ミスカムシル全図

ティルドラス公は本日も多忙② 新伯爵は前途多難(36)

第七章 魔の森の喜劇(その4)

 芝居が終わり、一座の者たちが舞台に整列して挨拶する。席から立ち上がって拍手を送るティルドラス。彼の隣でアーネイラも、役者たちに向かって盛んに手を叩いていた。
 兵士たちも手伝って片付けが始まる中、何人かの座員たちがアーネイラの前で、幕あいのための寸劇やちょっとした手品を披露し始めた。その彼女を後に、ティルドラスは座長のホッホバルに歩み寄る。「うむ、楽しませてもらった。脚本で読むよりはるかに面白い。彼女も喜んでくれたろう。」
 「お褒めいただき、光栄に存じまさ。」皮肉めいた笑みを浮かべるホッホバル。「それにしても、今のお言葉を、この芝居が伯爵家への侮辱だ不忠だと騒ぎ立てて密告した奴らや、俺たちを牢にぶち込んだお役人連中に聞かせてやりたかったですぜ。奴ら、どんな顔をしたことか。」
 彼の言葉に、ティルドラスの表情が曇る。
 「ご存じか知りませんが、この芝居のせいで、一座そろって牢に入れられてたんでさ。死刑にでもなるかと覚悟していたんですが、なぜか無罪放免になりましてね。」
 「お前は知るまいが、伯爵が止めてくださったのだ。求刑ではお前は市中引き回しの上梟首(さらしくび)の刑、一座の者たちは鼻削ぎ・棒打ちの上国外追放となるはずだった。」チノーが言った。
 「それは――」
 「このご恩は重いぞ。伯爵に報いるためにも、今後は精進し、もっと麗(うるわ)しく道徳的な物語を――」
 「ええ、そうですな。精進させていただきまさあ。」チノーの言葉が終わらぬうちに、何やら反抗的な様子で声をあげるホッホバル。「お役人連中が、あの時死刑にしておけば良かった、と歯がみするような芝居を書かせていただきますよ。」
 「なんということを申すのだ! お前を死刑から救い、あまつさえ、自由の身にして下さった伯爵のご恩を――!」
 「恩は恩、でしょうがね。」チノーの大声にホッホバルはため息をつく。「しかし、ここでちょいと考えていただきたいんでさ。伯爵家を皮肉る芝居を出し物にした一座が、それだけでお役人に捕まって牢にぶち込まれて死刑を求刑される……。断っときますがね、ハッシバル領じゃ別に珍しい話じゃねえんですよ。俺の知ってる役者や戯作者にも、牢に入れられてそのまま獄死したり、打ち首にされちまったりした人間がいるんです。そんな奴らが大勢いる中で、たまたま俺一人が運良く助かったってだけで、恩徳だの感謝だのを感じていいんですかい。」
 「!」チノーは言葉に詰まる。
 「流民、貧乏人、世間からはみ出した変わり者や、けちな小悪党……。そういう弱い奴ら、力のない奴らだけを笑い者にしてれば、お役人連中は何も文句を言いやしませんや。それどころか、お上に睨まれてる奴らや敵対してる国を槍玉に上げて、不忠を糺(ただ)すだの暴虐を懲らすだのとわめき立ててれば、天晴れ忠義の士だ何だって褒められて、褒美をもらえることさえある。そうやってお上を喜ばすような芝居だけ演(や)ってりゃ、牢にぶち込まれる心配も無しに呑気にやって行けるのは分かってるんだ。」低い声で独り言のようにつぶやいたあと、ホッホバルはきっと顔を上げて、強い口調で続けた。「けど、俺たち芸人が笑ってやらなきゃ、いったい誰が、悪い殿様や太った坊主どもやあこぎな金持ちを笑うんですかい!? いったい誰が、馬鹿でお人好しで右も左も分からない世間の奴らに、この世の中がおかしいってことを知らせるんですかい!? どこか遠くのよその国じゃない、今俺たちが生きてるこの国が、どうしようもなく間違ってるって事を、いったい誰が声に出して言うんですかい!? お偉い学者さん方じゃありませんや。学者さんたちの言うことなんて、世間の馬鹿どもの耳にゃ届きっこないし、届いたとしても、馬鹿どもには何のことやらさっぱりでさ。俺は黙りませんぜ。俺は止めませんぜ。この国がおかしいことに気付いてる奴らが口をつぐんで、伯爵家の威を借りて威張る奴らばかりがのさばり返るなら、この国は永遠に腐ったままでさ。」
 「そうか。楽しみにしている。」彼の言葉に静かに頷き、ティルドラスは微笑みながら続けた。「もし、また役人に捕まるようなことがあれば、私がここでお前の芝居を観て、大いに誉めていたと言ってほしい。そうすれば、あまり手荒な扱いを受けずに済むかも知れぬ。」
 彼の言葉に少し驚いた顔を見せたあと、にやりと笑いながら、芝居がかった仕草で大仰に頭を下げるホッホバル。その二人を、チノーは呆気にとられた様子で見つめていた。
 二人をそのままに、ティルドラスはアーネイラに歩み寄ると、今までとは打って変わった厳しい顔つきで口を開く。「アーネイラ、頼みがある。今すぐ私を、ここからツクシュナップの街まで送り届けてほしい。できる限り早く。」
 「え?」突然の言葉に戸惑うアーネイラ。
 「バグハート家との戦いで、ハッシバル軍がツクシュナップを占領した。だが、略奪の是非を巡って内部で対立が起きている。」そして彼は、これまでの戦いの経緯をかいつまんで語る。「今はリーボックが辛うじて略奪を抑えているが。長くは抑えられそうにない。私が行かねば略奪が始まってしまう。止めに行かねばならぬのだ。」
 しばし考え込むアーネイラだったが、やがてカーヤの方を振り返って言う。「カーヤ、ティルをツクシュナップまで送り届けてあげて。」
 「お姫(ひい)さま!」彼女の言葉に、何やらとがめるような口調で声をあげるカーヤ。
 「いいの。送ってあげて。」かぶりを振るアーネイラ。その声には、どこか寂しげな響きが込められていた。
 カーヤは憮然とした表情で沈黙したあと、ややあって「一度に連れて行けるのは、あんたともう一人だけだ。それでいいなら何とかなる。」と口を開いた。
 「では、チノーを。」とティルドラス。
 「リュケルノー!」カーヤの声とともに、アーネイラの右手に着けられた腕輪の翡翠(ひすい)が輝き、全身緑色、鋭い刃を組み合わせて人の姿にしたような人影が彼らの前に膝をつく。「伯爵とチノーを、ツクシュナップのハッシバル軍本営まで運んであげな。」
 了解の返事なのか、低くうなるような声をあげるリュケルノー。
 「ツクシュナップまでは空を飛んで行くことになる。持ち物は落とさないように、しっかり身に着けておきな。あと、多少寒い思いをするよ。上着は着ていった方がいい。」
 カーヤの指示に従って身支度を整え、アーネイラとの別れの挨拶を済ませたあと、ティルドラスはホッホバルの方を振り向いて言う。「私はこれから軍を率いてバグハート領に向かう。機会があれば、またどこかで会おう。」
 「ご武運をお祈りしてますよ。皮肉じゃなくてね。」ホッホバルは笑った。「伯爵、あなたはなかなか面白いお方だ。またあなたの事を芝居にしたくなりました。そのためにも、無事に戻られることを願ってまさあ。」
 ティルドラスは黙ってうなずくと、最後に、配下の兵たちに向かって声を張り上げた。「残りの者たちは、ただちに森を出て私の後を追え。目的地はツクシュナップ。クイアスモイの渡しで待機している輜重と合流し、そのまま下アシルウォック川を渡ってバグハート領に入れ。敵地での行動になる。用心を怠らぬようにせよ。道中の略奪は厳禁。略奪を行った者は理由の如何(いかん)を問わず死罪とする!」
 彼らが見守る中、ティルドラスとチノーを両手に抱きかかえ、昆虫のような透明な翅を二、三度振るうと、リュケルノーは矢よりも早く空へと飛び上がっていった。「お姫さまが笑った。」遠ざかるティルドラスの姿を見送りながら、なぜか暗い表情で、カーヤは低くつぶやく。「あんたに悪気がないのは知っているし、お姫さまを楽しませてくれたことは素直に感謝している。けど、果たしてそれが良いことだったのか、あたしには分からない……。」

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