「どう生きる?」これまで以上に迫られて…

今年の7月は受難でしたね。世の中的にも個人的にも辛いことが多かった気がします。災害や終わらぬコロナ騒動、ガチファンだった国民的俳優の死…、個人的にも仕事で辛い思いをしたり体調不良になったりと、色々ありましたね。梅雨空のすっきりしない天気とも相まって、自分の気分も晴れない日々が続いていました。外へ行けばマスクだ消毒だと面倒だし、家で内省的に過ごすことが多いです(これはいつものこと…)。

こういう辛いことが重なると、自分の人生とか生と死とか、この世の仕組みみたいなものについて考えをめぐらさずにはいられないもので、これまで以上に「これからどう生きよう」みたいなことをぼんやり考えていました。だいぶ前に、明日死んでも本当に悔いがない人生をという記事を書いたことがありましたが、改めてこういった生き方は大事だなと思いましたね。応援していた俳優さんにしても、舞台に行ったりCDや本を買ったりイベントに行ったり…してきていたので、「あの舞台やっぱり観に行けばよかったー!」みたいな後悔はありません。マスコミの報道は信じていないけれど、人は遅かれ早かれいつか死んでしまうのだから、自分にせよ相手が誰であっても、いつ突然の別れが来るかわからないのだという気持ちは忘れずに生きていきたいと思いました。

「これからどう生きよう?」と考えた時にやはり思うのは「結局何が幸せなんだろう?」ということでした。「愛」とか「心の平安」とか、思いつくには思いつくけれど、自分の幸せと世の中のありようみたいな部分がまだ自分の中ではっきりしていないことを感じました。自分が幸せかどうかというのは自分のことが好きかどうか、愛しているかどうか(自己肯定感)が需要だと思うし、周囲の人との人間関係が愛のある良好なものであるほど幸福感は増し、心が満たされるのは間違いないですよね。仕事もいやいややるより、良心に従って愛をもって取り組めることの方がより満たされると思います。いつも何かにとらわれ心が乱れているよりも、穏やかで平和な気持ちでいられた方が幸せだろうというのも想像がつきます。

それはそれとして…私はやはり世の中や社会のことがどうしても気になってしまい、外の世界のひどい現状に心を痛めてしまうことが多いです。世の中を知るほど「社会のせい」を悟る現実という記事にも書きましたが、辛いのはその人のせいではなく、その人がどうすることもできない世の中のしくみのせいだ、ということも現実にはあり、「自己肯定感を高めよう」「考え方を変えよう」云々の問題ではないことも山のようにあります。自分の内面を見つめていくことが大事なのはもちろんなのですが、世の中には見たくもない現実があることを知ることもまた大事なのではないかと思ってしまいます。それは時に心を乱すことでもあり、ストレスがかかることですし、スピ系の人に言わせれば「波動を下げる」ことになるかもしれません。外の世界に引きずられるくらいなら、享楽的に思われようとも自分の幸せだけを追求した方が良いような気もします。

「理不尽な世の中でどう生きるか」というのは、私がたびたびテーマにしてきたことでもありますし、常日頃葛藤していることです。私だけではなく多くの人が、歴史上の人々が悩み考えてきたことでもあると思います。これは人類に課せられた課題なのかもしれませんね。「世の中のことなんか知らない方が幸せなんじゃないか」、「私一人が知ったところで何になるのだ」そう思ったことも何度もあります。世の中の惨状、理不尽を知ってもなお、前向きにポジティブな考え方をもって生きる、というのはものすごくエネルギーが要ることで、悲観的に生きる方が楽な感じはありますね。でもそうなると「そんなことでいいのか?」という心の声がまた聴こえてくる(笑)。まだ自分の中ではっきりとした結論みたいなものは出ないけれど、いろんな出来事が起こる中で考えたり見つめ直したことの断片をここに書き記しておこうと思います。

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