も我が家くらいのもので、大将とは血は繋がっていないものの、赤ちゃんの時分から私の成長を知っているわけだし、会うと親戚のおじさんのように思えた。
気さくでほがらか、新潟出身だけれど関西で40年以上は暮らしているので、完全に関西のおじちゃんという感じ。
ビールを一緒に飲みながら、ガハハと大笑い。
お寿司が食べられることは嬉しいけれど、小学生になっても中学生、高校生になっても、大人たちの長話を聞くのは退屈で、自分がお腹いっぱいになったら早く帰りたくて仕方がなかった。

私が大学生になると、
「綾ちゃんがいつか結婚相手をここに連れてきてくれるのが楽しみやわ」「どんな人と結婚するんかなぁ」
と、訪れる度に何度も繰り返してはニコニコ笑っていた大将。
彼氏もいなかった私には少し疎ましくも感じられて、でもいつかそんな日も来るのかな、なんて考えていた。
そんな大将が突然、すい臓がんで亡くなってしまった。物言わぬ臓器とも言うくらいだから、気づいたときには手遅れだったらしい。
まだ60歳。
当時よりも、今振り返るとそれは若すぎる死だったと思う。自分も今、35歳で60歳を想像するとあと25年しかない。
夫と結婚して数年が経ち、何のご縁か、そのお寿司屋さんの近所に住むことになった。
手つかずのまま、少しずつ朽ちていくお店の前を通る度に大将の笑顔と、家族での団らんが蘇る。
夫はその大将に会ったこともないし、そのお寿司屋さんに入ったこともない。
でも、私はなぜか夫とカウンターに座って、大将に夫を紹介したような気がしてしまう。
「男前やん」「いい旦那さん見つけたな」なんて言って、喜んでくれたような気がしてしまう。
大将が亡くなる瞬間、ただの常連の孫だった私のことはきっと思い出さなかっただろうけれど、私にとっては20年近く経った今でも、何度も思い出しては見守っていてくれるような気がする人。

大将が亡くならなければ、今でも夫と息子も連れて家族で通っていただろうけれど、もう二度と食べられない味になってしまったからこそ、私の中ではずっと一番好きなお寿司屋さんであり、一番好きなお寿司の味だ。

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