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現時点で私が労働者のうちに行いたいこと

 これまでの半生を振り返ると、私は映画や本に大きな影響を受けてきました。リハ専門職になるきっかけを与えてくれたのは「レナードの朝」(1991)だったし、経営大学院への進学のきっかけとなる病院経営やマネジメントに興味を与えてくれたのは「ドラッカーと会計の話をしよう」(2016)でした。そして最近、リハ専門職で経営の入門を学んだ私が「労働者であるうちに行いたいこと」を明確化してくれたのが、「福祉を変える経営ー障害者の月給一万円からの脱出ー」(2003)でした。
 本noteでは、この「福祉を変える経営ー障害者の月給一万円からの脱出ー」を整理しながら、障害者の自立支援について再考したいと考えています。

書籍「福祉を変える経営」の引力

 「福祉を変える経営」の表紙をめくってまもなく、私は強力な引力でこの本に引き込まれました。それは、まえがきの冒頭に記されていた以下のメッセージです。

『ある障害者が、「私は障害を持って生まれたことを不幸とは思わないが、日本の国に生まれたことを不幸だと思う」と言ったと伝えられているが、この言葉の意味するものには深いものがある。』

 リハ専門職として20年以上従事していたにもかかわらず、このメッセージの本質に対する回答を持ち合わせていないことに強い焦燥感を感じました。福祉や就業支援に従事している方であれば「何を今さら…」と感じることかもしれませんが、常に急性期医療に軸足を置きながら時々介護領域に手を出す程度だった私にとって、福祉や就業支援に対しては、まさに井の中の蛙だったということです。

「福祉を変える経営」の著者である小倉昌男氏とは

 以下に、著者略歴を引用します。誰もが知っているヤマト運輸の元社長・会長で、今日の日本の物流の礎を築いた方です。その後ヤマト福祉財団の理事長となり、「障害者の月給一万円からの脱出」を有言実行されています

1924年12月13日東京生まれ。1947年東京大学経済学部卒業。1948年、父康臣の経営する大和運輸(現ヤマト運輸)に入社。1971年社長、1987年会長に就任。「クロネコヤマトの宅急便」の開発で運輸省(当時)や郵政省(当時)と戦った経験から、積極的な脱規制の実行者として知られる。1993年、保有していたヤマト運輸の株式300万株のうち200万株(当時の時価総額で24億円相当)を投じ、ヤマト福祉財団を設立。1995年に会長を引退し、ヤマト運輸の経営から一切身を引いた後、ヤマト福祉財団の理事長職に専念し、現在まで無報酬で障害者の自立支援にあたる。著書に『小倉昌男 経営学』(日経BP社)、『経営はロマンだ!』(日本経済新聞社)、『やればできる、やればわかる』(講談社)がある。

小倉氏が指摘する共同作業所の課題

 共同作業所には、経営するという概念が欠けていると小倉氏は指摘しています。具体的には、消費者が欲しいと思えるような売れるものをつくっていないということです。その原因は、売り上げを上げて利益を得ようとするのではなく、経費を減らして利益を得ようしていることが影響しているといいます。
 例を挙げると、小倉氏が作業所で取り扱っている仕事を聴取した当時、最も多かった仕事はリサイクルの仕事であったといいます。具体的には、空き缶を拾ってきてそれを潰して売る空き缶潰しや、牛乳パックを回収して紙漉(す)きをして作ったハガキを売る仕事、そして、廃油にカセイソーダを混ぜて石鹸を作って売る仕事です。これら、スクラップされた空き缶や再生紙のハガキ、廃油で作った石鹸が果たして飛ぶように売れるのか?ということです。経費である原材料費と人件費を削って利益を出そうという仕組みに対して警鐘を鳴らしているのです。つまり、共同作業所も一般企業と同じように、売り上げを上げて(消費者が欲しいものを売って)利益を出すという経営の概念が必要なのだと小倉氏はいいます。

なぜ、障害者の月給一万円から脱出が必要なのか

 小倉氏が1993年にヤマト福祉財団をつくった時、財団の寄付行為の目的として「障害者の自立と社会参加に関する活動に対し幅広い援助を行い、障害者が健康的で明るい社会生活を営める環境づくりに貢献することを目的とする」と書いたそうです。この目的を読んだ時、私はリハ専門職、特に作業療法士の存在意義そのものではないかと胸を打たれました。
 そして小倉氏は一連の共同作業所の事業内容を見学するわけですが、作業所の方に質問して驚きます。それは、障害者の方たちに支払われている賃金が「平均して一万円くらい」ということです。このような状況で生活ができているのは親御さんが生活を面倒見てくれているからだと感じた小倉氏が、直接、親御さんに向けて質問した回答に、私は改めて考えさせられました。それが、以下の文章です。

障害者が独りになっときいったいどうするのだろう。そう聞きますと、親御さんは口をそろえて、「この子を残しては死ねません。たった1日でいいから私は子どもより長生きしたい」とおっしゃる。
でも、それは原則的には不可能です。親が子どもより長生きするなんて、願望としては理解できるけれども実際はそうはいきません。

 2016年5月17日に公表された、「障害のある人の地域生活実態調査報告書」(きょうされん)<https://www.kyosaren.or.jp/investigation/260/>(参照2021-10-10)によると、相対的貧困とされる年収122万円以下では、障害のある人たちは81.6%にも及び、国民一般のおよそ5倍であることがわかりました。また、2011年に調査した障害者の収入もほとんど増えていないことがわかりました。

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 他方、この報告書において、障害者の方は40代まで親と同居している方が過半数を占めていることもわかりました。下のグラフは、「未婚」で「親と同居」という属性で、障害のある人と国民一般を比較したものです。障害があってもなくても10代で親と同居する点ではほぼ差はみられませんが、仕事に就き、新しい家庭を築き、親から自立していく成人のころから、徐々に格差がうまれています。

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現時点で私が労働者のうちに行いたいこと

 ここまで読まれた方は既にお気づきのことと推測しますが、現時点で私が労働者のうちに行いたいことは、「障害者が経済的にも自立できる社会の実現に寄与したい」ということです。私が労働者としての半分に相当する20年間を費やしてきたリハビリテーション(作業療法)は、果たして対象者の経済的自立にまで考えが及んでいただろうか。そう考えると、もっともっとできることはあったのではないかと自責の念に駆られます。
 私は、「レナードの朝」に影響を受けてリハ専門職となり、「ドラッカーと会計の話をしよう」に影響を受けて大学院で経営やマネジメントを学びました。そして、「福祉を変える経営ー障害者の月給一万円からの脱出ー」に影響を受けて残りの労働者人生で行いたいことが明確化しました。
 リハ専門職を経験し、経営とマネジメントを学んだ者として、労働市場に障害者がもっともっと増え、そして、障害者が経済的にも自立できる社会の実現に寄与したいと考えています。そのためにはどのような立場が効果的なのか。そんなことを考えながら、自身の今後のキャリアビジョンを描いていきたいと考えています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

(参考)
小倉昌男:福祉を変える経営-障害者の月給一万円からの脱却-.日経BP社,2003年,東京

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