緊急事態宣言と憲法のはなし

むらじおのパーソナリティのコーキー(仮)です。ご覧くださいましてありがとうございます。むらじお並びにむらじおnoteも何卒よろしくお願いいたします。

第一回のむらじおnoteのテーマは「緊急事態宣言について」。

正直、思うところは沢山あるのですが、その中でも憲法との関係について書いてみようと思います。
緊急事態宣言と憲法、一見無関係のようで実は物凄く関連する事柄だと考えています。

緊急事態宣言の論拠とは

ところで、現在発出されている緊急事態宣言とは、何に基づいて出されているのでしょうか。「新型インフルエンザ等特別措置法」という法律です。

新型インフルエンザ等特別措置法の第32条に基づき、緊急事態宣言が出されています。新型インフルエンザ等特別措置法以外にも、警察法、災害対策基本法、国家安全保障会議設置法など、緊急事態を規定した法律は全部で7つあります。日本では、それら法律を論拠として緊急事態宣言が発出されるのです。実はこれ、非常に由々しき問題だと考えています。


何が問題なのか?
法律は、個別具体な事象をその都度認識したうえで対応を規定する後追い的な性格が強いのですが、そこが一番の問題です。


事実、新型コロナウィルスに新型インフルエンザ等特別措置法を適用するためには法改正が必要でした。昨年の3月13日のことです。新型インフルエンザ等特別措置法が成立したときには新型コロナウィルスなど想定していなかったから、法改正して新型コロナウィルスにも新型インフルエンザと同様の対応を可能にする必要があったのです。
ウィルスという共通した要素であるにもかかわらずいちいち法改正が必要な運用体制で、文字通り緊急の事態にその都度対峙していけるのか、非常に疑問です。その他の緊急事態を想定している法律についても同様です。


要は、日本においては「平時に想定した緊急事態に可能な行動」が法律で個別に定められているだけで、法律で想定していない緊急事態が起きた時の備えが何もない、ということなのです。

別にそれでも良いのではないか、と思う方もいるかもしれません。では例えば、現在の法律では規定されていない、まさに想定外の事態が起こったらどうでしょうか。
コロナではない新たなウィルス、あるいは人体に有害な未知の微生物でも構いません。巨大不明生物の出現でも、宇宙人の襲来でも良いです。その都度、法改正をするのでしょうか。国会審議中に国会議事堂がゴジラに踏みつぶされるのが関の山です。
何を荒唐無稽な、と笑うのは簡単です。しかし、どんな事態になっても国家として最低限運営できる備えをしておくのは、ウェストファリア体制以降の国民国家の重要な使命です。
真の緊急事態は、得てして想定外からやってくるものです。

では、具体的にはどのように備えるべきなのでしょうか。まさか「巨大不明生物対策基本法」などをいちいち立法するわけにもいきません。むしろ、その逆の発想が必要です。
つまり、現状のような「個別具体な緊急事態を想定してその際に可能なことを明記する」のではなく、「緊急事態と判断された際の国家運営」を規定すればよいのです。そこで登場するのが、憲法です。

日本の憲法

日本の憲法とは何か。
「日本国憲法」と思った方、半分正解で半分間違いです。

日本国憲法は、日本の憲法の一部ですが全部ではありません。憲法とは、国民国家の基礎となる概念そのもの=國體(こくたい)を指します。それぞれの国の文化、風俗、歴史やそれらを踏まえた慣習なども含めます。それらを成文化して国家の統治の規範として法典化したものが憲法典と呼ばれます。日本における憲法典が日本国憲法です。日本国憲法は日本の憲法典ですが憲法のすべてではないのです。
国家運営の根幹をなす法律(憲法付属法)や最高裁の判例も憲法に含まれます。
※なお、國體と旧字体で表記したのは、国体と書くと国民体育大会が想起されるためです。


さて、話を緊急事態に戻します。「緊急事態と判断された際の国家運営」を憲法で規定すべきだ、というのがわたしの意見です。国家の緊急事態は、個別具体な事象の後追いにならざるを得ない法律任せにするのではなく、まさに國體そのものである憲法において規定すべきだと考えるからです。

方法は大きく分けて2つあります。

1つは「憲法典への追記」です。最も分かりやすい方法ですが、最も可能性の低い方法ともいえそうです。憲法改正については、第96条に「各議院の総議員の三分の二以上の賛成に基づき国会が憲法の改正を発議し、国民投票によるその過半数の賛成による承認を必要とする」と規定されています。事実上、改正など不可能ですよ、と宣言しているも同然です。現に、日本国憲法は現行憲法としては世界一長く改正されていません。


もう1つの方法は、憲法典ではない憲法そのもの(実質的意味の憲法と言います。憲法典は形式的意味の憲法と言います)に規定する方法です。先ほども触れた通り、憲法典は憲法の一部ですが全部ではありません。だから、憲法典の条文を改正せずとも、憲法を変更することは可能なのです。

具体的には、憲法付属法の改正が最も効果的だと考えます。日本における憲法付属法は皇室典範や内閣法、元号法、祝日法などがあります。上皇陛下の生前譲位に際し、皇室典範が改正されたのは記憶に新しいかと思います。東京五輪開催にあたって祝日も変更されました。つまり、実質的意味の憲法は何回も改正されているのです。憲法典の改正よりもハードルは格段に低いといえるでしょう。


緊急事態と判断された際の国家運営

では、緊急事態と判断された際の国家運営はどのように規定するのが良いのでしょうか。国家の緊急事態とは、平時に当然だった国家機能が麻痺し、国民の生命が危険な状況にあるときです。もっと強烈な言い方をすれば、日本が滅ぶか否かの瀬戸際の時です。

例えば、先の大戦における敗戦直前の日本です。アメリカに原爆を2発落とされ、ソ連に条約を破棄されて攻め込まれ、戦争継続を主張する強硬派とポツダム宣言受託止む無しの降伏派が言い争っている、その間にも本土空襲は続いている、そういう状況においてどうするのか、です。

日本が滅ぶか否かの瀬戸際に国家運営が可能な存在は1つだけです。天皇です。決して総理大臣ではありません。

日本という国家の存亡が危ぶまれるような緊急事態の切り札として天皇を憲法(憲法典ではない)で規定することが最も現実に即していると考えます。

なぜなら、天皇は日本の國體そのものだからです。

國體とは国民国家の基礎となる概念です。そして憲法とは國體そのものです。日本国憲法第一章第一条にも「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあります。国家の象徴たる天皇を最後の切り札として規定するのは何もおかしくありません。


現に、例示した過去の日本の緊急事態こと敗戦直前の日本においては、昭和天皇のいわゆる「ご聖断」によってポツダム宣言の受諾が決定されました。軍部のクーデターだった二・二六事件も、昭和天皇の鶴の一声で事態は収束に向かいました。
敗戦直前の日本も、クーデター勃発時の日本も、圧倒的な有事、緊急事態です。そういった際に、天皇が切り札として機能する仕組みがあったのです。当時の憲法は大日本帝国憲法です。学校の授業ではあまり良い評判を聞かないいわゆる明治憲法ですが、緊急事態への備えという観点では非常に有用だった点は特筆に値します。

緊急事態に係る大日本帝国憲法の条文は以下です。

第八条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
(現代訳:天皇は公共の安全を保持し、またはその厄災を避けるために緊急の必要がある際に帝国議会が閉会していた場合、法律に替わる勅令を発する。)
 2  此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
(現代訳:この勅令は、次の会期において帝国議会に提出しなければならない。もし議会において承諾されないときは、政府は今後当該勅令が効力を失うことを公布しなければならない)

なお、この条文に完全に対応する箇所は日本国憲法には存在しません。理由はいくつかありますが、日本国憲法はアメリカの素人集団が一週間で急ごしらえした欠陥品で、且ついざというときに日本が米軍に頼らざるを得ない構造にしておきたかったから、というのが個人的見解です。

日本の切り札は天皇

話を令和に戻すと、国家の緊急事態の最後の切り札を天皇と再度規定し、そのうえで憲法付属法、具体的には内閣法と皇室典範を改正すれば良いと考えます。何をもって国家の緊急事態と判断するかは簡単です。現在の法律で規定されている緊急事態宣言の発出条件に当てはまらない事態が起きたら全て国家の緊急事態と判断すれば良いのです。

帝国憲法の条文のとおり、「天皇は公共の安全を保持し、またはその厄災を避けるために緊急の必要がある際に議会が閉会していた場合、法律に替わる勅令を発することができる」状況を確保すれば、いちいち法改正しなくても迅速な対応が可能になります。
そして勅令によって緊急の対応している間に、法改正や必要なら新たな特措法の立法などをすれば良い。そしてそれらの法律がまた憲法付属法として機能していけば、憲法典の改正に拘らずとも弾力的な憲法の運用が可能になるのではないでしょうか。

話が随分と散らばってしまいましたが、何とかコンパクトにまとめたつもりです。法律を論拠とした緊急事態宣言であること、憲法の運用上国家の緊急事態という観点が抜け落ちていること、これらがミックスされて様々な問題が表出してきているのだ、というのがわたしの結論です。
強制力の有無や補償の有無や内容に係る議論も、大元をたどると憲法に行きつくのです。そして憲法にまつわる様々な課題は、今の日本社会に根深く存在し多くの問題の原因ともなっています。また別の機会にお伝えできれば幸いです。


お読みくださってありがとうございました。

むらじお#01
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