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時事無斎ブックレビュー(3) レビューを書くためのルールと基準(後編:レビューのための評価基準)

※前編はこちら

 前回はレビューを書く前に気を付けていることについて説明しました。続いて実際にレビューを書く時に作品の善し悪しを決める基準についてです。こちらについては私自身の主観が大きく関わってくるため、なるべく個人的な好みや思想信条と関係なく、広く当てはまるものだけを選んで書きます。

※話の筋道は立っているか、内容に矛盾はないか

 本来なら評価の基準にすらならない条件ですが、残念ながら、これをクリアできていないような本もけっこう見かけます。
 根拠も示さないまま著者の個人的な意見だけを延々と述べ立てる。断片的な情報を並べるだけで話にまとまりがない。出てくる数字や言っていることがその時々で違う。論旨が支離滅裂で何が言いたいのか分からない。そもそも文章が意味をなしていない。小説であれば、前後のつじつまが合わずにストーリーが破綻している――。
 内容がこの有様では、文字通り話になりません。レビューがどうこう以前の問題です。

※独自性・情報の希少性があるか

 そもそも、あなたは何のために本を読むのでしょう。理由はいろいろかと思いますが、基本はやはり、自分の知らないこと、これまで聞いたことのない話といった、新しい知識・情報を得るためではないかと思います。
 では、そうした目的で本を読んで、書かれていることが、誰もが知っている常識やあちこちで何度も聞いた話、「だからどうした」的などうでも良い情報の寄せ集めだったらどうでしょう。おそらくその本は2度と読まず、捨てるなり古本屋に売り飛ばすなりするはずです。
 本の善し悪しを判断するのに、独自性や情報の希少性は大きな判断材料となります。紀行文を例に取るなら、誰でも行ける場所をただ歩いて見聞きしたことを漫然と書き綴っただけの本より、訪れることさえ困難な場所に滞在して周囲の事物を細かく観察し、他の情報とも照らし合わせながら独自の考証を行った本に高い評価が与えられるのは当然でしょう。
 むろん、独自性や情報の希少性は簡単に出せるものではありません。フィクションであれば他人が真似できない独自の世界観や個性的な登場人物、奇想天外なストーリー、ノンフィクションであれば幅広い取材や高度な分析、その分野への深い造詣など、いずれにせよ著者の力量が大きく問われることになります。

※内容が信頼できる資料・情報に基づいているか

 前項で触れた情報の希少性についてですが、基本的には、他の本に書かれていない独自の情報を与えてくれる本が良い本、ということになります。
 ただ、この基準には大きな落とし穴があります。いくら他の本に書かれていない独自の話でも、その「情報」が全くの間違いや悪意を持っての嘘だった場合、情報としての価値はゼロどころかマイナスでしかないのです。「○○だけで××できる」「誰も語らなかった△△の真実」「☆☆の嘘を曝く」といった派手なタイトルやコピーで書店に並べられている本をよく見ますが、実際に読んでみると、そうした本の相当数が、明らかな嘘・間違いに基づいた主張を平然と並べている内容で、読んでいて嫌になります(注1)。むろん、本としての評価は最低に近いものにしかなりません。
 前編でも述べた通り、そうした怪しげな情報には人々の欲望や偏見、恐怖感などに訴えるものが多く、俗受けもするため、書店でベストセラーの棚に並んでいることもしばしばです。しかし、たとえ何百万部売れようが嘘は嘘、「売れている」というのはその本が良書であることを意味するわけでは決してありません。記述はあくまでも信頼できる資料・情報に基づいていること、これが「良い本」の必須の条件です。
 と簡単に言ったものの、実際にはそうした嘘・間違いを見抜いて内容の信頼性を検証するのは容易なことではありません。その意味でも、世に溢れる怪しげな「ベストセラー」に専門知識を持った人間が警鐘を鳴らしていくのは大事なことなのでしょう。そうした警鐘については、このコラムも含め、折に触れ紹介していきたいと思います。
 主にノンフィクションを念頭に書きましたが、これはフィクションも同じです。例えば歴史小説やSFを書くのに前提となる歴史や科学の知識がぐちゃぐちゃでは話になりませんし、ファンタジー小説でも、きちんとした資料に基づいて物語の舞台作りをしているかどうかで話の持つリアリティや説得力はまるで違ってきます(注2)。推理小説であれば、実際の犯罪捜査や法律について最低限の知識は持っている必要があります。

注1:もっとも、疑似科学や陰謀論、歴史改竄主義などに詳しい人は先刻ご承知でしょうが、そういう主張の多くは、実は情報としての希少性すらなく、その界隈では言い古された陳腐な主張(しかもとっくに嘘や間違いを指摘されている)を繰り返している場合がほとんどです。
注2:むろん、あくまで創作の技法として、否定された説や架空の理論、幻想的な世界観を作品に持ち込むことは可能です。しかしその場合も、作者がそれを絵空事であると認識して現実との整合性に配慮しないと、後からどんどん矛盾が出てきて収拾が付かなくなることが少なくありません。

※調査・取材をきちんと行っているか

 特に学術書やドキュメント、ルポルタージュなどのノンフィクションでは、著者が実際に行った調査や取材が、本の善し悪しを決める大きな要素となります。
 調査や研究に携わったことがある人なら思い当たるでしょうが、前項で述べたような信頼できる資料・情報を探そうにも、場合によってはその資料・情報そのものが手に入らない(手に入ったとしても内容が古かったり信頼性が低かったりする)場合があります。新たに浮上した社会問題や環境問題、研究例が少ない科学的なテーマ、ある地域や産業が現在置かれている状況……。そうした題材を扱う場合、著者自身が現地に赴いたり、問題の最前線にいる関係者や研究者に直接取材を行ったりして情報を得なければなりません。新聞やテレビの報道なども、本来ならこれが主体となるはずです。
 これはノンフィクションに限った話ではありません。小説や漫画を読んでいても、テーマとなる題材に対して著者が自身で調査・取材を行っている作品と、単に一般向けの解説本を参考にしてお茶を濁している作品とでは内容の厚みに歴然とした差があります。たとえフィクションでも、やはり作者が自分で取材を行って情報を集めることは大事なのだな、と、そういう本を読むたびに痛感します。

※多面的・客観的な視点から物事を見ているか

 自然界の森羅万象にせよ、社会のさまざまな出来事にせよ、決して単一の要因や、さらに単純な「○か×か」の二項対立で説明できるものではありません。私自身の専門である生態学など、複雑極まりない生物の行動の背後にある法則性を説明するのに、より当てはまりの良いモデルを手探りで見つけるような作業の繰り返しです。当然、絶対的な「正解」を知っている人などどこにもいません(これが物理学や数学であれば、はっきりした形での「正解」も出せるのでしょうが)。
 そうした自然や社会の複雑さを理解するためには、自分の都合や思い込みだけで物事を判断したり、「正しい回答」だけを安直に求めたりするのではなく、まずは物事を客観的に観察し、幅広い視点から多面的に検証していく姿勢が必要となります。読者にそういう多面的・客観的な物事の見方を教えてくれるかどうかも、本の良し悪しを決める重要な要素です。
 もちろんフィクションでも、多面的な視点を取り入れることは作品の幅を大きく広げることにつながります。例えば初代『ガンダム』で、シャアを初めとするジオン側からの視点が一切なく、アムロが一方的にガンダムで敵を倒していくだけの物語だったとしたら、おそらくここまでの評価を得る作品にはならなかったでしょう。
 ただ残念ながら、それができている本は決して多くはありません。前項で触れた調査・取材でも、とにかく自分に都合の良い主張をしてくれる人たちの発言や自分の考えに合う情報だけを集めて、調査・取材をしたつもりになっている著者は少なくないのです。逆に言えば、物事を多面的・客観的に見るスタンスを保っているだけでも、本として一定以上の評価は与えて良いのでは、と思います。

 予想外に長くなってしまいました。次回から実際のレビューに戻りたいと思います。

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