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ティルドラス公は本日も多忙③ 冬終わる日に人来たる(33)

第七章 結婚政略(その3)

 そのまま自分の屋敷に戻り、自室に籠もってジュネは独り考え込む。
 父の考えが理解できぬわけではない。父として自分の幸せを願う気持ちと、国主として国を存続させねばならない立場の間で悩んではいるのだろう。しかし、だからといって、言われるまま女に戻り、唯々諾々とハッシバル家なりケーソン家なりに送られる気持ちにはとてもなれない。
 ――お前が伯爵家の長子を産む機会を与えられたと思えば――
 あの言葉にも、なんとも言えぬ憤りを感じてしまう。娘が伯爵家の長男を生み、その子が家督を継いで、自分の子孫が代々伯国の主となる――。父はそういう未来を思い描いているのかも知れないが、それでは自分は、まるで父や嫁ぎ先のため跡継ぎを作る道具の扱いではないか。
 しかも正妻ではなく側室である。これが先方から持ちかけてきた話であれば受諾の条件として正妻の地位を要求することも可能だろうが、この場合のように、爵位でも国力でも格上の国にカイガー家の方から申し出る縁談ではそれも望めない。
 ハッシバル家にせよケーソン家にせよ、当主の正妻の地位は、将来王家の姫や大国の公女と縁組をして関係を強化するための材料として政略的に空けておきたいはずである。たとえ正妻に次ぐ第二夫人の地位は与えられたとしても、正妻との間には何かと差が付けられるだろう。時には自分の産んだ子供が取り上げられて正妻に与えられてしまうことさえあるのだ。ティルドラスの生母であるメルリアン第二夫人がまさにそうだった。最初の子であるティルドラスは生まれてすぐに彼女から引き離されて正妻・ルロアのもとで養育されることになり、そこから生じた確執で、フィドル伯爵の死後に次男のダンに肩入れして跡目争いを起こしたという話である。噂では、神経質で感情的な性格とも聞く。実際に会った時にどう接するべきなのだろう。
 それに、ゼブルの報告では、ティルドラスにはトッツガー家のミレニア公女という想い人がいるという。もしもハッシバル家とトッツガー家の間に縁談が整えばどうなるか。天下最強の国と称され公爵の爵位も持つトッツガー家の公女、しかもかつての許嫁でティルドラスも変わらず彼女のことを想い続けているとあれば、当然、正妻の地位はミレニアのものである。そうなれば自分は彼女の下に立つことになるわけだが、そちらもうまくやって行けるのだろうか――。
 「違ーう!」思わず声をあげるジュネ。「そういう話ではないのだ! ――いや、何でもない。下がって良い。」彼女の大声を聞きつけ、驚いて控えの間から飛んできた侍女や近習(きんじゅ)たちを、ジュネは慌てて下がらせる。「今日は気分が優れぬ。もう寝る。」
 そのまま寝所に入り、寝付けぬまま布団の中で寝返りを打ち続け、明け方近くなってようやくジュネは浅い眠りに落ちる。
 夢の中で彼女はシュマイナスタイの森を歩いていた。森の木々には祝い事の飾り付けがなされ、カイガー家とハッシバル家の軍装に身を包んだ兵士たちが、その間を慌ただしく走り回る。
 「どこに行っておったのだ、ジュネ。」出し抜けに現れたティムが叱るような口調で言う。「婿どのがお待ちではないか。」
 「婿どの?」目を見張るジュネ。「それはいったい……?」
 「何を言う。今日はめでたき婚儀の日。肝心のお前がおらねば婚儀が始まらぬわ。急げ。」
 「しかし……」とジュネ。「しかし、相手はどなたなのです?」だが、その時にはもう、父の姿はどこにもなかった。
 いつの間にか周囲は長い石造りの廊下になっていた。侍従や侍女の服装に身を包んだ石の人間たちが左右にしかつめらしく立ち並ぶ間を、廊下の突き当たりにある広間に向かってジュネは走る。相手はいったい誰なのだろう。クロード公子か、ティルドラス伯爵か。確かめねば。
 廊下の突き当たりの扉を押し開け、ジュネは広間の中へと入っていく。広間と言ってもそこは木々に囲まれた広い空き地で、その空き地の中央に、墨染めの質素な服に竹の冠をかぶったティルドラスが、床几に腰掛けて彼女を待っていた。
 『ティルドラス伯爵だったか。』ジュネは安堵のため息をつく。
 「来たか。待っておったぞ。」あの時と同じ穏やかな口調でティルドラスは言う。「さあ、参ろう。」彼の差し伸べる手を取ろうと、自分も手を伸ばしかけたところで、ジュネは目を覚ます。
 「?」一瞬、何が何やら分からず、きょとんとした表情で周囲を見回すジュネ。ややあって、布団の上に身を起こしながら、悲しさと悔しさが入り交じった口調で彼女はつぶやく。「なぜだ。なぜこんな夢を見る。これではまるで恋する乙女ではないか。」
 恋する乙女?
 そう、自分は女なのだ。たとえ男のいでたちや振る舞いをしても、どれほど武芸に打ち込んでも、自分の体も、そして心も女のものであることは、日々強く感じるようになってきている。
 やはり父の言う通り女に戻り、女として生きるべきなのだろうか。しかし、だとすれば、十二の歳まで自分が男であると信じて疑わず、その後も男として扱われ自身もそのように振る舞い続けてきた自分のこれまでの人生は何だったのだ。
 こうしてジュネが悶々と悩んでいたころ、ハッシバル家の国都・ネビルクトンでも別の動きが進んでいた。
 ティルドラスがネビルクトンに帰還するのとほぼ時を同じくして、旧バグハート領での用事を済ませたアンティルも戻って来る。「伯爵の所領となりました彼(か)の土地でございますが、お預かりした千五百両のうち千二百両で、当初の予定から二倍程度に規模を拡大した設備を作ることができる見通しでございます。」ティルドラスに向かって報告するアンティル。「残りの三百両については、伯爵のお手元にお返ししたいと存じます。」
 「うむ、良きに計らえ。」頷くティルドラス。
 「それとは別に、お尋ねしたいことがございます。」何やら改まった口調になってアンティルは言う。「私の留守中にシュマイナスタイを訪れられた折、カイガー家のジュベ公子とお会いになられたと聞き及びましたが、真(まこと)でございますか?」
 「確かに会った。」ティルドラスの答えには、何やら言葉を濁したような響きがあった。
 「どのような方と見られましたか?」
 「いろいろあって一言では言えぬ。」
 「一言で十分でございます。」一見静かな口調だが、その中には有無を言わせぬ厳しさが感じられた。「伯爵ご自身の側室となるに足る女性(にょしょう)と見受けられましたか?」
 「!」驚いたようにアンティルの顔を見上げるティルドラス
 「知り合いが子爵家の侍医をしております。医学上の相談を受けた時に、ジュベ公子――、いや、ジュネ公女が実は女性であることを打ち明けられました。今まで口外はしておりませぬが、伯爵が言葉を濁されたご様子から、おそらくお気づきになったものと察しました。」
 「――気付いてはいた。」アンティルの言葉にティルドラスは頷く。
 「カイガー家は現在、非常に厳しい状況に置かれております。」アンティルは続ける。「この数年ケーソン家が、国内の安定により領土拡大の野心を露わにするようになってきており、さらに我がハッシバル家がバグハート領を併せたことで、これまでのように両国の間にあって中立を保つことが困難になってきております。いずれ、どちらの国に従うか旗幟を明らかにせねばなりませぬ。その際、おそらくジュネ公女を、我が国であれば伯爵ご自身、ケーソン家であれば世嗣であるクロード公子の側室として差し出すことにより和を請うことを考えておりましょう。伯爵ご自身にとっても、ジュネ公女を側室に迎えることでカイガー家と手を結ぶことができれば、摂政から国権を取り戻す際に大きな助けとなるはず。実際にお会いになられたのは予想外の幸運、これを機に、ジュネ公女を側室に迎えることを視野に入れながらカイガー家との関係を深めるべきでございます。」
 「両国の関係を深めるのは良い。」アンティルの言葉を遮るようにティルドラスは言う。「だが、そのためにジュネ公女を側室に迎えろなどと、いきなり言われても困る。」
 「なぜでございましょう。いずれにせよ、伯爵も早晩、正室なり側室なりを迎えることをお考えにならねばなりませぬ。これほどの話はまたとはございませぬぞ。」

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