「核家族・共働き」子育て社会の限界感

「子どもを産み育てる」という生き物として当たり前のことがこんなにも難しい時代になってしまったのか…と思うことが多い今日この頃。不妊に悩むカップルも多いし、無事に健康に生まれたとしても産まれてすぐに異物(ワクチン)漬けになり、常在菌と触れ合う機会は奪われ(過度な消毒)、周囲の人や一番大好きな親でさえも顔の半分は隠れていて表情は読み取れず、1年くらい経ったら見知らぬ施設に預けられ…これから生まれる子どもはこれまで以上に受難だなと思うし、親に相当な知恵がなければ心身ともに健やかな子どもを育てることは難しいのではないかとその後を案じてしまいます。

そうでなくとも、これはこれまで私がずっと感じていたことですが、「核家族・共働き」で子育てというモデルはかなり無理があると感じています。実際のところ、私の同級生の家庭環境や、友人知人の子育て環境を見ても、完全に「核家族・共働き」の家庭は多くはなく、どちらかの両親(祖父母)が近くに住んでいるか、母親が専業主婦というパターンが多数派です。私が昭和終わり生まれでまだ親が専業主婦が多数派だったということもありますし、首都圏育ちなのでそもそも実家が近いということもあると思います。

役所で保育所入所事務をしていた時、入所の申込書に祖父母の住所を書く欄があったのですが、夫婦どちらともが地方から都会に出てきている方もたまにいらっしゃいました。親族が近くにおらず、両親が二人とも働いている…という状況での子育てはどんなに大変なものだろうかと想像します。このような状況はつい最近になって生まれた子育てのあり方だと思うのですが、両親どちらかが倒れたら一発アウトな状況で、さらに35年ローンなんかもあったりすると、相当日々の生活が追い込まれていくような気がします。近所に友人や助けてくれる人がいれば良いですが、地域のご縁も廃れた都会であれば、孤立無援になるのも時間の問題かもしれません。

昨今では新しい問題として、コロナで保育園が閉鎖されたり、学校がオンラインになったり短縮になったりして、子どもの居場所と親の仕事の折り合いがなかなかつかない状況も生まれているようです。この状況は専業主婦が多数派であった時代であれば、そこまで大きな問題にはなっていなかったはずです。近くに助けてくれる人がいなければ、親が仕事を休んだり、辞めたりしなければならない状況だと思います(助成金もあるらしいけど…)。だからといって現代の親が悪いということではなく、社会のしくみによって、そうせざるを得ない事情があるというのはよくわかります。共働きでなければ家計を維持できないように巧妙に手取りを減らされ、「女性の社会進出」を煽られ、家事や子育てという無償労働よりも外で働く有償労働の方が価値があるように錯覚させられ、仕事と子育ての両立は可能という幻想を抱かされ、なんとなく生きていると「子どもを預けて働くのが当たり前」という風潮に流されて生きるように誘導されてきたのですからね。

子育てってそんなに片手間でできるようなものではないし、この世のあらゆる営みの中で最も全力で献身するに値する尊いものだと思うのですが、どうしても軽視されているように感じるし、誤った(本質的でない)知識により、良かれと思ってしていることが子どもにとって悪影響があったりと、非常に混乱しているように思います。あまり悲観的なことは言いたくないですが、これからの子どもの未来のことを思うと、どうしても明るい展望は描きにくいです。世間の風潮に流され、政府、メディア、学校etcの言うことをそのまま聞いていたら、大事な子どもを守れない、ギリギリの瀬戸際のところにきているなぁと感じています。

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