見出し画像

ティルドラス公は本日も多忙③ 冬終わる日に人来たる(31)

第七章 結婚政略(その1)

 シュマイナスタイの森を後にし、ジュベが子爵家の国都・トーラウへと戻ったのは、ティルドラスと別れて三日後のことだった。
 トーラウに帰ってからも、父のティムには戻ったことを報せる手紙だけを言付け、そのまま自分の屋敷に籠もって読書や弓の練習で気を紛らわせる日々を送る。だが、数日が過ぎた頃、至急自分のところに来るようにという父からの手紙が届いた。ご丁寧にも「これは父としてではなく子爵としての命である」という一文が添えられ、子爵家の公印までが押されている。命令とあれば仕方がない。ジュベは不承不承宮廷に出向き、父の前へと伺候(しこう)する。
 思った通り、勝手にわずかな供だけを連れて国境地帯まで出向き、ハッシバル家の様子を探るうちに獅子狒(ラブーン)に襲われ、挙げ句にシュマイナスタイの魔の森に迷い込むという軽々しい行動を叱責されたあと、ティムは改まった口調で言う。「ティルドラス伯爵と会ったそうではないか。」
 「はい。」ジュベはうなずく。
 「どのような人物と見た?」
 「いろいろあって、一言では申せませぬ。」
 「一言で良い。」叱りつけるような厳しい口調でティムは言う。「側室となるに足る人物と見たか、ジュネ。」
 「その名で私を呼ぶのはお止め下さい!」ジュベは叫ぶ。
 公女ジュネ――これがジュベの本当の名だった。
 戦いに明け暮れるこの時代のミスカムシル、特に国を持つ諸侯の家では、家督は基本的に男子が継ぐものとされている。そこから派生して、男子のない家では最初に生まれた女子を男子として育て、後から他に男子が生まれて初めて女子として扱うことがあった。
 ジュネの場合も、この風習に従って、生まれた時から男子として扱われ、公的にもジュベという男性名を名乗り続けている。ただ、父のティムにはジュネ以外に子ができず(正確にはジュネの異母妹が二人いたがいずれも早世している)、女子として扱われる機会を失ったまま十六の歳を迎えていた。
 だが、いつまでもこの状態を続けるわけには行かなくなってきている。ティムはこの年五十九歳。当時としては既に相当の高齢という扱いで、今後男子を得られるとも考えにくい。彼に何かあった場合、後継者をどうするのか。カイガー家は今、密かに揺れていた。
 相続争いから故郷を捨て、エル=ムルグ山地に乗り込んで一国を建てたティムは、アシュガル領内に住む一族の者たちとは事実上絶縁した状態にある。一族の者たちにしても子爵家の内情など何一つ知らない。他の家のように親戚の男子を迎えて跡を継がせる方法はカイガー家の場合難しいだろう。やはりジュネが跡継ぎとなるのか。女性の国主はこの時代珍しいものの、例えば現在サンノーチス子国の国主となっているフェジーラ=サンノーチス子爵のように、他に例がないわけではない。
 あるいはジュネが婿を取り、その婿に子爵の爵位を継がせるという道も考えられる。実はこの選択肢には派生形があり、ジュネが他国の当主、あるいはいずれ国を継ぐことになる世嗣に嫁いでカイガー子国がその国の勢力下に入り、将来的にはジュネの子がその国の分家、あるいは属国としてカイガー姓と子爵の位を受け継いでいく、という方法もある。実際、同じくエル=ムルグ山地内に領地を持っていたシーエック子爵家は、娘・ルロアを当時ハッシバル家の世嗣だったフィドルに嫁がせることでその支配下に入り、ハッシバル家の客分のような扱いのもとで家を存続させている。もちろんジュネが産んだ子がその家の長男であれば、そのまま本家の跡継ぎとなれる可能性も高い。
 この最後の方法を取る場合、ジュネの嫁ぎ先として真っ先に候補に挙がるのが隣国のハッシバル家とケーソン家だった。具体的には、ハッシバル家であれば当主のティルドラス、ケーソン家であれば当主・ズッシオ伯爵の長男である公子クロード、この二人である。
 むろん、ジュネにせよティムにせよ、改めて話さずとも、そんな事は互いに承知の上である。しばらくの沈黙。やがてティムが席から立ち上がりながらゆっくりと口を開いた。「ハッシバル家とケーソン家に送った者たちが戻ってきている。お前も来るが良い。」
 「………。」俯(うつむ)いたまま身動き一つせずに黙り込むジュネ。だが、重ねて促され、父の後について歩き出す。
 ティムとジュネが向かった評定の間には、既に十人ほどの者が集まって二人の到着を待っていた。「まずはクロード公子について聞こう。」着席し、前置きもそこそこに切り出すティム。彼の言葉に応じて、ケーソン家に送り込まれていた者たちが進み出る。
 ケーソン家の公子・クロードはこの年二十三才。特に家臣の間で人望が厚いというわけではないものの、世嗣としての地位は安定しており、将来、父の跡を継いで伯爵となることに支障はないと思われる。身の丈は六尺(ほぼ180センチ)を超え、学問よりも狩りや武芸を好んで個人的な武勇にも優れているという評判であるが、一方で思慮が足りず情に薄いという声もある。部下についても、賢人よりも、むしろ武勇の士を信任する傾向がある――。
 「奥向きの行状についてはどうか。」ティムが尋ねる。
 「残念ながら、あまり良い話は聞きませぬ。」尋ねられた部下はかぶりを振った。
 この時代のミスカムシルで、君主やそれに準じる立場の公子が好色であること自体は必ずしも悪いこととはされていない。側室を数多く抱え、子供をたくさん作って家系の存続を図ることは、むしろ君主として当然の務めとさえされていた。ただ、その分、手をつけた女たちにどう接するかについては厳しい視線に晒されることになる。女たちを乱暴に扱ったり、逆に寵愛する女の言うがままに操られたりするようでは、場合によっては君主としての資質を問われかねない。「正室はまだ迎えられておらぬものの、側室は公式に認められた方だけで三人。うち一人に男子がございます。」他にもお手つきという評判の侍女が数人いるなど、あちこちでつまみ食い的に女を漁っているらしいが、手をつけた後の扱いはかなり無責任なようで、手を出された女たちやその親族が怒って揉めることもあるという。
 「ううむ。」考え込むティム。その傍らで、ジュネは相変わらず沈んだ様子のまま、無表情に沈黙していた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?