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ティルドラス公は本日も多忙③ 冬終わる日に人来たる(35)

第七章 結婚政略(その5)

 「上策・中策と挙げたが、他にも策があるのだろうか?」アンティルの内心を知ってか知らずにか、ティルドラスは尋ねる。
 「伯爵ご自身が都・ケーシに参朝し、ティンガル王家のお声掛かりでトッツガー家に婚約の履行を求める、という方法もございます。伯爵に王家への参朝を求めていた以上、摂政も反対することはできますまい。しかし、これは下策かと思われます。」ケーシまでの距離は片道でおよそ二か月。滞在その他を合わせて、おそらく半年もの間、国を離れることになる。「この時期に長期に渡って国を離れられれば、その間、摂政は伯爵の不在を良いことに、自身が国政を壟断(ろうだん)し国を私物化すべく地歩を固めましょう。ミレニア公女との縁談が調えばよろしいでしょうが、縁談が不調に終わった場合、挽回は非常に厳しい情勢となります。この策は避けるべきかと。」
 「では、まずその上策を採り、叔母上の許しが得られねば中策に切り替えることとしたい。」とティルドラス。
 「お急ぎにならねばなりませぬ。」少しためらった後、アンティルは意を決したように口を開く。「申し上げるべきかどうか迷っておりましたが――、以前聞き及んだところでは、トッツガー家と属国・マッシムー伯爵家との間で、ミレニア公女をマッシムー家の公子に嫁がせる話が浮上しております。イエーツ公爵の性格からして、それが自国の利益となるならば、ミレニア公女のお気持ちなど一切構わずに話を進めましょう。状況は必ずしも楽観できるものではないことをご承知おきください。」
 ティルドラスは一瞬目を見張り、続いて少し厳しい表情になって「なるほど、確かに急がねばならぬな。」と頷く。
 「ジュネ公女の件についてもお忘れなきよう。摂政から国権を取り戻すにせよ、ケーソン家に対抗するにせよ、我らにとって当面の大きな助けとなるのはやはりカイガー家。ミレニア公女との縁談にかまけてそちらを疎かにすべきではございませぬ。」釘を刺すアンティルだったが、ティルドラスは半分上の空で、ミレニアとの縁談が叶うかもしれない事に気を取られている様子だった。
 こうして、にわかに状況は動き出す。その日のうちにティルドラスはチノーを伴ってサフィアの元を訪問する。アンティルも連れていきたかったのだが、残念ながら、官位の低い彼は許しなくサフィアの前に出ることができない。
 サフィアはちょうど、夕方でまだ多くの官吏が働いている時刻にもかかわらず、取り巻きたちを集めて宴会の最中だったが、突然のティルドラスの訪問に迷惑そうな表情となり、さらに彼がミレニアを正室に迎えるべくトッツガー家に使者を送りたい旨を切り出すと、あからさまに疑いと警戒の色を見せる。
 「なりませぬ。」ティルドラスが話を終えぬうちに彼女は言った。「身分が釣り合いませぬ。今は公爵の位にあるとはいえ、トッツガー家は元来ハッシバル家の属国の家柄ではありませぬか。そのような家と縁組するなど、伯爵家の、さらに伯爵ご自身の体面に関わりましょう。」
 どう考えてもおかしな理屈である。先代フィドル伯爵の正妻でティルドラスの養母であるルロアはハッシバル家の属国となったシーエック子爵家の娘、生母のメルリアンもケーシ近郊の下級貴族の家の出である。そもそもハッシバル家自体、貧農の家に生まれ一介の雑兵から身を立てたティルドラスの祖父・キッツ伯爵が一代で築き上げたものではないか。そんな家が、相手の家柄をとやかく言う必要があるのだろうか。
 だが、周囲に並んだサフィアの取り巻きたちは、先を争うようにして、口々に彼女に同調する。おそらく彼らにとってはサフィアの一言半句に我先に迎合することだけが大事で、そこに至るまでの議論や話の筋道などどうでも良いのだろう。
 ――摂政の仰る通りでございます。――
 ――左様。卑しきトッツガー家と縁組をするなどもってのほか!――
 ――そもそもトッツガー家は我が国にとって、先代・フィドル伯爵を裏切り国の半分を騙し取った不倶戴天の敵ではございませぬか。そのような国から正室を迎えては、伯爵の名に傷が付きましょう。――
 「伯爵の正室として相応しいのは、トッツガー家ごときの娘ではなく、やはりティンガル王家の姫ではないかと。」一座の中にいたフォンニタイがしたり顔で言う。「これを機に、ケーシにご自身で参朝され、王女を正室として迎えられるよう王家にお願い申し上げてはいかがでございましょう。朝廷の官位も持つ私(わたくし)でありますれば、お供させていただければお役に立てるかと存じます。」
 「おお! フォンニタイ、よくぞ言うてくれた。」サフィアは声をあげる。それをきっかけに話は、ティルドラスの参朝の準備や日程をどうするか、どのような官位を授けてもらえるよう働きかけるか、といった、縁談とは何の関係もない、あらぬ方向へと逸(そ)れていく。
 「………。」ティルドラスは困ったようにチノーの方を見やる。本来であれば、ここで彼に何か助けを出して欲しいところなのだ。しかしチノーはなぜか、気まずそうに押し黙ったまま、サフィアの取り巻きたちの言葉に耳を傾けるばかりだった。
 孤立無援の状態でティルドラスは、それでもなんとか話を引き戻し、トッツガー家への使者の派遣を認めさせようと食い下がる。だが、結局、婚約の履行をハッシバル家として公式に求める話は認められぬままだった。
 不満だが、これは想定内である。なおも宴会を続けるサフィアたちを後に、ティルドラスは独り執務室へと戻り、迎えに出たアンティルに「残念だが、叔母上に、ならぬと言われた。」と言った。
 「おそらく左様であろうと思っておりました。」
 「重ねて叔母上に申し入れても認められる見込みは薄そうだ。ここは上策に拘泥(こうでい)せず、お前の言う中策に切り替えたいと思う。」
 「結構でございます。」頷くアンティル。「中策の長所は、公式の手順を踏む必要がない分、上策に比べ身軽かつ自在に動けることでございます。迅速さが求められる今の状況では、むしろ中策の方が適しておるかも知れませぬ。」
 「使者は誰を送るべきだろう。」
 「公式の申し入れが認められなかった以上、伯爵家で高い地位にある方を送るわけには参りませぬ。伯爵がご自身で命令を下せる近侍の方から選ばねばなりますまい。イック=レックどのが適任と存じます。弁舌爽やかにして有識(ゆうそく)・故実(こじつ)に明るく、斯様(かよう)な場合の交渉には打って付けかと。」
 「他には?」
 「各種の事務を処理するため、オルフェ=オールディンどのにも同行していただくのが宜しゅうございましょう。また、交渉の過程で、おそらく伯爵ご自身の判断が必要となることもあるはず。伝書鳥と駿鷹(ヒポグリフ)を使って緊密に連絡を取り合うようにしたいと存じます。伯爵家の駿鷹を数頭お借りするとともに、アゾル=ザッカどのに、駿鷹の扱いに長けた忍びの方を選んでいただきましょう。トッツガー家との間で予想されるやり取りは、あらかじめ私とイック=レックどので想定問答を作って備えておきたいと存じます。」
 「婚約の履行を申し入れる以上、私の自筆の書状が必要なのではないか?」
 「はい。そちらは、まずご自身で草案を作っていただき、後から我らが細部を直す形にしてはいかがかと思います。あまりに無難で紋切り型の文章ではかえって誠意を疑われましょう。ここは伯爵のお気持ちを、ある程度正直に書いていただく方が宜しいかと存じます。」
 熱心に話し合うティルドラスとアンティル。だが、ティルドラス個人の素朴な想いから始まったこの動きが、やがて多くの国や人々を巻き込みながら予想をはるかに上回る規模で拡大することを、二人はまだ知るよしもなかった……。

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