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[多様性論考] 殺人鬼と聖者は共存できるか?

タイトルにピンときた同世代、桜井チルドレンの皆さんこんにちは。

先日の森元首相の発言もあり、多様性への関心が一層高まっていますね。

多様性が重要なのはわかるけど、
異なる価値観を受け入れるって具体的に何をすればいいの?
そもそもどんな価値観でも受け入れられるの?
というと、わかるような、わからないような。

今回はこの辺りの整理に挑んでみます。

何が多様であるべきか

話の前提として、本記事では「価値観の多様性」について考えていきます。

(1) 森元首相の発言のような差別も大きな問題だが、
 平等の上に築く、"多様性"こそが組織の力を高める
 - "平等"は個人をいかに差別なく扱うかの話(主に弱者視点)
 - "多様性"はいかに自由を認め、関係していくかの話(対等視点)
(2) 性別や人種などのデモグラフィックではなく、価値観の多様性が重要

もちろん、価値観や視点は、性別や人種などから影響を受けます。
また、価値観は目に見えないため、デモグラフィックに話が寄ってしまうのも理解できます。
ただ、あくまで重要なのは価値観であり、デモグラフィックはそれを説明する一要素に過ぎないと考えています。

※ちなみに、森元首相の発言への捉え方はこちらの記事が勉強になりました。

「違い」と「善悪」の境界線

抽象論になりがちなこの話、
まずは具体的に想像してみましょう。

あなたは、下記のような人達を"認める"ことができるでしょうか?

・キリスト教徒
・昆虫食の人
・寿司ネタだけ食べてご飯を残す人
・男尊女卑の人
・無差別殺人鬼

もちろん皆さんの価値観にもよりますが、多くの方が下にいくにつれて認めづらくなり、上は"違い"として整理できるが、下に行くに連れて"善悪"の概念に変わっていったのではないでしょうか?

朝食ご飯派とパン派のバランスが取れた、多様な組織。
とは言わないように、互いの利害関係が生まれる、簡単には受け入れられない価値観こそ、
多様性の論点となります。
"違い"と"善悪"の境界線にあるもの、これを認められるかがキーになりそうです。

そしてその違いを受け入れることが難しいことは、
森元首相の考えが間違いや悪とされ、考え方の1つとして認められていないことにも垣間見れます。(擁護しているわけではありません)

認めるのは「価値観」でなく「人」

さて、もう1つ考えたいと思います。
上記で皆さんが考えた“認める”とは何をすることでしょうか?

・同じ価値観になる/させること
・無視をすること
・あるがまま受け入れること

同じ価値観になる/させるというのは、違いを認めることではありません。
無視するというのも何か違う、あるがまま受け入れるかなぁと思う人が多いのではないでしょうか。
では無視することと、あるがまま受け入れることは何が違うのでしょう?

この事は私が世界一周中、民族紛争や社会主義国の歴史を垣間見てずっと考えていたことでした。

キリスト教とイスラム教は認め合うことができるのか?
殺人は絶対ダメと思っている人が、殺人鬼を認めるとはどういう状況なのか?

私なりの現時点の答えは下記の通りです。
[対象の価値観]だけを見る場合、異なる価値観を認めることはできない
  - 価値観とはAかBかを選ぶもの。男女平等を説く人が、男尊女卑を認めることはできない。多様性が大事だという人は、多様性を否定する人を認められない
  - 今は異なる価値観を、徐々に片方に寄せていくことは、異なる価値観を認めることにはならない
  - 認められるという場合、当人にとってどうでもいいことであり、価値観と呼べるものを持っていないケースが多い

異なる価値観を認めるとは、[対象の価値観]を無視し、[その他の価値観]について共感する/しようとすること
  - 信じる神は異なるし理解できない。しかし、仕事観は共感できる、音楽の趣味も合う。
  - 対象を"価値観"から、それを持つ”人”にシフトし、この人は合わない!と距離を置かず、きちんと理解しにいく。異なる部分ではなく、共感できる点に重きを置く

では、殺人鬼と共存できるのか

合わない価値観は無視すればいい。
では殺人鬼と暮らせるか?というと無理ですよね。死んじゃいます。
殺人鬼は大袈裟にしても、男尊女卑など、異なる価値観によって自分に無視できない影響が出る場合はどうすればいいのか。

答えはシンプルで、(A)逃げるか、(B)大きな力で立ち向かうか。です。

そもそも論になりますが、
人以外の生物は多様性を目的としていません。
個々が生存のために進化/選択をした結果、我々には多様に見えているだけです。

多様性は無条件の正義ではありません。
あなたは多様性で得たいものを具体的に言語化できているでしょうか?
それを得るために必要なコストが見合わないのであれば、多様性なんて無視してさっさと逃げましょう。
殺人鬼と聖者は共存できるか?以前に共存の必要がありません笑。

多様性を実現するメリットが大きく、逃げるべきでない場合
・自分が力/権限を持っているのであれば、自身の価値観を押し通しましょう。「強さとはおのれの意を貫き通す力、我がままを押し通す力」烈海王さんの言っている通りです。
・持っていないのであれば、力/権限を持っている人、あるいはそれを選ぶ人や仕組みに働きかけましょう。例えば選挙に立候補する、選挙にいくということでしょうか。

抽象度が高くなってきたので、例として上司との価値観が合わなかった場合の考え方/アクションを図にまとめてみました。(図示するとチープ、、)

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最後に

そもそもですが、異なる価値観への対応の前に、本当に価値観が異なっているのか、事実や背景をきちんと確認することが重要だと感じます。

特に、背景となる個人的な経験があるのでは?と想像することで、異なる価値観をより柔軟に受け止めることができると思います。

それでも多様性を意図する以上、簡単に受け入れられない、場合によっては嫌悪感を覚えるような価値観に触れることになります。
その際、自分が多数派の価値観を持っていたら、自分を"善、相手を"悪"と捉えることもできてしまいます。

ただ、多様性を認めるということは、そういった価値観に対して正義を振りかざすことなく、ギリギリと歯を食いしばりながら
「あなたの価値観は理解できないが、あなたの主張には意味がある」
と笑顔で答える覚悟のことではないでしょうか。

簡単な道ではありませんが、よりよい社会や組織を創っていくためにも
覚悟を持って多様性を実現していければと思います。


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