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ティルドラス公は本日も多忙③ 冬終わる日に人来たる(32)

第七章、結婚政略(その2)

 クロードについての報告が一通り終わり、続いてティルドラスについての報告が始まる。最初に進み出たのはファイチャイ=ナックホン。カイガー家の令尹(れいいん)で尚書令も兼ねる、子爵家の文官の筆頭である。
 父のバヤー=ナックホンはティムと共にエル=ムルグ山地にやって来た建国の同志たちの一人で、長年ティムの傍らにあって軍略に内政にと策をめぐらせ続け、子爵家の初代の令尹かつ尚書令となった人物である。もっとも、跡を継いだ息子のファイチャイには父ほどの才能はなく、ただ温厚かつ実直で諸種の調停に長けていたのが取り柄であったと『ミスカムシル史大鑑』は伝えている。
 サフィアの高圧的な要求に応じる形でフィドル伯爵の一周忌の行事に参列し、つい先日までネビルクトンに滞在していたナックホンであるが、その間に伯爵家の内部でティルドラスが置かれた立場や官吏の間での評判までを抜かりなく調べてきていた。「現在、国権は全て摂政に握られており、ティルドラス伯爵は単なる飾り物の地位に置かれている状態でございます。ただ、表だって摂政に逆らう素振りは見せておられぬものの、一方でご自身の手足となる人材を密かに周囲に集めておられる気配も見受けられます。」
 「ふむ。では、我がカイガー家が誼(よしみ)を求めるならば、応じる可能性は高いな。」ティムは頷く。「君主としての器はどれほどのものだろう。」
 「官吏の間での評判はまちまちでございます。」とナックホン。明敏で勇敢、決断力に富むと期待を寄せる者もいれば、暗愚、惰弱、優柔不断と評する者もおり、人数で言えばティルドラスを軽んじる者が多いようではある。「しかし身近に伯爵に仕える方々を見ますに、官位は低くとも人品・才能いずれも優れた人物がそろっております。そのような人材を見出し、その心を得ておられるということは、少なくとも凡百の器ではないと考えねばなりますまい。」
 「もう一つ聞きたいのだが……。」ティムは少し歯切れの悪い口調になる。「伯爵家の跡継ぎというに、二十になろうとするまで正室はおろか側室の一人も持ずに過ごしたと聞いておるが、何かその……側室を持てぬ子細でもあるような話は聞き及んでおるか?」
 「子細というほどのことはないようでございます。」とナックホン。「なにぶん、我ら同様にエル=ムルグ山地に逼塞(ひっそく)しておりまして外の諸侯とのつきあいが薄く、加えてハッシバル家の行く末に悲観的な見方が多かったために縁談もなかったことが一つ、ご本人も品行方正な方で、あまりそのような話を持ち出されなかったことが一つ、そして申し上げにくいことですが、父君のフィドル伯爵があのような方でございまして、領内の美女は見つけ次第わがものとしてしまい、ご子息方のことは何一つ考えられなかったことが一つ。ティルドラス伯爵ばかりでなく、国外に出奔されたダン公子にしても、正式の側室は一人もおられなかったという話でございますから。」
 「そうか。」いくぶん安堵した表情になるティム。その父の様子を、ジュネは少し怒りを含んだ目でちらりと見やる。
 「伯爵のご行状についてはゼブル=ザッカが詳しく調べて参ったようです。そちらからも報告を。」ナックホンの言葉とともに、彼の背後に控えていたゼブルが進み出る。
 「まず、最初にお詫び申し上げねばなりませぬ。」ティムに向かって一礼したあと、ゼブルはそう切り出す。「ネビルクトンで様子を探るうち、父の配下の忍びたちに捕らわれる仕儀となりました。」
 「それは――。」驚くティム。「よくぞ無事に帰って参った。さすがに父上どのも、親子の情として殺すには忍びなかったか。」
 「そればかりではありませぬ。私(わたくし)の尋ねるまま、ティルドラス伯爵の内向きに関する話を詳しく語ることまでいたしました。」とゼブル。「どうやらティルドラス伯爵の側近に、あらかじめこちらの動きを読んで備えを命じていた人物がおるようでございます。ただ、父から聞かされた話は、先ほどの令尹のお話とも、私がそれまでに聞き及んだ内容とも合致しております。取りあえずは信じて良いかと。」そしてゼブルは父のアゾルから聞かされたティルドラスの私生活を、自身で集めた情報とも照らし合わせながら語る。品行方正で侍女に手をつけるような話も聞かぬこと。むしろその淡白さを家臣たちに心配されるほどであること。「ティルドラス伯爵が正室を迎えられぬ理由でございますが、父が申すには、かつて許嫁(いいなずけ)であったトッツガー家のミレニア公女のことを未だに想い続けておられるためらしい、とのことでございます。」
 「!」ジュネの表情がわずかに動く。
 続いてさらに数人の者が、それぞれの手持ちの情報をティムとジュネに報告する。一通りの話が終わったあと、家臣たちを退出させ、声をひそめてジュネに言うティム。「どう思う。儂としてはティルドラス伯爵の方が良いと思うのだが。何と言っても、単なる跡継ぎという不安定な身分ではなく、すでに位についてもいることだし、側室が三人いる中に新たに加わるよりは、たとえ正室にはなれぬにせよ最初の一人となった方が後々の待遇も良かろう。ティルドラス伯爵が今まで側室なしで過ごしてきたことが多少気にかかるが、それも考えようで、つまりはお前が伯爵家の長子を産む機会を与えられたと思えば――」
 「……てください。」
 「ん?」
 「いいかげんにして下さい!」必死に抑えてはいるがジュネの口調は鋭かった。「私の気持ちなど聞こうともせぬまま、何を勝手に話を進めておられるのですか!」
 「しかし――」娘の思わぬ反抗に鼻白むティム。「しかし、これはお前のためを思ってのことで――」
 「私のためを思ってとおっしゃるなら――、そもそもなぜ、私を男として育てられたのですか。十二の歳まで自分が女であることを知らずに育てられて、初めてその事を知った時に、私がどれほど苦しんだかご存じないとでも!? そして、それでも男として生きて行こうと心を決めた矢先に、今度は父上の勝手な都合で女として生きろと言われ、和親のための貢ぎ物として、まるで品物か何かのように他人にやってしまおうとなさる!」
 「……儂も後悔はしている。」ティムはそう言ってため息をついた。「だが、あの時はそうするほかないと考えたのだ。この乱世の中、すでに齢(よわい)四十を越えていた儂に跡を継ぐ男子がないとなれば、近隣の国からは侮られ、家臣たちは動揺を起こす。ならば、ともかく最初に生まれたお前を男子として育て、後から本当に男子が生まれてから女として育てても遅くはあるまいと思っていた。まさか今になるまでお前以外に子宝を得ることができぬとは予想していなかったのだ。」
 「………。」唇を噛むジュネ。
 「あの頃――お前の生まれた頃はまだ、一介の兵士から身を立てて天下の半ばを領したキッツ伯爵のように、儂もいずれ大国の主となって、お前にも幸せな人生を送らせてやれるはずとの夢を抱いておった。だが所詮、夢は夢、十五年あまりが過ぎた今でも、我が国はこの通りの小国に過ぎん。家臣たちにしても、口に出して言わぬだけでお前が女であることは気付いておろう。ならばお前に女としての人生を歩ませ、それによって国を全うすることこそが――」
 「父上、」ジュネは静かに父の言葉を遮った。「わがままはお許し下さい。しかし、私は今さら、しかもそのような形で女に戻りたくはありません。それよりは、たとえ夢破れて戦場に屍を晒すことになったとしても、あくまでも男として父上の果たせなかった志を継ぐ道を選びたいと思います。」
 「だがそれは……」
 「ともあれ、ティルドラス伯爵の態度は我が国に対して好意的なものでした。父上の仰せの通り、隣国として誼(よしみ)を通じること自体はよろしいかと存じます。今はそれ以上のことは申せませぬ。――失礼いたします。」そしてジュネは席を立ち、父に向かって一礼すると、振り返ることもなく足早に部屋を出て行く。

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