「いい子」でいたら、心も身体も死ぬ瀬戸際に…

たまに過去の自分のことを思い返すと、「昔と今じゃ別人のようになったなぁ…」と思うことがあります。もちろん、根本的な部分は変わっていないなと思う部分も多々あるけれど、外の世界や世の中に対する考え方はまるっきり変わったなと感じます。世の中のことに気づくまではいわゆる「いい子」的な価値観で生きてきたので、上に言われたこと、親や権威や世間を妄信していましたし、世間的な「こうあるべき」論に外れないように生きようとしていました。

以前からnoteをお読み頂いている方は繰り返しになりますが、高校生の時に非常にお腹の調子が悪く辛かったことから、母親に心療内科に連れて行かれ、それから10年ほど精神安定剤を飲み、26~27歳頃にまた非常に体調を崩したことから精神薬の薬害を知り、薬をやめ自然療法に目覚め、そこから世の中のしくみに気づき…現在に至っています。目覚めてから7年くらい経って、あの頃よりもますます世間離れしてきており、「いい子」だった頃の自分と比べての変化がさらに大きくなっているように感じています。

なぜ「いい子」的に生きていたのか、そうせざるを得なかったのか、ということについては、色々と学んだり内観した結果、自分ではよくわかっているし、そう生きてきたのは当然だったなと思っています。非常に幼く、愚かではあったけれども、そういう自分がいたことも認めています。過去記事にも書いてますが、何回おのれの無知を悔やみ、自分は愚かだったなーと思ったかはわかりません(笑)。この変化は不可逆的で、これから私がまた「いい子」的な生き方に戻ることは絶対にないと断言できます。

最近思うのは、今回のコロナ騒動、ワクチン騒動は、結構猶予がないというか、今はギリギリの瀬戸際なのだなということです。私は精神安定剤の薬害でこの世の闇に気づき、そこから色々と生活を変え対策してきましたが、それでも完全にその影響がなくなったかどうかはわかりません。とはいえ、薬を飲んでいても突然命を奪われるようなことはありませんでした。しかし今回は下手をすると1回で命まで失う可能性があり、相当慎重な判断が求められるものだと思います。親、権威、政府、教師、メディア、世間…の言うことをきく「いい子」でいたら心身ともに死ぬかもよ?あなたはどう生きる?と、一人一人が生き方を問われているようにも感じます。

この騒動が起こっていない時だって、「いい子」的生き方をしていると次第に心を病み、病気になったりするものなのに、今回は致命的な一撃が待ち構えています。「いい子」というのはもっと言えば、「親にとって都合のいい子ども」であって、精神的に幼いということでもあります。この世に政府やメディアの言うことを素直に聞く人が多いというのは、精神的に大人になり切れていない人が多いとも言え、支配層が人々が子どものままでいるようにずっと仕向けてきた、その成果なわけですね。

「いい子」から脱する過程で、自分は幼くて愚かだったと認めなくてはならない時が来ると思いますし、それはとても辛いことだけれども、そうしないことには生き方は変わらないし、精神的に脱皮していくことはできないと思います。「少し先に気づいただけ」という意識という記事にも書いた通り、私も数年前に自分が体調を崩してひどい目に遭うまでは気づきませんでしたし、「いい子」的に生きてしまう気持ちもよくわかります。当時と違うのは、今は猶予があまりないということだけです。どっちにしろ「いい子」的生き方は精神安定剤が共にあるもので、いつか限界が来るので、早いうちに脱した方が楽に生きられるのではないかなと思っています。

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